第6話『サーカス団・虹色の奇跡』
「てめえ、なめたことしてるんじゃねえよ!」
「うわっ」
ダヴィが突き飛ばされ、ギラギラと金の輪を光らせながら地面に転がる。彼の黒髪やせっかく綺麗だった服に土がついた。
彼を突き飛ばしたのは、若手でめきめきと実力をつけてきたピエロのビンスだ。十五歳の彼と、十歳のダヴィでは、体格差が歴然とある。
地面にしりもちをつくダヴィに、ビンスは立ったまま、威圧的に腕を組みながら睨む。彼の首には白い白粉が塗られていて、黄色と緑の縞模様の衣装をつけている。そんな彼にダヴィが言う。
「だって、お客さんがついてこいって言うし、色々あったし」
「そんなもの、遅刻の理由にならねえよ! 断ったらいいだけだろ。そんなに靴磨きのお客が大事で、稽古に遅刻してもいいって言うなら、このサーカス団やめちまえ!」
ビンスの言葉は正しい。元々靴磨きの仕事は、街の世情に詳しくなると、サーカス団員の副業として認められているものであり、ダヴィの本業はサーカス芸人だ。ダヴィの隣にいた靴磨きの男もこのサーカス団員である。
ダヴィは地面の上で正座させられる。しかし不満げに口をとがらせていた。
「なんだ、お前。文句があるのか」
周りの大人たちは彼らの仲裁に入らない。悪いのは遅刻したダヴィであり、サーカス団に所属する子供たちの取りまとめを団長から任せられているビンスの叱責に、口をはさむのは筋が違う気がした。
反省していないダヴィに対して、ビンスはそのボブカットの頭に再び拳骨をくらわそうとした。
ところが、その間に入る小さな影があった。
「そこまでにしなさいよ、ビンス」
と言って、ダヴィの前に立った少女の名前はトリシャ。金髪を腰まで伸ばし、赤いスカートと桃色の服を着ていて、布の靴はダンスの稽古のために、ボロボロになっている。
この時十二歳であり、ビンスよりだいぶ身長が低い。これだけ差があれば、普通は叱りつけておしまいだ。
ところが、ビンスは明らかに動揺した。指をさして、声を上ずらせる。
「トリシャ、そこをどけ!」
「いやよ、ダヴィを許してくれるまでそこをどかないわ」
「そいつは遅刻したんだ! 怒られて当然だろ」
「でもダヴィが無理に連れていかれたって話、聞いていたじゃない。それに、人助けのためにがんばったんでしょ。事情を知っているのに一方的に怒るなんて、ずるいわ」
「なっ」
ビンスは小さな少女に対してたじろいだ。
トリシャはとび色の瞳でビンスを見上げながら睨む。体格差を逆転させたその光景は、
「そ・れ・に、あんたがここで叱りつけていたら、誰が他の子の面倒を見るのさ。みんな、あんたの指示を待っているんだよ」
「いや、それは」
お前がやればいいだろ、と言おうとしたビンスをしり目に、トリシャはダヴィを立たせて自分についてくるように言った。「おい!」と連れ戻そうとするビンスに、トリシャは再び睨みつけ、彼を黙らせてしまう。
ところが次の瞬間、彼女は表情を一変させて笑みを浮かべた。
「ほら、みんなビンスのことを信頼しているんだからね。早く行って、指示を出してあげて。頼りにしているわよ」
「お、おう」
そう促されて、稽古場に向かうビンスを見送りつつ、トリシャは一仕事終えたとばかりに頭の上のカチューシャを付け直した。そしてダヴィを連れ立って、稽古場とは逆方向に歩いていく。
テントの物陰にたどり着くと、トリシャはダヴィの頬を両手でつねった。小柄なダヴィに比べて、トリシャの方が背が高い。ダヴィは振り払えず、目に涙を浮かべる。
「いひゃいよ、とりひゃ」
「まったく、どんくさいんだから。理由があるのなら、ちゃんと反論しなさいよ。ただでさえビンスはしつこいのだから、あの調子だとあと一時間は続いたわよ」
そう言いつつトリシャはやっと手を放し、ダヴィは自分の頬をさする。『小さな妖精』と言われ、人気になりつつあるダンサーの彼女のどこにそんな力があるのか。簡単に負けてしまう自分が情けなくなる。
でも、あんなに怒っていたビンスは大丈夫だろうか。
「大丈夫よ。ビンスは強く言われる人には弱いんだから。それに私に惚れているから、私には逆らえないのよ。最後に優しく言ってあげたら、スキップして戻っていったわ」
金色の髪をかき上げ、にやりと笑う表情は、妖精というよりも魔女だ、とダヴィは感じた。末恐ろしいものだ。
ところで、と彼女は近くにあった木箱の上に座ると、ダヴィに尋ねた。
「貴族を助けたって聞いたけど、どんな貴族だったの?」
「え?」
「靴磨きの子を自分の馬車に乗せるなんて、よっぽど変わったひとなんだなって。興味があるのよ」
ダヴィはトリシャの隣に座ると、シャルルとの会話の一部始終を話した。色々なことを質問されたことや、とても感心されたことなどを、詳しく話す。
「すごくカッコいいひとだけど、目を輝かせて、ちょっと子供っぽかった」
「そんな人だったんだ、ふーん。ダヴィはその人のこと好き?」
「うーん、少しめんどうだなって思ったけど」
ダヴィは恥ずかしそうに言った。
「ぼくに興味を持ってくれて、ほめてくれたことは、うれしかったかな」
「単純ね」
でもしょうがないか、とトリシャは思った。
このサーカス団でダヴィは馬の曲芸乗りを担当しているが、他の同年代の子に比べて、彼は上達が遅い。他の子が馬の背に立つことができるのに対して、彼はまだ馬にしがみついている。そんな彼を褒めてくれる団員はおらず、彼の心のうちには劣等感がはびこっているに違いない。
トリシャはうつむくダヴィの前髪を片手で持ち上げ、彼の目を覗いた。右は緑色、左は赤色のオッドアイの瞳が、真珠のように光る。
「トリシャ、どうしたの」
「……ううん、なんでもない」
慰めたいけど、これはダヴィ自身が解決することだ、とトリシャは考える。幼いころからいろいろな団員を見てきた彼女には、そうすることしか手段がないと知っていた。
自分を見つめるトリシャに、ダヴィは首を傾げた。トリシャは手を放し、箱から立ち上がって背伸びをする。
「なるほどね。そんなことがあったの。だからあんな風になっているのね。納得したわ」
「納得って、どうしたの? なにかあった?」
「見にいく?」
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