第8話『道しるべ』

 北から吹く風が一層強まってきた。雲が動く。ブーケのタテガミが荒々しく舞っている。


 先頭を行く太い三つ編みが馬上から振り返った。


「ねえ、ダヴィ。嫌な天気だよ。ちょっと休憩しようよ」


「この先に町があるはずだ。そこまで行こう」


 分かった、とジャンヌは頭に巻いた緑のバンダナを締め直し、北から吹く風に逆らって進んでいく。


 今度は後ろから、ライルとスコットの声が聞こえてきた。


「砂ぼこりで何にも見えねえや!」


「だんなあ、どこー?」


「ここだよ!真っすぐ来てくれ」


 相変わらず馬の扱いが下手なようで、2人はよろよろと進んでいく。その背中を、追いついてきたアキレスが槍でこづく。


「ほら、後ろの荷馬車がつかえているぞ。早く進んでくれ」


「分かってるよ!この馬が言うこと聞かねえんだ!」


「進ませたいなら、馬に言ってくれえ」


 彼らの文句に、ブーケがフンと鼻を鳴らしてた。ダヴィの前に座るジョムニもクスクスと笑う。


「本当に愉快な方たちですね」


「そうだね」


 これから冬になるというのに、寒い北国に向かっている。愉快と言うよりも、変なやつらだ、とダヴィは苦笑した。


 ――*――


 ダヴィたちはやっと小さな町に入った。フォルム平原もあらかた過ぎ、この街を過ぎれば、いよいよバルツ山地を抜けて、ファルム国からソイル国に入る。


 馬を宿の隣につないだアキレスが、なにかを見つけて、ジャンヌに話しかける。


「なあ、ジャンヌ」


「なにさ」


「あれをどう思う?」


 この頃、また身長が伸びたアキレスが指さした方を見ると、ダヴィがブーケから先に降り、ジョムニをゆっくりと下ろしている。そして組み立て式の車いすを組み上げ、ジョムニを誘導して座らせた。


「あれでは召使いじゃないか」


とアキレスは顔をしかめながら言う。ジャンヌもうーんとうなりながらも擁護した。


「足が使えないんだから、しょうがないじゃないか」


「それでも、我らが大将にあんな真似をさせるなんて、いいものだろうか」


「そんなこと言うなら、あんたがやればいいじゃないか!」


 アキレスは黒い短髪の頭をポリポリとかく。それはやりたくなかった。


「あのジョムニというやつを、まだ信用していない。そんなやつの世話は出来ない」


 それだけ言うと、アキレスは積み荷のチェックに向かった。その背中を見ながら、ジャンヌも内心頷く。


(いったい、何者なんだろうね、あの子)


 ダヴィたちは行商人用の宿屋に泊まり、そこで量だけは多い夕食を食べ終えた。ジョムニが片付けられた食卓に、地図を広げる。


「これで全行程の半分は過ぎました」


 彼らが向かっているのはソイル国である。大きな積み荷と一緒に、クロス国・ファルム国を抜けて、北へと向かう。


 目的は交易ルートの確立である。


「今までのルートでは、さほどの危険はありませんでした。一度襲われましたが、西の大きな街道を使っていけば大丈夫でしょう」


 一昨日、積み荷を目当てにした山賊に、道中襲われた。しかしアキレスが槍をいで3人をあっという間に倒し、ジャンヌが首領らしき男の喉に矢を突き立てると、すごすごと逃げていった。あの程度なら、並の護衛でも勝てるだろう。


 ジョムニが検証を続ける中で、ライルが言う。


「これで、あの頑固おやじが喜ぶのかねえ?」


「喜びますよ。必ず」


と、ジョムニは断言した。


 ダヴィがイサイに持ちかけた商談とは、『イサイの持つ情報』と『ソイル国との交易ルートの確立』の交換である。イサイを含めたフィレスの商人にとって、ソイル国は未知の領域であった。その一方で、ファルム国の一部商人からもたらされる、ソイル国の毛皮や毛織物は垂涎の的である。その巨利を放置するわけにもいかない。


 ダヴィがそれを提案した時に、イサイの目が光った。ルツたちを通じて、ダヴィがソイル国の女王と親交が深いことを知っていたからだ。その様子を見て、ダヴィがもう一押しする。


『女王陛下への贈り物を用意していただけますか?彼女から交易許可証を受け取り、モスシャの市場にイサイ様の拠点を構えましょう』


『……分かった』


 こうして商人としての父親と握手を交わしたダヴィは、現地に派遣予定のイサイの部下と積み荷を連れて、ジャンヌたちと共にソイル国へと向かっているのである。勿論、トリシャたちサーカス団はフィレスで公演するため、一緒にはいかない。


 置いてけぼりにされるルツ・オリアナからは、口々に文句を言われた。


『お兄様ったら、またあんなところに行くのですか?!こんな可愛い妹たちをほっておいて』


『……やだ、一緒に行く……だめ?』


 渋る彼女たちをやっとの思いで説得したが、一番怒っていたのは恋人の方だった。


『ダヴィはあたしと一緒にはいたくないの?……ふーん、そうなんだ。どうしても行くのね。いいわ、こんな甲斐性のないダヴィのことは忘れて、仲良く暮らしましょうねー、エラ?』


『あーりゃ?』


 エラのくるくるの金色の頭を撫でながら、ブツブツと不満を口にするトリシャを抱きすくめたり愛をささやいたりと、頭を悩ませながらも、ダヴィはやっとここまで来たのだった。


 明日の行程の確認を終えて、ダヴィは椅子から立ち上がった。


「僕は読みたい本があるから先に戻るけど、ジョムニはどうする?」


 車いすの彼を気づかって声をかける。同室のダヴィが世話をする方が良いだろう。しかし彼は首を振った。


「ジャンヌさんたちと話をしたいので、あとから行きます」


「そうかい?それじゃあ」


とダヴィは二階へと昇っていった。ジョムニが向き直る。


「それで、皆さんに教えてほしいのですが――」


「それよりもさ、なんであんたが一緒についてきているのさ?」


 ジャンヌの問いかけに、アキレスたちも頷く。車いすの彼が旅をすること自体が辛いことだし、第一、ダヴィの旗揚げのための行動に付き合う必要はないのだ。


 ジョムニはなんだそんなことか、と鼻から息を吐いて答える。


「彼に興味を持ったからですよ。彼の有能さは師から聞いていましたが、その行動や考え方を直接感じたいと考えていました。それには一緒に旅をすることが一番でしょ?」


「……もしかして、お前さんはそのために、ダンナに提案したのか?交易ルートの確立はおまけだったのか?」


「一石二鳥でしょう?」


 ジョムニの微笑みに、一同が顔を見合わせる。ダヴィを含めて自分たちは、この青い帽子をかぶる少年の手のひらで踊らされていたのだ。


 それよりも、と唖然とする4人に、ジョムニは尋ねる。


「あなた方はなんで彼に従っているのですか?」


「なんでって……」


「今は全員が流浪の身。給料もサーカス団頼みであれば、他の働き口もありましょうに。特にアキレスさんやジャンヌさんはどの領主に雇われてもおかしくない腕を持っている。それなのに、ダヴィさんについて行く理由が知りたいのです」


 う~ん、と4人は思い思いに悩む。確かに、彼の言うことはもっともだ。


 最初に口を開いたのは、アキレスだった。


「俺はダヴィ様以上の指揮官はいないと思っている」


「例えば、どういう点がですか?」


「指揮官には色々な能力がある。戦場での駆け引き、陣の組み立て、諜報活動などだ。しかしダヴィ様が優れているのは、もっと根本的なこと、つまり兵士から慕われることだ」


 ヌーン国との戦い。絶対的に不利な状況でも、ダヴィが率いるウォーター軍からは脱走者は皆無であった。その原因は、従軍した兵士からダヴィが信頼され、尊敬すらされていたからである。


 アキレスの言い分に、ライルとスコットが頷く。彼らはファルム国に取り囲まれた籠城戦から知っている。


「あの若さで、あんなに統率力があるお方はそうはいないぜ。あの籠城戦でも、食料が尽きた後も耐え抜いたなんて、他では聞いたことがねえ」


「うん。みんな、だんなのことが好きだった」


「ダンナが人の上に立たないなんて、世の中おかしいぜ。聖女様に誓っても、あの方は偉くなるって信じているんだ」


「ダヴィ様は不思議な魅力をお持ちだ。俺たちはそこにかれている」


「んだんだ」


 ジョムニは興味深そうに、何度も頷く。そして、まだ話していないジャンヌの方を見た。


 彼女の理由は違っていた。


「あたいは……草原しか知らないちっぽけな存在だった。そんなあたいをダヴィは連れ出してくれたんだ」


 初めての国外。多様な生活や文化。そして海。


 ダヴィはジャンヌに世界の広さを教え、そこで生きる道しるべとなってくれた。


「これからもさ、ダヴィが色んな世界を教えてくれると思っているんだよ。ダヴィについて行けば面白いことが待っている。そんな気がするんだ。……な、なんてね!」


 ジャンヌが照れ臭そうに茶色の前髪をいじった。そこまで聞いて、ジョムニがふうと息を吐く。


「皆さん、理由が漠然としているのですね」

「なに?!」

「なんだと?!」


 ジョムニがムッとしたアキレスとライルを手で抑え、「でも」と話を続ける。


「その漠然さがダヴィ様の特徴なのでしょう。人の魅力はテストの点数や武芸の順位では測れませんから」


「……分かってんじゃねえか」


 14歳とは思えない老熟した言葉に、ライルは怒りを引っ込める。


 窓がガタガタと鳴った。木枯らしが宿の周りを取り囲む。明日は雪かもしれない。足元が冷えてきて、ジャンヌは足をこすり合わせた。


(あたいたちはどこに行くんだろうね)


 明日よりももっと先の未来、白紙の行程を不安に感じる。


 それでも、ダヴィが描いてくれるに違いないと、ジャンヌはぼんやりと考えていた。

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