第31話『赤龍の戦い 1』
歴史において、ひとつの法則がある。記録される戦いの多くが、その戦いが行われた場所の名前で示される慣習のことだ。この物語でも「○○の戦い」と、地名を付記して表現してきた。
しかしこれから始まる戦いは、その法則から外れる。この時期、ナポラにおいて戦いが多かった事情もあるが、数多くの歴史家が今後の歴史の“ターニングポイント”となったこの戦いは、特別な名前で表現するべきだと感じたからだ。
金歴551年。山の雪が融け始めた初春。ナポラ近郊でダヴィ軍と教皇軍がぶつかった。
『赤龍の戦い』と、歴史書は記録する。
――*――
教皇軍の第一陣がナポラに近い南の街まで到着した。その報を聞いたダヴィ軍は、ナポラを出陣する。彼らは城壁などの防御設備の修復が遅れているナポラでの防衛戦を捨て、野外での勝負に賭けた。
その数、約4千人。これから20万人の大軍に挑む。
ダヴィ軍が城の門から出ていった。住民たちが歓声を上げて応援する。聖子女はその声を城の一室で聞いていた。
その隣にいるカリーナは思わず、ブツブツと祈りの言葉を呟く。聖子女が聞いた。
「何を祈る?」
「無論、勝利を。教皇軍を打ち破る奇跡を、聖女様にお願いしました」
「不要じゃ」
聖子女は断言する。カリーナは彼女を
「聖下は恐ろしくないのでしょうか。戦力差は明白。本当に奇跡でも起こらなければ」
「……ダヴィは余に宣言し申した」
出陣前、挨拶に訪れたダヴィは、聖子女に向かってこう言ったのだ。
『手はずは整いました。必ず勝利し、この地に安寧をもたらしましょう』
覚悟を決めた男の言葉は熱い。それを聞いた聖子女はその時、急に日光を浴びたように感じた。そしてその印象を、彼女は信じる。
聖子女はカリーナに言う。
「余も祈ろう。聖女様にジャマをしないようにと」
「ジャマ、ですか?」
「熱き魂は今、勝利をつかみに行ったのだ。その行く手を
――*――
教皇軍は3軍に分けて、それぞれ街道を進む。前回は最も大きい街道のみを進軍していたが、今回の規模では進軍のスピードが遅くなる。険しい山道を進んでいく。
彼らの構成は、主に3つに分かれている。1つが貴族の軍勢だ。以前はカラッチ公が従軍していたが、ダヴィ軍に解放されてから屋敷に引きこもり、今回は参戦していない。そして2つ目が旧クロス国の領地から徴兵した農民兵。数を増やす目的で集められ、兵士の質は悪い。
そして3つ目は教皇直属の騎士団だ。この軍勢が今回の軍の中心を担い、アンドレたちもその中にいた。アンドレは北の空を見つめる。
(さて、今回はどう抵抗してくるか)
教皇軍が森と森に挟まれた山道を進んでいくと、道を塞ぐように柵が張り巡らされていた。軍旗が立ち上る。陣だ。
「ダヴィ軍か」
と教皇軍の先陣の将が呟くと同時に、その柵の中から喚声が上がる。そこから出てきたのは、左目に眼帯をつけた、アキレスだ。馬に乗る彼の後ろから、続々と兵士たちが現れる。
アキレスはパルチザンを大きく振るって
「また現れたか、聖子女様の敵め!」
と彼が言うと同時に、旗が掲げられる。聖子女と修道院の象徴、白い真円のマークが描かれていた。その旗に、教皇軍が動揺する。
アキレスはニヤリと笑い、こう呼びまわった。
「聖子女様に逆らえば、月の国(地獄)に行くのは
「黙れ! 聖子女様をたぶらかして、そのような旗を掲げるとは。月の国に行くのはお前だ!」
と激怒した騎兵が、槍を持って飛び出してきた。アキレスはパルチザンを構える。
「さあ、ジャンヌとの練習の成果を見せる時だ」
アキレスの馬も駆け出す。馬同士がぶつかりそうになるぐらい近づき、騎兵が槍で突いてくる。
「死ね!」
アキレスは片目で見通していた。その槍を持つ腕が伸びた瞬間を狙い、真一文字にパルチザンを振るう。
突風のように振るわれた刀身が、騎兵の片腕を潰し斬った。分厚い鉄の鎧を着ていたにも関わらずである。
「がああああ!」
それが彼の最期の言葉だった。アキレスは再度馬を引き返すと、片腕を抑えて呻く騎兵の兜で覆われた後頭部に、パルチザンを振りおろす。ぐしゃりと音を立てて、騎兵の首は異様に曲がった。そして目や口、鼻、耳から血を噴き出し、彼の身体が地面に転がっていく。
ダヴィ軍は歓声を上げ、教皇軍は言葉を失う。アキレスは涼しげな表情で、教皇軍にパルチザンの先を向けた。
「さあ、次は誰だ! 来ないのか。では、こちらから行くぞ!」
アキレスが突撃する。ダヴィ軍も士気高く、その後ろをついて行く。教皇軍はあっという間に混乱し、その先陣は潰走を始めた。
その報はすぐに、アンドレの元に届けられた。ベルナールがその隣で微笑む。
「ああ、彼は愚かにも殺されに来たのですね。宜しいでしょう。小生が相手しに参りましょう」
「いや、それには及ばない」
「なぜ?」
「……お前たち『赤蛇の聖騎士団』にはナポラ破壊に尽力してもらわないといけない。それまで力を温存してもらいたい」
アンドレの言葉を聞き、ベルナールの口角がこれ以上なく上がる。そんなにあの街をめちゃくちゃにするのが楽しみなのかと、アンドレはおぞましいものを見るように横目で
しかしこのままにしては置けない。ジョルジュが彼に尋ねる。
「他の2軍でも、ミュール・ジャンヌ・ダボットらに
「焦るな。このまま押すんだ」
アンドレはここでも冷静だ。スキンヘッドの頭の中で、今までの経験を思い出す。どの戦いでも、数は力だ。
「細い街道だが、相手は非常に少数。攻撃を繰り返せば、補充が無い敵は疲れてくる。アキレスたちも不死身ではない。じりじりと追い詰めていけ」
その命令通り、教皇軍は押し相撲を続けた。アキレスやミュールに倒され続けようと、新手を繰り出して攻勢を続ける。
やがてアキレスは自軍の不利を悟った。自分自身はまだ平気だったが、味方の兵士が疲れてきている。ほとんどの者が肩で息をしている。
このままでは全滅しかねない。アキレスは味方に指示を出した。
「全員、陣に引け!」
アキレスは迫ってきた敵の兵士の首をすっ飛ばすと、兵士たちと共に陣へと戻った。教皇軍の指揮官が目を血走らせて命じる。
「このチャンスを逃すな! 敵陣になだれ込め!」
彼の
ダヴィ軍は十分な休息を取れていない。アキレスは苦々しい表情で、再び指示を出す。
「仕方ない。後ろの陣まで後退しろ! 撤退!」
ダヴィ軍はその陣を放棄して、北へと逃げていった。次の陣があると聞き、教皇軍の兵士は動揺する。しかし指揮官は平静を保った。
「構うな! 敵は数が少ない。いずれはナポラにたどり着く。アンドレ様からもゆっくりと戦えと指示があった。着実に追い詰めていくぞ」
他の街道でも、ダヴィ軍は疲れ果てた。そしてミュールたちが撤退命令を出す。
「ちくしょう! 撤退しろ!」
「お前たち、退くぞ。早く行け!」
「あたいについてきて。一度、退くよ!」
ダヴィ軍はせっかく建てた陣に火を放つ余裕もなく、そのままにして撤退する。教皇軍はその陣を占領して、休息をとった。
もう日が暮れる。教皇軍は侵攻を止めて、その陣でひとまず休む。
徐々に、北に迫っていく。
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