第3話『忠実なる王』

『……ファルム国は歴史で出来た国家だ。金獅子王の時代に築かれた首都・ウィンの通りの一つ一つに歴史が眠っている。道の端に座っていた老人に尋ねてみると、その数百年の記録を長々と語ってくれた。この街の住民に挨拶すると、最初に先祖の由来を尋ねられる。金獅子王の時代まで遡らないと、次の会話に移れない。古来からの伝統を守り、意味の無くなった慣習に従い、心を安らげる。彼らの心の中にはまだ、金獅子王は息づいているのだ……』(アルバード2世旅行記より抜粋)



 教皇・アレクサンダー6世を乗せた十台の馬車がファルム国の首都・ウィンの王宮に到着する。そこから降りた教皇に待っていたのは、盛大な歓迎だった。


「こうでなくては」


と教皇は独りごちる。満足げに頷いた。


 ラッパや太鼓で勇ましい曲が流れる。大勢の兵士が槍を逆さに持ち、整列して微動だにしない。地面に敷かれた絨毯じゅうたんは新品だろうか。つややかに教皇の靴を撫でる。


 ここに至る道中も、歓待の嵐だった。各都市で貴族たちが笑顔で出迎え、民衆も沿道に並んで歓声を上げる。この一様の反応の裏側に、ファルム王家の意志を感じ、教皇はウィンに進むにつれて、気分が高揚してきた。


(これが正しい反応なのだ)


 クロス国にいた頃は、祭司庁の司教さえ腫れ物を扱うようだった。修道士たちからは憎しみを込めた視線を感じ、民衆の目から敬意が薄れていく。自分の権威が徐々に崩れる感覚に耐えかねて、亡命直前には儀式にも出ず、部屋に引きこもっていた。


 しかしファルム国では違う。ここでは自分は権威ある教皇なのだ。


 側近たちと共に絨毯じゅうたんを歩いていくと、その先に立派な服とマントを身に着けた、長い髭を生やす初老の男が待っていた。


「ようこそ、教皇猊下げいか


 手を広げて満面の笑みで迎える。教皇も笑みで返した。


「盛大な歓迎痛み入る。ファルム王陛下」


 ――*――


 厄介なものが舞い込んだ。ヨハン=セルクスは馬車の中で悩み、白いものが混じり始めたグレーのあごひげを何度も撫でる。


 ウォーター国からの帰り道。手厚い歓迎を受けて浮かれていた自分に、冷水をぶっかけられた気分に襲われた。下唇を噛み、油断していた自分を戒める。


(しかし、もう遅いかもしれない)


 ヨハンは自分の屋敷にも寄らず、一目散に王宮へ向かう。そして面会した王から聞いたのは、予想通りの言葉だった。


「教皇様の要請を承諾した」


 ヨハンはがっくりと肩を落とす。そして長年仕えている王に、苦言を呈した。


「陛下、火中の栗を拾うようなものです。どうせ教皇様はダヴィの追い出しを頼んだのでしょう」


 ファルム王・ルドルフ7世は微笑んでいた目を丸くさせた。


「いけなかった、か?」


「あえて戦争を起こすマネは止めてください。我が国がようやくつかんで平和を捨てるおつもりですか?」


 ファルム国は何度目かの全盛期を迎えていた。西の雄ウォーター国との戦争に勝利後、属国化に成功した。レオポルト王子排除後は国内情勢も安定している。ウッド国やゴールド国とも良好な関係を築き、ソイル国の襲撃も最近はない。内外共に懸念が無い状態だった。


 しかしクロス国の崩壊と教皇の凋落ちょうらく、そしてダヴィの台頭がその世界政局を大きく変えてしまった。


「我が国含め、各国の世論は聖子女様に味方しています。それに、国内にまだ過激派が多く存在します。それをお忘れか?」


「むっ……」


 ヨハンが言う過激派とは、レオポルトを支持していた進歩派を示す。彼らは祭司庁の権力低下を主張し、国内の司教・司祭の叙任権を国王に委譲させ、祭司庁に収める税金の減額を求めた。レオポルトの死後、ルドルフ7世を支持する保守派に押しつぶされて、影をひそめた。しかしその根は残っているはずだ。


「陛下を支持する貴族たちでさえ、聖子女様への教皇様の行為には批判の目を向けています。国内での宗教論争を巻き起こしかねません」


「……しかしな、そうは言うが」


とルドルフ7世は反論する。長い髭を撫でながら、ヨハンをなだめるように主張する。


「そもそも私がこの地位にいるのも、ウォーター国が矛先を収めて属国になったのも、先の教皇・ベネディクス8世猊下げいかと現教皇・アレクサンダー6世猊下げいかのおかげだ。教皇様と我が国は常に同じ方向を見ている」


「それは……」


 確かに、ルドルフ7世が先王の跡継ぎになった決め手は、当時の教皇・ベネディクス1世の後押しがあったからだ。教皇に対して恩義を感じるのは当然だ。


 しかし同じ方向を見ているわけではないと、ヨハンは思う。


(祭司庁にとって扱いやすかったからだ)


 祭司庁を盲目的に支持するルドルフ7世は、教皇にとって理想の君主だ。祭司庁の利益にかなっているから、彼を支持しているだけだ。


(陛下は誠実すぎる)


 ヨハンは危惧する。恩に報いたい気持ちは分かる。しかし政治には損益計算と腹黒さがある程度必要だ。だから彼は面白みが無く、凡庸だと評価を受けている。


 ルドルフ7世はもう一度主張する。


「教皇様の復権はわが国の安定と平和につながる。ヨハン、分かってくれ」


「…………」


 彼を「ヨハン」と呼べるのは、幼い頃から付き合っているルドルフ7世だけだ。ヨハンは彼はいつもはすぐに意見を曲げてしまう優柔不断さを持っているが、教皇がらみとなると頑なに主張を変えない。長年の経験から知っている。


 ヨハンはふうとため息をついた。そしてグレーの短髪をかき、不安そうにこちらを見るルドルフ7世に答える。


「仕方ありません。その方針に従いましょう」


「おお! そうしてくれるか」


「ただ、急に軍を起こす作戦には反対します。まずは相手の出方を見ましょう」


 ヨハンは部屋にいた侍従に命じた。


「筆とすずりを持ってこい。陛下にダヴィへの問責状を書いて頂く」

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