第19話『酒場前騒動』
まだ粉雪が舞う季節。怪しい薄雲が流れる天気の下で、ダヴィたちは募兵を行った。ミラノスなどの街の広場に概要を書いた札が立てられると、すぐに男たちが集まってきた。希望者は多い。
この時代、異教徒を駆逐した土地を開墾した結果、食糧生産量は飛躍的に増加した。そのため人口も増え、農業労働からあぶれた人々は都市に流れてきた。残念ながら労働集約型の工場はまだ発達していなかったので、都市でも仕事にありつけず、スラムが急速に形成される結果となる。
ダヴィの常備軍には、こういった浮浪者を救済する社会的役割も担った。
「盛況だね」
「ええ。予定人数はすぐに集まりそうです。ジョムニが言うには、統率はダボット殿に頼むらしいです」
「この人数を? もう一人付けたいものだけど」
数千人規模の新兵を統率するのは、いかに経験豊富なダボットでも難しいだろう。せめてアキレスかミュールは付けたい。
しかし、ファルム国との決戦が控えている以上、多くは割けない。
「悩みどころですね」
「ああ……ところで、どこまで見回ればいいのかな」
とダヴィが言うと、馬を並べるアキレスがムッとして睨んできた。
「ダヴィ様をが、民衆にしっかりと尊敬されるまでです!」
彼らの後ろには多くの兵士が連れられていた。ブーケに乗るダヴィはとても大きく見え、彼らの姿は民衆を威圧する。
その割に、ダヴィは肩を落としていた。こうやって街を見回るのは、彼の意志によるものではない。
「勝手に城を抜け出した罰です。ましてや靴磨きなど」
とアキレスが怒りながら見張るから仕方ない。
先日ダヴィはしっかりと変装して、裏通りで靴磨きをしていたはずだった。それなのに、飲み帰りのライルとスコットに見つかってしまった。
『だ、だんな! 何しているんですか?』
『だめだよ、だんなあ。怒られちゃうよ』
と言われて仕方なく、彼らと一緒に隠れて帰った。ところがスコットがジャンヌにうっかり言ってしまい、バレてしまったのだ。
その結果、こういう罰を受ける始末だ。アキレスの潰れた目の隣のこめかみがピクピク動く。
「ダヴィ様のためにやっているのです。反省してください」
「分かったよ……」
王とは不自由なものだ。ダヴィは盛大にため息をついた。大きな白いもやが口から湧き出て、喧噪なミラノスの街の空気へと消えていった。
(今度はもっと上手くやろう)
「ダヴィ様、あれはなんでしょうか?」
とアキレスが指をさす。大通りの一角から騒がしい声が上がっていた。
どうやら喧嘩のようだ。
「てめえ! 急に割って入ってきやがって!」
男三人組が酒場の前で怒っている。その繕っていない毛皮の衣服を風体を見ると、この辺りの町人や農夫ではない。異教徒か。
「しょうがないじゃないか。彼女の目が君たちじゃなくて、僕に引き寄せられただけさ。自明の真理だよ」
(おや、あれは?)
密かに近づいたダヴィの目に捉えたのは、先日会った男、マセノだった。今日も派手な服装で、それに負けない華のある顔を見せていた。長いまつ毛が伸びる切れ長の目で、男たちを睨んでいた。
彼らの周りには、店の従業員の女性たちがいた。男たちは彼女たちも睨む。
「いつも通っている俺たちを差し置いて、こいつをひいきにしやがって。どういうつもりだ!」
「いつもって言っても、この街に出入りが出来るようになってからだろう? まだ一年も経っていないじゃないか。それに、彼女たちも異教徒に給仕するのは嫌だったんだろう。可哀そうに」
「このヤロウ!」
男のうちの一人がマセノに殴りかかってきた。しかしマセノは振り下ろされた拳をサラリと避けて、自分の長い足を滑り込ませる。あっという間に男は転び、土煙が舞った。その動きに、アキレスがダヴィに耳打ちする。
「何者ですか? ただの民衆とは思えません」
マセノは顔色一つ変えない。男をひっかけた自分の足の汚れを払う。
「汚い身体で触れないでくれ。服が汚れる」
「許せねえ」
男たちは荷物から短剣を取り出した。それを見て、マセノの目が鋭くなる。
「……このミラノスでは、兵士以外は路上で剣を持つことは禁じられている。それを知っているのかい?」
「うるせえ! てめえとこの酒場をボコボコにしてやるよ!」
アキレスが飛び出そうとする。しかしダヴィが押し止める。
「ダヴィ様、なにを?!」
「もう少し」
ダヴィの視線はマセノに向いていた。
マセノは腰から細身の剣をぶら下げていた。しかし彼はそれを手に取らない。男たちの目を観察する。彼らの目は血走っていた。
「絶対に殺してやるからな!」
マセノは一歩、男たちに近づく。その最中、酒場の女性たちをちらりと見た。ダヴィはそれを見逃さなかった。
そして深々と、マセノは頭を下げた。
「は?」
「すまなかった……この通りだ……」
彼の長い黒髪が垂れる。男たちは彼の態度の急変に驚いた。しかし気を取り直して、げらげらと笑う。
「こいつ、ビビりやがった。くはははは! おらっ! そんなんじゃ足らねえよ。もっと頭下げろ!」
マセノは地面に手を付き、頭を再び下げる。彼の黒髪に土がついた。
男たちは調子に乗って、笑い続ける。
ダヴィの目が光る。彼はただ者ではない。
「下らねえ奴だぜ。さあ、こいつの情けねえ顔も見たことだし、飲み直すぞ……」
「そこまでだ」
突然、彼らの後ろに巨大な影が現れた。後ろにいた男2人が驚いて振り返ると、それぞれの顔をわしづかみにされた。その片手を離そうと両手であがくが、びくともしない。万力のごとき強力な力に悲鳴を上げる。
巨大な男はその二人を放り投げ、他の男たちの上に落とした。
「ぐえっ!」
その衝撃で半数が気絶した。まだ立ち上がろうとする男は、彼の姿を見て、正体に気づいた。
「わっ! ノイじゃねえか!」
「『スイスト山地の黒熊』じゃねえか! おめえも自然の神を信仰する、俺たちの仲間じゃねえか。なんだって、あのキザ野郎に味方するんだよ!」
ノイはじろりと大きな目を動かし、口を小さく動かす。
「恥を知れ」
と言うと、残っていた男たちの頬を叩いた。バチンと周りに出来ていた人垣全てに聞こえる音を立てて、男たちは気を失った。
「やれやれ。これだから異教徒は、野蛮で困るね」
その声に、ノイは振り向く。いつの間にかマセノが立ち上がり、ノイに軽蔑のまなざしを向けていた。ノイは静かに言う。
「お前のためではない」
「だったら尚更だね。自分の気分を晴らすために、暴力をふるったのか。彼らは怒りを鎮めて、場は収まったじゃないか。それをこんなことにしちゃうなんてね」
マセノは肩をすくめる。ノイの黒い巨体を前にしても、彼は全く動じない。先ほど土下座した人物とは思えなかった。ノイは答える。
「
「
ノイのこめかみがピクリと動いた。殺気がこもる。さすがのマセノも左足を一歩引き、構えた。
「その二人、待った!」
人垣からダヴィとアキレスが出てきた。それに続いて、兵士たちも出て来る。
「そこでのびている男たちは連れていけ。牢屋につないでおくんだ」
ダヴィは二人の間に割って入る。マセノはお辞儀し、ノイは身動ぎせずにダヴィを見つめた。
「これはこれは、国王陛下。もう少し早く来て頂けたら良かったのですがね」
「…………」
アキレスがダヴィに近寄る。
「男たちは収容しました。この二人はどうしましょうか。特に迷惑をかけたということでは無いようですが」
しかしダヴィは興味を持った。二人とも尋常な人物ではない。
「連れて行ってくれ。城で話を聞こう」
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