第2話『古い壁を壊せ』

 金歴551年初夏。木々の葉は生えそろい、人々の服から綿が抜かれる。風は日を追うごとに暖かくなり、街を歩く人の足取りが軽くなる。高くなる太陽が石造りの街を暖色に染める。


 そんな陽気の晴れた日、ロースの街は喜びに包まれた。街の人は仕事の手を止めて、こぞって大通りの端に並ぶ。


 そこへ兵士たちの隊列がやってきた。先頭を進む騎兵が、人々に呼びまわる。


「聖子女様、ご帰還!」


 一気に、大勢の声がわき上がった。口々に「万歳」と叫び、拍手や手を大きく上げるなどして、喜びを表す。


 そしてダヴィ軍の旗が進む中で、ひと際大きな旗が現れる。


「聖子女様だ!」


 子供が指さしたのを、母親がその手を叩いた。しかし他の民衆も気づき、その旗と一緒に進む馬車を見て歓声が上がる。きっとあの中に、聖子女様がおられるのだ。


 馬を並べて進むアキレスとジャンヌは、この街の様子に微笑む。


「戦ったかいがあったじゃないか」


「あたいはちょっと複雑な気持ちだけどね」


「どうして?」


「だって、あたいは異教徒だよ! 本当ならこの正円教の本拠地に入れなかったし、入りたいとも思わなかった。それなのに聖子女を護衛しながら一緒に入城するなんて」


 ジャンヌは感慨深げに周囲を見渡す。ここの民衆は世界の中で正円教を最も信仰しているはず。異教徒への軽蔑も激しいだろう。そんな彼らが褒めたたえる中を行進するなんて、考えもしなかった。


 アキレスは、素直に笑えないジャンヌに対してニヤリと笑う。


「でも、気持ちいいだろう。勝利の味は違う宗教でも一緒のはずだ」


 ジャンヌはツンと口を尖らせた。そして表情を笑みに変えて答える。


「まあね!」


 大聖堂の前では、埋め尽くすほどの修道士や司教が待ち構えていた。このロースや近隣に在住する彼らの数は、千人を下らない。全員白い僧服を身に着け、石畳の広場を覆っている。


 彼らは聖子女の馬車が到着すると、一斉に頭を下げた。彼らの中から一人が進み出て、馬車の前に立つ。


 馬車の中から、カリーナ典女が出てきた。出迎える彼に、固い表情のまま謝意を伝える。


「大司教、ご苦労です」


「お待ちしておりました、典女猊下げいか。世界中の信徒がこの日を待ちわびていました」


 カリーナは頷き、馬車の扉を大きく開ける。


「聖子女聖下のおなりです」


 修道士や司教たちがもっと腰を折り曲げる。中には感極まって、泣き出す者もいた。


 ところが、馬車から出てきたのは聖子女だけではなかった。


「さあ、聖下。降りますよ」


「うん」


 正装したダヴィが、聖子女の手を引いて馬車から降りて来る。そして聖子女の手を握ったまま隣に立った。大司教は唖然とする。思わずカリーナに確認した。


「これは……」


「…………」


 カリーナは何も言わない。この態度から察するに、彼女も聖子女も承知済みなのだろう。大司教は困惑しながらも、再び頭を下げて出迎えた。


 周囲にいる千人以上の群衆も目を丸くする。彼らは信徒として私語をつつしむ理性を働かせながら、周りと目で会話する。泣いていた者の涙はピタリと止まってしまった。


 その戸惑いの空気の中を、ダヴィと聖子女は大聖堂内部へと進んでいく。その間も、彼らの手はしっかりと繋がれていた。


 ――*――


「さぞや、驚いたでしょう」


「ああ、そうだね。異様な空気だったよ。俺をにらみつける視線も感じたね」


とダヴィがジョムニに感想を伝える。ここは大聖堂内の一室。聖子女を迎える儀式に参列した後、疲れた体を椅子に乗せていた。


 最初から車いすに座るジョムニは、クスリと笑う。


「聖子女様が男と手をつないでいる姿を見れば、私だって驚きましたよ」


 このダヴィが聖子女の手を引いた行動は、ダヴィ側が提案した政治パフォーマンスである。祭司庁には教皇の復権を狙う一派が残っている。そんな彼らに対して親密さを見せて、ダヴィと聖子女の仲を裂く謀略を未然に防ぐ狙いがあった。


 この提案にカリーナは反対した。しかし聖子女が賛意を表したため、カリーナが渋々従った状況があったと、一筆残しておく。


 この部屋にはルツもいた。彼女は立ったまま、ジョムニに文句を言う。


「いささか強引ではありませんでしょうか? 睨まれたとお兄様がお感じになったなら、それは反感を買ったとみるべきですわ」


「あれぐらいインパクトが無いと、意味がありませんよ」


「露骨すぎますわ! あなたは自信過剰なんです。そんなことをしていると、また失敗しますわよ」


とルツに叱られ、ジョムニは顔をしかめて帽子を深くかぶる。痛いところを突かれたようだ。ダヴィはその表情に微笑みながら、仲裁に入る。


「まあまあ。聖子女様も不快ではなさそうだったし、いいんじゃないかな」


「それはそうですけど……」


「話を変えますが、露骨と言えば、戴冠たいかんの件はいかがしますか」


とジョムニが尋ねる。戴冠たいかんとは、聖子女がダヴィに王冠を授与する儀式を表す。元々ダヴィの地位は教皇に戴冠たいかん式を通じて与えられた。その後ダヴィが彼に歯向かった時点で、ダヴィは政治的な地位を失った。それを改めて“王”と任命しようと、カリーナが提案してきたのだ。


 しかしダヴィは首を振る。


「せっかくだが断ろう。思い返せば、教皇に戴冠たいかんされたのが間違いだった」


「どういうことですか?」


「王の地位は与えられる称号ではないと思う。俺は民衆から認められて“王”になりたい」


 ダヴィの言葉が2人の胸を打つ。ジョムニはため息と笑みをもらし、ルツは微笑みを浮かべて頷いた。


「また困難な道を進まれるのですね」


「ごめんね、ジョムニ」


「お兄様らしいですわ」


 ジョムニは次の議題に移る。


「貴族たちの処遇です」


 旧クロス国内には教皇に従った多くの貴族が残っている。現在は彼らの多くが沈黙を保っているが、中にはダヴィに親書を送る者もいた。その内容は『教皇に脅されて仕方なく敵対した』とか『教皇に本物の聖子女ではないと騙された』など、鼻で笑いたくなる弁解が羅列されていた。しかし酷い内容もあった。


『教皇の領地と財産を分け与えよ。我々にはその権利がある。聖子女様を支える者同士、共に繁栄しよう』


 ダヴィはその手紙を読んだ瞬間、その貴族の恥知らずさに吐き気を覚えた。そしてすぐに暖炉にくべてしまった。


 しかしながら、貴族たちが無視できない力を保有しているのは事実だ。特にクロス国崩壊から続く戦乱に巻き込まれなかった旧クロス国南部を領有する貴族たちは、隠然たる実力を持ち続けている。彼らを放っておくのは危険だ。


 ダヴィは腕を組んで考える。その前で、ジョムニとルツが議論を始めた。


「他国と同じようにしたらいいのでは? つまり封建制を取って、お兄様が領土の保有を認める代わりに、忠誠を誓わせるのですわ」


「それは難しいと思います。貴族たちは歴史と地位を重んじます。失礼ですが、ダヴィ様の血統の名声は、彼らの血統に劣っています。彼らが素直に従うとは思いません」


「あら? 私たちの血統では不満だと言うのですか」


「あくまで彼らの思想では、ですよ。そんなに目くじら立てないでください」


「ふん! そんなに血統が大事なら、それだけを頼りにどこかへ行ってほしいですわ。お兄様は教皇に勝った実力者です! 古来から、信念無き者は力に屈しますわよ」


「そんなに甘くないと思うのですが……」


とジョムニが青いキャスケット帽を取って、黒い髪をかき上げる。彼にはもう一つの懸念があった。仮に貴族たちを味方に引き込んだ場合、彼らを政治に参画させないといけない。そうなれば、血筋が怪しいジョムニやミュールたちを排除して、自分たちだけでダヴィの周囲を固めようとするだろう。そして最後には、ダヴィの暗殺も考えるかもしれない。


 そんな懸念を抱いて、渋い顔をするジョムニ。ダヴィは腕を解いて、答えを出した。


「味方にはしない」


 ルツが眉間にしわを寄せて、質問する。


「えっと……どういうことですか?」


「貴族たちは教皇に味方した。その罪を責めて、領土を全て没収する」


 ルツは目を丸くし、ジョムニは椅子から身を乗り出して諫めようとする。


「ダヴィ様。それは拙速せっそくすぎるかと」


「ジョムニ。貴族たちはきっといつか裏切る。彼らを排除するには、このタイミングしかないんだ。それに、今の俺たちには力がある」


「それは『教皇の遺産』のことでしょうか」


 ダヴィは頷く。『教皇の遺産』とは、アレクサンダー6世が置いていった莫大な額の財産と、彼が直接治めていた領土を示す。ダヴィは再び祭司庁が力を持たないように、それらを接収したのだ。それは清廉な宗教を目指す聖子女と修道院の代表であるカリーナの意向にも沿っていた。


 教皇が直接治めていた領土には、元々貴族はいない。それらの地域の民衆の代表者は聖子女の意向に従って、ダヴィに服従すると決めた。ダヴィは現時点でも旧クロス国の半分以上を直接治めている。


 その力を行使するべきだと、ダヴィは感じていた。


「義勇兵はますます集まってきている。そして新たに募集した兵士と合わせて大規模な常備軍を編成すれば、貴族たちの軍勢は恐れるに足りない」


「今後も戦いの都度徴兵せずに、常に訓練させた軍を準備させるのですか?」


「うん。ナポラと同じ方式で、統治を行いたい」


 ジョムニは頭の中で計算する。各国が常備軍を編成できない理由は、その維持費が膨大だからだ。農業などに従事しない集団が増えれば、国力の低下にもつながる。


 しかし今ならその問題は解決できる。教皇の財産は一国の国家予算の数十年分に匹敵している。さらに人口密集度が世界でも一、二位を争う旧クロス国において、兵員に出来る余剰人口も多い。それは義勇兵に志願する者が多い理由の1つである。


 ジョムニは顔をしかめる。


「常備軍の鍛錬には時間がかかります。新しい政治制度が浸透するにも、かなりの期間と準備を要するでしょう」


「それでも、やるんだ。この機会を逃せば、この先百年は同じ政治が続いてしまう」


 ダヴィはニヤリと笑う。


「歴史的な改革のチャンスだよ。これがしたかったんだろう、ジョムニ?」


「…………」


 ジョムニは黙った。ダヴィは「とりあえず」と続ける。


「正式にはナポラに帰ってから全員を集めて決めるが、これを基本方針としたい。ルツ、会議前にこの方針を出席者に告知しておいてもらえるかな」


「分かりました」


 議論は終わり、ルツはジョムニの車いすを押して部屋を出ていった。冷ややかな大聖堂の石の廊下を進みながら、ジョムニはふうと息をつく。


「無茶をするのは、私ではなく、ダヴィ様でしょう。何度も言うようですが、自分から難しい道を選ばれるとは」


「ふふふ、そんなこと言って。頬が緩んでいますわよ」


「えっ?」


 ジョムニ自身でも気が付かないうちに、彼の顔に笑みが灯っていた。ジョムニは自分の素直な気持ちに呆れる。


「やれやれ。これから大変なのに、喜ぶなんて」


「そんな気持ちを抱けるから、私たちはお兄様について行くのですわ」


「まったく、その通りですね」


 幸いにも、今は時間がある。教皇は逃亡し、現状の敵は数少ない。旧クロス国の平定に集中できる時期だ。ジョムニは覚悟を決める。


「さて。革命を起こしましょうか」


 そんな彼の呟きに、ルツは微笑んだ。彼女もまた、覚悟を決めた一人だ。


 しかしながら、動き出した時代は止まらない。彼らに一息つく猶予ゆうよさえ与えなかった。


 この2人がそれに気が付いたのは、もう少し夏に近づいた頃だった。

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