第30話『棺桶』
ドドドドドドドドド。ガンガンガンガン。ゴロゴロゴロ……。
「……ぎゃあああ……」
地響きと岩同士がぶつかる音、そして悲鳴を聞いて、ヨハンの意識は覚醒した。初老と呼ばれる歳にさしかかったとは思えないほど、俊敏な動きで立ち上がると、周囲に大声で尋ねた。
「何事だ?!」
部下の報告を聞くよりも早く、彼の目に状況が飛び込んできた。かがり火で薄っすらと見える光景に、口をあんぐりと開ける。
「なんだ、これは……」
城壁の周りに岩が転がっている。いや、あれは岩ではない。城壁の残骸だ。内側の城壁だけが崩れたと、周りの部下が叫んでいる。
(敵の罠だ!)
ヨハンは直感した。そして、それを裏付けるように“答え”が飛んできた。
「ぬうっ……!」
暗闇から、大量の矢が降り注ぐ。鎧を解いていたファルム軍の兵士や馬の身体に突き刺さり、血しぶきと阿鼻叫喚が上がる。ヨハンは地面に伏した。
矢の中には、火がついているものもあった。それらは食料や物資の袋に突き刺さり、たちまち炎が躍る。それに煽られて、人馬が逃げまどう。
ヨハンの元に、オイゲンが駆け寄る。そして
「父上! 大丈夫ですか!」
「状況が分からん。撤退は出来るか」
オイゲンは眉間にしわを寄せ、苦汁の表情をして首を振る。
「ダメです! 城門は崩れた城壁でふさがれました」
この時の惨状を、生き残ったファルム軍の兵士が語っている。彼の手記には生々しい“地獄”が描写されていた。
『……火と煙に取り囲まれていた。武器を持つことも、防具を着ることも忘れて、熱さと煙たさと、そして飛んでくる矢から逃げた。そこからの脱出を考えて、仲間と一緒に城門へと急ぐ。ところが、城門は石でふさがれていた。それを取り除こうとすると、矢で射殺される。俺の幼なじみはその矢を何本も受けて、地面に転がった。その死を確かめられず、俺は城の真ん中に戻るしかなかった。そして必死に、聖女様に祈った。母と、好きな女の顔が思い浮かんだ。涙と震えが止まらなかった……』
――棺桶だ。ダヴィはファルム軍の墓をここに作ったのだ。この戦いが始まる前、つまり半年も前に、城の形をした棺桶を作っていたのだ。
さらにヨハンは気づいた。敵が放つ矢の数が多い。
(敵の数は二千どころじゃない。道々の城で聞いた情報は間違っていたのか)
正確には『騙された』のである。ダヴィはあえて城に入る兵士数を徐々に減らしていた。こうすることで、ダヴィ軍が瓦解しつつあると誤解させたのだ。焦ったファルム軍が兵士を減らして追ってくるのも、作戦通りだった。
ヨハンは軽く笑った。自分が敵う相手ではなかった。敵への賞賛と諦めが心に浮かぶ。
「脱出しましょう!」
ヨハンはちらりと息子の顔を見て、軽く頷いた。
「そうだな……お前は生き残っている部下をまとめて、城門を破れ。犠牲は出るだろうが、不可能ではない」
「父上は?」
「私は……無理だ……」
手を当てていた腹部を見せる。矢を受けた。大量の血が流れていた。
オイゲンは目を見開き、そして目を伏せた。下唇を噛む。
「オイゲン……私がおとりになる。お前は、生き残れ」
「父上!」
「国王と、ファルム国の民を、頼んだぞ……それと、妻に……すまないと伝えてくれ……」
オイゲンの目からおびただしい涙が流れた。ヨハンは軽く笑い、そして厳しい表情へと変えた。
「早く行け!」
「は、はい!」
オイゲンは走り去った。ヨハンはその背中を見送ると、ゆっくりと立ち上がる。腹と足を伝う血と痛みを無視して、両足で立つ。
「さて。最期の仕事だ」
ダヴィ軍も最後の段取りにとりかかっていた。矢での攻撃を城門に集中させ、ダヴィたちは兵士たちを連れて下へと降りる。生き残ったファルム軍を
この兵士たちの先頭に立つのは、マセノとノイだ。
「さあさあ、フィナーレのお時間だよ」
マセノは襲いかかってくる敵の攻撃を軽やかにさせ、レイピアで巧みに突き刺す。その剣先は一切の間違いなく、喉や心臓や目などの急所を貫く。汗1つかく素振りを見せない長髪の男を、ファルム軍の兵士は避ける。
しかし、それ以上に脅威となったのが、ノイである。
「なんだよ、こいつ?」
と驚いた途端に、その兵士は吹き飛ばされる。黒煙と闇夜に溶ける黒い巨体は、メイスを振り回し、ファルム軍の兵士に迫る。そのメイスに触れられた瞬間、その兵士の命は消える。
死が目の前から歩いてくる。ファルム軍は悲鳴を上げて逃げていく。
「待て!」
その前を、数十人の兵士が立ちふさがる。そしてヨハンがその先頭に立つ。
「セルクス公!」
ダヴィがその場に現れた。そしてヨハンに言う。
「決着はついた。降伏しろ!」
「断る!」
ヨハンは剣を向ける。震える剣先に、魂を宿らせる。
「あいにくと、決着のつけ方はこれしか知らん。これが老いた武骨者の生き方だ」
ヨハンがニヤリと笑うと、後ろの兵士たちも笑った。この主従は覚悟が決まっている。
ダヴィも覚悟を決める。
「ヨハン=セルクスを倒せ!」
「小僧! 来い!」
ヨハンたちは駆け出す。ダヴィの前に、マセノとノイたちが出てくる。
「往生際が悪いねえ。まあ、そんな不器用さは嫌いじゃないよ」
「…………」
マセノのレイピアとノイのメイスが、炎に輝く。その度に、ファルム軍の兵士は倒される。ファルム軍は疲れていた。それもあって、あっけなく戦いが終わる。
気が付けば、ヨハンだけが立っていた。
「貴様!」
ヨハンが剣を振るう。しかし数歩進むと、よろけてしまう。彼の腹から流れる血が止まらない。限界だった。ダヴィがヨハンの剣を打ち払うと、ヨハンはそのまま地面へと倒れる。
それでも、ヨハンは腰に備えていた短剣を抜いた。あまりにも小さい武器だ。これで勝てるとは思えない。
――使い道は、一つだけだ。
ダヴィもそれに気が付いた。そして声をかける。
「セルクス公。最期に言い残すことはあるか」
ヨハンは目の力を強める。肩で息をしながら、首を振る。
「無い! 我が息子が私の遺志を継ぐだろう。必ず、お前たちに復讐する!」
ヨハンは短剣を強く握る。それを自分の首へと当てる。
「だが、ひとつ悔いがあるとすれば……」
目の前に立つダヴィを、ヨハンは見つめる。歴戦の戦士は笑う。
「あの古城にいた小僧を殺さなかったこと。それが、我が生涯一番の後悔だ!」
そしてヨハンは自分の首へ短剣を突き刺す。頸動脈を切り、真っ赤な血しぶきが彼の灰色の髭に飛び散る。
ヨハンの目の力が段々と弱くなる。やがて彼の息は止まり、四肢がだらりと地面に横たわった。
彼の死は、ダヴィにとっても、感慨深かった。彼は屈強なファルム軍の象徴そのものだ。彼がファルム国中心の世界政治をコントロールしていた。
「一つの時代が終わった」
ダヴィはそう言って、目の前で死んだ老将を称えるのだった。
この戦いで、ファルム軍の騎士団「金獅子王の角」は全滅した。そして残りの精鋭部隊も追撃途中で、ミュールたちの伏兵に攻撃されて壊滅した。途中のドーナ川を渡れない兵士も多く、生き残って首都・ウィンに戻れた兵士の数は、当初集まった五分の一の、五千名だけだったという。
この作戦を立てたジョムニは、自分の手記にこう
『ファルム国の覇権は、この戦いで崩壊を始めた。この大陸の歴史が前に進み始めた瞬間である』
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