第29話『見えない影』

 ファルム軍は小休止の後、騎兵だけの部隊で追撃を再開した。絞れば汗が滝のように落ちる衣服を変えるも、相変わらず脂汗が肌ににじむ。それでも、ヨハンは強行した。


(ここでダヴィを捕らえなければ)


 彼の焦燥を他の者は理解できないだろう。ヨハンはダヴィを研究したあまり、ダヴィの影の巨大さに驚いた。まるで突然現れた怪物のごとく、ヨハンはダヴィを評価していた。


 さらに言えば、ヨハンは敵地に対して恐怖を抱いていた。ファルム軍は国外で戦ったことがほとんど無い。主に内戦が続き、何年も前にウォーター軍と戦った時も戦場は国内で、勝利が確定した後、首都に攻め入っただけだ。ファルム軍は他国の戦場に慣れていない。


(ダヴィは備えているだろう)


 この進軍先にある国境沿いの城もそうだ。敵はファルム軍が攻めてくることを見越して、国内で迎撃の準備をしているに違いない。そうなれば、もしかすると、大敗した教皇軍の二の舞になるかもしれない。


 だからこそ、ダヴィが敗北し、ファルム国内にいるうちに、彼を捕らえなければならない。


 ヨハンは部下を叱咤しった激励する。


「4つ目の城はすぐそこだ! その城に入られる前に、奴に追いつけ!」


 しかし、その想いは届かない。ダヴィ軍はよほどスピードを上げているのか、騎兵だけになったファルム軍はその影すら見つけられない。そしてとうとう4つ目の城に入ってしまう。


「クソッ! 奴らめ、どこへ行った?」


「父上! 奴らはもっと兵士の数を減らしました」


 オイゲンが聞いたところ、4つ目の城の住人がこう証言した。


『ダヴィ軍は三千もいなかったです。騎兵ばかりでした』


「そうか。奴らも騎兵の比率を増やしたか」


「まだ昼過ぎです。このままいくと、奴らは今日中に国境を越えます」


「うむ……」


 ヨハンは苦々しい表情を浮かべる。早く騎士団だけで編成するべきだった。ダヴィの後手にまわっている気がして、気分が悪い。彼は疲れた体に鞭打ち、気合を入れ直す。


「今日が正念場だ。ダヴィを国へ戻らせるな!」


 ファルム軍最強騎士団「金獅子王の角」は再び駆け出す。人馬共に重い鎧を着こむため、いくら鍛えているとはいえ、体は疲れ果てる。気力だけで進んでいく。


(ダヴィ軍に追いつく)


 この一念だけが彼らの身体を動かした。多くの者が聖女に祈り、この苦行を早く終わらせてほしいと願った


 しかしながら、聖女は無情だ。5つ目の城が見えてくる。


「お待ちしておりました、閣下!」


 その城には捕らわれていたベルム男爵がいた。長い間、牢屋に閉じ込められていたと見え、衣服は汚れ、長い髭や髪の毛にはふけが付いている。


 しかし彼は満面の笑みで、ヨハンたちを出迎えた。


「見苦しい姿で申し訳ありません。必死に抵抗したのですが……」


「ダヴィ軍はここに逃げ込んだのはいつだ!」


 殺気が混じるヨハンの言葉にたじろぎつつも、ベルム男爵は答えた。


「え、えーと、先ほどまでいました。ダヴィ軍の背中が東に消えた途端に、この騎士団の雄姿が西から見えてきたのです」


「よし!」


 着実に追いつきつつある。ヨハンは拳を握った。


 その姿に気を良くして、ベルム男爵は調子に乗った。


「奴ら、2千いたかどうかぐらいでした。やはりぽっと出の奴らの軍隊は意気地がない! 多くの兵士が逃げたのでしょう。この城に閉じ込めて、叩き潰しても良かったのですが」


「なら、なぜそうしなかった」


 ヨハンが強く睨む。マズいと思ったベルム男爵は「いや、私は捕まっていたので……」と言い訳しながら逃げて行った。ヨハンは彼を無視して、オイゲンに命ずる。


「奴らはすぐそこだ! もう夕方だ。陽が落ちる前に捉えるぞ!」


 これでダヴィに奪われた城は全て取り戻した。しかしこれでは元に戻っただけだ。彼らはダヴィ軍から戦果をもぎ取りたい。


(ダヴィを倒す)


 疲労と殺人衝動をため込んだ軍隊が、夕焼けに染まる道を進む。もう話す者はいない。時折出るうめき声と、馬の荒い息遣いが、足音に混ざって聞こえてくる。春の肌寒い夜風が、彼らの汗を冷やす。


 そうして、ファルム軍は見たくないものを見てしまう。


「着いたか……」


 目の前に巨大な城がそびえる。これはダヴィが国境に築いた城だ。つまり、ここはファルム国とダヴィの国との国境だ。ダヴィ軍は国境まで逃げることに成功した。


(やられた)


 ヨハンは馬の鞭の空中で振るう。彼のいら立ちがビュンという音に現れる。


(引き返すか)


 その時、オイゲンが指摘する。


「父上。城の様子がおかしい」


「なに?」


「もう暗いのに、明かりがありません」


 確かに、高い城壁の上には松明が輝いていない。兵士の姿も見受けられない。


 ヨハンは斥候を走らせた。斥候せっこうは城を一回りしてきて、報告をする。


「誰もいません。城門も半開きでした」


「父上。どうやらこの城も放棄した様子です」


 オイゲンは微笑む。騎兵だけで城を攻めることへの不安があったからだ。


「城を占領しましょう。そして休息を取るべきです」


「…………」


 ヨハンの勘が何かを告げていた。長年培った経験が、夕闇に落ちる城の陰影を余計に暗く見せる。


 だが、それ以上に、彼は疲れていた。手足は重く、思考は定まらない。そして彼の後ろにいる部下も同じ状態であると、敏感に感じ取っていた。


 ヨハンは決断する。


「城に入ろう。ここで味方を待つ。追撃は明日以降だ」


「分かりました」


 ファルム軍はいそいそと城へと入る。そしてやっと鎧の留め金を外し、重い体を地面に横たえる。輜重隊も置いてきたため、ろくな物資はない。しかしダヴィ軍が置いていった食料が彼らを出迎える。それを口にかき込み、人心地つく。


 ヨハンも食べながら、ぐるりとこの城を眺める。そして“不思議に”感じた。


(変わった城だ)


 完全に戦闘用に作ったらしく、一般の住民が生活していた痕跡はない。まだ造作途中だったのか、木材などがあちこちに置いてある。それはいい。問題は城壁だ。


(城壁が二重になっている?)


 普通の城なら、一般の区画と貴族の区画ごとに城壁で囲っていることが多い。しかしこの城は、間を開けずに城壁を二重に取り巻いている。一体化して、分厚い城壁となっている。


(一体、何のために? 城門は二重になっていなかった。これから工事を追加する予定だったのか)


 疑問は浮かぶが、食事を終えたヨハンの身体には眠気が襲いかかってきた。周りの兵士も同様である。考えがまとまることなく、ヨハンを始めとしたファルム軍は夢の中に入っていった。


 それが、最期の夢とも知らずに。


 ――*――


「貧乏くじだ」


「まったくだな」


 城壁沿いの階段を上りながら、ファルム軍の兵士たちは愚痴る。彼らは休むことを許されず、夜通し見張りをせよと命じられたのだ。体は疲れ切っている。この階段を上る足取りは、彼らの人生で一番遅い。


 やっと城壁の上に着くと、彼らもこの城の奇妙さに気が付いた。


「おいおい、あっちの城壁に行けねえじゃねえかよ」


 内側の城壁と外側の城壁が繋がっていない。いくら探しても、渡る手段がない。


「なんて工事してやがるんだ! 自分の城もまともに作れねえのかよ」


「どうする? また降りて、あっちへ渡る道を探すか?」


「そいつは勘弁だぜ」


 あの長い階段をまた上り下りすると思うと、彼らの身体の疲労が増したように感じる。彼らは逃げ道を探した。


「……まあ、いいんじゃないか。命令は『城壁の上で見張りをしろ』だぜ。ここも城壁の上だ。命令違反ではないさ」


 そう勝手に決めて、彼らは間隔を離して、内側の城壁の上で見張りを始めた。


 静かな夜だ。隣の兵士のあくびの声が聞こえるぐらいだ。槍を持ったまま、うとうととしている。早く夜が明けないものか。


 そんな彼らの目を覚ます音が聞こえてきた。


「なんだ?」


 下からパチパチと音がする。火が付いた木が弾ける音のようだ。奇妙なことに、城壁の真下から聞こえる。


 彼らは首をかしげる。その時、突然、地面が揺れた。


「地震だ!」


 グラグラと揺れる。そして大きな音と共に、城壁が崩れていくではないか。見張りの兵士たちは地面が無くなり、真っ逆さまに落ちて行く。


 だが、不思議なことに、崩れたのは内側の城壁だけだった。外側の城壁は全く動いていない。


「ちくしょう!」


 一人の兵士が決死の覚悟で、外側の城壁へと飛び移る。彼はギリギリのところで、片手で城壁の端をつかむ。


 ところが、その手は切り落とされた。


「ぎゃあああああああ!」


 断末魔が響き、その哀れな兵士は下へ消えた。その姿を、切り落とした張本人であるマセノが甘いマスクで微笑みながら眺める。


「残念だったね。次の挑戦を楽しみにしているよ」


 ダヴィも城壁の上に立っていた。崩れ去った内側の城壁の残骸と、騒ぎ出す城内のファルム軍の様子を眺める。


 そこへジャンヌとノイが駆けてきた。


「準備は終わったよ……あっ……終わりました」


「首尾は?」


「上々」


 ノイの短い報告に、ダヴィは頷く。そして剣を鞘から抜くと、高く掲げた。そして、その剣先を眼下のファルム軍へ向ける。


「ここが奴らの終着点だ! この城が奴らの墓場となる。さあ、盛大に出迎えるんだ!」

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