第19話『南憂北患』
海賊討伐が失敗に終わった報告を受けて、ダヴィたち首脳陣は苦い顔をしていた。ライルが謝る。
「すまねえ、ダンナ。歯が立たなかったぜ」
「いや、相手の力量を分からず攻撃を指示した俺が悪かったんだ。むしろ被害を最小限にとどめてくれて助かった」
「それにしても厄介な敵が現れましたな」
とダボットが普段以上に渋い顔をする。さすがの彼も海での戦いは専門外だ。ため息が漏れる。この中で一番冷静なのは、先日から調査していたオリアナだ。
「彼女の正体が分かった……」
「彼女とは?」
「海賊の頭のこと」
現在のデンラッド諸島の海賊。そのボスは女性。名前はホラン=ネルサン。先日の海戦でも指揮を執っていたのが彼女だ。
「元貴族の娘……父親はファルム国の進歩派の領主だった」
「元貴族? なぜ海賊を?」
「政争に負けて、父親は死んだ。……彼女は逃げていた時にある小さな海賊に
この世界では貴種信仰が強い。海賊の頭でも低階層出身だ。貴族の娘を嫁にして箔を付けたかったのだろう。そのまま彼女は半ば幽閉されて生涯を終えるはずだった。だが、彼女に聖女が微笑んだ。
「その頭が急死……彼女はどうやったかは分からないけど……残った海賊たちの信頼を得た。あの小舟による攻撃も彼女のアイデア」
しかし所詮は小規模な海賊の一つ。戦術の改良だけでは勢力の拡大には限界がある。そこで彼女が採ったのは、仇敵に頼ることだった。
「保守派の国王と連絡を取った……そして援助を依頼した……その時、ハリスとも協力関係を築いた」
「父親を殺した敵を手を組んだのか!」
「でも、そこまで割り切れるとは……ただの小娘ではありませんな」
驚くアキレスと感心するダボット。自分たちと対峙する海賊の女頭領が尋常ならざる人物であることへの反応だった。ジョムニがハタと気づく。
「最近、ハリスの軍勢が行動する際、大河を移動することが多かったですが、もしやその海賊が助けていたのでしょうか」
「もしそうなら、ハリスとの結びつきは強いと見た方が良いか」
とダヴィは鼻から息を吐いて言った。海賊相手なら買収も一つの手だが、そこまで軍事行動を共にしているとなると、それも難しくなる。
「フィレスとヴェニサの海軍総出で勝てないとなると、武力で屈服させるのは難しいのか」
「左様。そのように考えるべきでしょう」
「幸いにも、襲われた港町も海沿いの倉庫ばかりが狙われ、守備兵がいた場所まで来ませんでした。恐らく上陸して占領するだけの兵数は無いかと推察します」
「……ファルム国内でのハリス軍の戦闘にも……その海賊たちは参加していない……まだそれだけの実力……」
「そうか」
それでも自国の港町に被害が出ている。この海戦に勝って、益々図に乗って略奪行為を働くに違いない。アキレスが提案する。
「予想襲撃地点に、より多くの軍隊を配置することは出来ないか。警戒して襲ってこなかったとしても、被害は軽減できる」
「それは難しいでしょう。旧ウッド国の海岸線は広大です。国内中の軍をかき集めなければなりません。それに――」
とジョムニは一拍置いて答える。
「ソイル国に備える必要があります」
ダヴィの表情に苦みが走る。やはりと思いつつも、信じたくない事実だ。
「何か動きはあったのかい」
「ゴールド国とソイル国との間で頻繁に使者が行き来していることが確認できました。マケイン=ニースが主軸となって動いているようです」
「フン。我々を引き込んだ“失態”を挽回しようと躍起ですな」
とダボットは嘲笑したが、笑える話ではない。強力なソイル国が後ろ盾につけば、ダヴィたちのゴールド国戦略がひっくり返される。立案者であるジョムニが肩を落とす。
「このような動きがある以上、軍をむやみに動かすことは出来ません」
「では、どうしろというのだ? 民衆が襲われているのを手をこまねいて見ていろと言うのか!」
アキレスの激昂に、ジョムニは口ごもる。会議は暗い雰囲気に包まれた。ダヴィは打開策を模索する。
「その海賊は人数は少ないのだろう。なんとか倒せないものだろうか。一度軍を動かす程度なら、ソイル国に隙を見せることにはならない」
「ダメだぜ、ダンナ。軍を投入しても通用しねえよ」
「おいらたち、役に立たないよ」
とライルとスコットが答える。従軍したからこそ、海の上での戦いの難しさを知る。
「海に住んでいるような奴らに、陸地で住む俺たちは敵いっこねえ」
揺れる水の上で戦うのは、想像以上に容易ではない。操舵の技術や風の読み方などテクニカルなこともあるが、何より船酔いしない強靭な平衡感覚が必要だ。生まれた時から海に慣れたような人でなければ、海で戦うことは出来ない。ましてや初めて海を見る者が多いクリア軍を船に乗っけても、まるで戦力にならない。海を吐しゃ物で汚すだけだろう。ライルは指摘する。
「なんとか奴らを陸戦に誘わねえと、勝つのは難しいぜ」
「それかおいらたちが何もしなくても、簡単に勝てるような武器があればいいなあ」
「まあ、現実的に考えれば、フィレスなどの海軍を強化する他ありませんな」
だが、それではかなりの時間がかかる。ダヴィは下唇を噛んで考え続ける。
「デンラッド諸島にある敵の根拠地を襲うのはどうだろうか」
「根拠地の場所は特定できている……でも、周囲の海流は激しくて……熟練した船乗りしか渡り切れないらしい……しかも、見晴らしは良いと聞いた……」
「それでは渡る前に発見されますな。よほどの嵐の中でない限りは」
「ふむ……」
悩みは増えるばかりだ。ダヴィは金の耳飾りを揺らして頭を左右に振っていると、視界の端に人影を見つけた。
「ワトソン」
下を向いていた頭が上がる。眼鏡をかけた額が広い男が振り向いた。ダヴィは尋ねる。
「君は何かアイデアは無いのかい?」
ウッド国攻略の際に、巨大な道路整備事業を成功させた技術者である。『世界の時計の針を進ませた男』と呼称される天才だが、政治には全く関心がなく、今日の会議に参加したのもダヴィに都市建設の経過報告をするだけで、たまたまだった。急に当てられて、気の弱い彼はドギマギする。
「い、いやあ……僕は特に……」
「なんとか海の上にいる敵を倒したいんだ。君の力が欲しい」
「そう言われても……」
段々と猫背になっていく彼の肩を、ライルとスコットが抱くように近づく。
「なあ、頼むよ! あのムカつく奴らを倒せるすげえ兵器を作ってくれ!」
「船酔いしない薬でもいいよお」
「でも……しかし……」
だが、彼に会議中の視線が向いていた。彼は目を白黒とさせて、やがて絞り出すように答えた。
「…………考えます……」
この発言が彼を悩ませ、そして世紀の発明に繋がる。それはまだ先のことである。
ともかくも、ダヴィの目の前にはなす術の無い苦難が広がっていた。彼より先にジョムニが結論を出す。
「ここは耐えるしかありません。各港の守備隊に警戒を命じましょう」
「海岸沿いにある倉庫を内陸に移設しますか。そのぐらいしか出来ないでしょう」
「うん……」
ダヴィは悩みながら、深く頷いた。そうするしかあるまい。会議は暗い雰囲気に包まれた。
それを変えようとして、ダヴィはあえて微笑んで話題を移す。先ほどからオリアナから湧き出てくる情報量に驚いたのだ。
「それにしても、よく調べたね。さすがはオリアナだ」
「……ありがとう」
と兄に褒められて微かに微笑むオリアナ。彼女の素直な笑みを、ダヴィ以外は久々に見た。アキレスとジョムニが尋ねる。
「どうやって調べたのですか?」
「私も知りたいです」
「それは、教えられない……ヒミツ」
オリアナは相変わらず微笑んでいるが、目元からは笑みを消した。そのヒミツは黒い。そう感じた二人は質問を止めて沈黙した。代わりにダヴィが聞く。
「俺にも教えてくれないのかい?」
「……それは…………」
オリアナは少し口を尖らす。いたずらされた子供のように困った顔をして、そして最愛の兄に近づいて耳打ちした。
「兄様には教えてあげる……あとでゆっくりと……ナイショね……」
――*――
波が荒い。護衛についてきた兵士たちは一様に唸って、舟板の上で転がっていた。気丈にも一人立つマリアンも、我慢の限界が来ていた。ハリスの代理としてのプライドが、彼女の吐き気を止めていた。
「まだですの?」
「もう見えてますさあ!」
海賊の一員が答え、真正面を指さす。マリアンが視線を向けると、浪間から島々が見えた。
「あれが……」
「あと少し、我慢なされよ」
と言って海賊たちは笑った。その笑みには蔑みも含まれていることをマリアンは感じたが、無視して島を見つめた。大陸の人間は訪れない、域外の島。それを見つめていると、背筋に冷たいものが走る。
やがて船は島の桟橋へと着いた。マリアンはふらつく足に力を入れて、やっとの思いで地面を踏んだ。
「出迎えは?」
「あちらまで歩きなされよ」
頭領自ら出迎えることは無いにしろ、馬車ぐらいは用意してくれてもいいものだ。先導する者も数名。周囲の海賊たちはニヤニヤとこちらを眺め、あろうことかマリアンを品定めする声も聞こえる。
(馬鹿にされていますね)
とマリアンは咳払いをして、噴き出す怒りを抑えた。自分への嘲笑は、ハリスへの侮辱である。
彼女たちは海賊たちの視線のトンネルをくぐり、ようやく大きな屋敷へと着いた。
「こちらですぜ」
「分かりました」
マリアンが入り口に向かう。扉が開け放たれた先には大きな空間が広がっていた。ここが謁見の間ということか。
彼女たちは立ったまま待たされた。そして少し経ってから、いきなり海賊の男たちと、小柄な女性が現れる。
「よく来たな、陸地の間抜けめ」
金色の三角帽子が目立つ。女性は鋭い視線をマリアンに向けてニヤリと笑った。
「女か。つまんねえ面だな。酒飲んでも踊らねえ奴だな」
と言って、カラッと笑う。周りの海賊たちが「親分は踊り過ぎなんですよ」「飲んだらいつも裸じゃないですか」とゲラゲラと笑った。マリアンは下卑な笑いに参加せず、静かに言った。
「頭が高いでしょう。私はファルム国副王・ハリス=イコン陛下の使者です」
「それがどうした」
女性は一人だけ椅子に座った。股ぐらいの下着が見えるぐらい大仰に足を組み、ひじ掛けにもたれかかる。そして手に顎を乗せて、マリアンに言い放つ。
「俺はホラン=ネルサン。てめえのご主人がどこの国のお偉いさんだか、どうでもいい。俺は海の王だ」
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