第10話『ロースの黒い炎』
空気から重さが失われた秋の夜、黄色い月がくっきりと浮かんでいる。
ロースの夜は長い。宗教都市の特徴として、信心深い街の人々は早く店を閉める。冬場にならないとロウソクを使わない酒場も多い。太陽が山際に姿を消すと、町中が鎮まる。
そんな夜更け、いつもの白い僧服を捨てて、黒っぽい衣服に着替えた男たちが集結する。
目指すは、聖子女がいる大聖堂に併設された宿舎だ。
「少ない」
と教皇の側近が集まった人数を数えて、苦い顔をする。暗くて正確に数えられないが、せいぜい百人といったところ。つい数か月前までこの街の頂点に君臨した教皇の味方は、彼らで全てだ。
権力の移ろいは怖い。側近は時勢の変化を感じざるを得ない。
「仕方ない。これで行くぞ」
各所から見張る衛士の視界をかいくぐり、闇の中を移動する。彼らは入念に用意していた。必要な道具をあらかじめ教会の倉庫に隠し、短い剣を服の中に隠す。そして監視が少ない道を進んでいく。
目的の大聖堂の前には、一人の修道士がいた。
「聖子女様はこの中です」
「ご苦労」
教皇の側近は金貨がつまった袋を渡す。その修道士が下卑な笑みを浮かべて受け取ろうとした。
その時、その修道士の喉に短剣が突き立てられる。彼は声を出すことも出来ず、絶命した。刺した側近は、自分の頬に飛び散った血を拭う。
「月の国(地獄)で使え」
彼はその死体から鍵を抜き取り、その大聖堂を開けた。中には聖女像前のロウソクの火を絶やさないように、寝ずの番をしていた修道女がいた。彼女は眠い目をこすっていたが、ぞろぞろと押し寄せた男たちを見て異変に気付く。
「あなたたち、何者ですか?!」
「静かにしろ」
側近は彼女の口を閉じようと手を伸ばした。しかし意外な俊敏さを見せて避け、彼女はこの大聖堂の奥の宿舎にいるはずの聖子女に向かって叫んだ。
「賊が押し寄せました! 聖子女様、賊です!」
「しまった!」
彼はすぐに修道女の首筋を斬り裂いた。彼女は鮮血を噴き出して倒れる。
しかし宿舎に続く扉の奥から、人のどよめきが聞こえてきた。
「バレたか。こうなれば仕方ない。強行突破だ」
おう、と男たちは呼応し、隠していた剣を取り出す。そして扉を打ち破り、宿舎へと押し寄せた。
その頃、聖子女は宿舎の一室で手紙を読んでいた。勿論、目が見えない彼女は自力で読むことが出来ず、カリーナに読ませて、それを聞いている。
その大量の手紙は各地の修道院を通じて届いた、民衆からの質問状である。「母の魂は無事に太陽の国(天国)に向かったか」とか「なぜこんなに人生は苦しいのか」など、答えようのない質問を投げかける。聖子女はそれを解消するのが正円教の役割だと信じ、丁寧に答えていくのが彼女の日課となっていた。
彼女の部屋は質素だ。無駄な装飾はなく(あったとしても彼女には見えないが)、木製のベッドは薄い毛布でしか覆われていない。そして木の椅子に至ってはガタつき、
二人はそんな粗末な椅子に座りながら、手紙を読み、答えを考える。その時、外から悲鳴と怒号が聞こえてきた。カリーナは手紙を置いて部屋の外に出て、廊下を走る修道女に尋ねる。
「何事ですか?」
「賊です! お逃げ下さい!」
「賊?」
このロースで聞きなれない単語だ。カリーナは少し考え、思い当たった。
「もしかしたら、オリアナ殿が言っていた陰謀かもしれません」
オリアナはこの数日前、カリーナに忠告していた。教皇に心を寄せる一派が何か企んでいるかもしれないと。カリーナはその忠告を素直に受け止め、修道院や祭司庁に内偵を進めていた。
しかし彼女は予測を違えた。彼らがこれほど素早く、そして強引に事を運ぶとは思わなかった。彼女の顔が蒼白になる。
カリーナは聖子女に簡単な説明をする。聖子女はすぐに理解した。
「ここには修道女が多く、武器もない。撃退はできないだろう。時間を稼ぐしかあるまい」
「急ぎ、階段を
カリーナは指示を出し、宿舎にいた修道女たちを二階に登らせた。そして各部屋の家具を全て持ち出し、階段を隙間なく
彼らは
「樽を持ってこい!」
持ち込んだ樽に入れた火薬をそれぞれの階段にぶちまける。そして宿舎の廊下を照らすロウソクを、火が付いたまま投げ込む。見る見るうちに、硫黄の匂いと黒い煙が広がる。
側近は男たちに命じた。
「火が回るまで、この屋敷を封鎖するんだ。窓から飛び降りて逃げないように、周りから石を投げこんでやれ」
二階に立てこもった修道女たちはパニックになった。咳き込みながら、奥へと逃げる。
「どこかに逃げ道が?!」
と窓を覗こうとした時、外から投げ込まれた石で窓ガラスが割れた。その修道女の肌を、ガラスの破片が傷つける。
「逃げられないぞ! 死後の行く先でも、聖女様に祈ってろ!」
と外から怒鳴る男の声に、修道女たちは身を震わした。彼女たちは視界を曇らせる煙を避けて、部屋で小さく身をかがめる。
聖子女も咳をして苦しんでいた。目が見えない彼女が感じる恐怖は、目が見える人の何倍も大きいはずだが、彼女は平静を装う。そしてカリーナら修道女たちに言葉をかける。
「助けが来るまで我慢せよ。聖女様は心強き者に微笑む」
しかし聖子女の望み通りにはいかない。外では修道士たちがパニックに陥っていた。衛士たちは指揮系統が混乱し、まとまって行動できない。少人数で助けに向かうが、襲撃者たちに撃退されてしまう。
宿舎が吐き出す炎に、教皇の側近は狂喜した。
「見よ! これが聖なる火! 聖女様からの天罰だ!」
しかしその炎は火薬の働きで、黒く色づいている。とてもじゃないが、聖なる火とは表現できない。その邪悪な炎は、聖子女たちの命を消し去ろうと、ロースの空へと勢いを増して大きくなっていった。
――*――
その黒い炎は、大聖堂から遠く離れた街中からも見えた。その中に建つ民家にカモフラージュした拠点の窓から、オリアナが眺めていた。
彼女もこの件に関して、少し思い違いをしていた。教皇を支持する者たちがもっといると考えていたのだ。だからこそ、自分だけでは動けないと判断した。
しかし敵は少数で、素早く動いた。オリアナは黒い炎を見つめながら、自分のミスに下唇を噛む。
「助けに行くべきか……」
このロースにいる諜報員は自分を含めて十名。この人数では太刀打ちできない。街の守備隊を動かそうにも、時間がかかる。
彼女は静かに最善策を考えていると、暗い街の城門が急に明るくなった。
「なに……?」
その光の列は大聖堂がある町の中心へと進む。闇を一直線に貫き、黒い炎へと向かってゆく。
その光の正体が、彼女には分かった。
「ああ……兄様……」
最愛の兄を呼ぶ。その間も、光を放つ炬火を持つ兵士の列が、ものすごい勢いで大通りを進んでいく。
彼女は胸を撫で下ろした。あの列の中にはきっと、軍旗がはためいている。その月と太陽の軍旗の下には、ブーケにまたがる兄がいるのだ。彼女はそう確信した。
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