第7話『ハリスの野望』

「我々はハリス殿に期待している」


 と言って、少壮の貴族は立ち去った。彼の名前はオイゲン=セルクス。ヨハン=セルクスの息子であり、ダヴィたちの奇策から間一髪逃れた武将である。父からも認められた才能を以って、若い貴族たちをまとめ上げていた。


 彼との対談を終えて、ハリスはホッと一息ついた。この会談の間、彼はほとんど話していない。


「すごい熱のこもり様だったね」


 ハリスはオイゲンの態度を揶揄やゆするが、要は彼の気迫に負けたのだ。乾いた笑いが彼の口からこぼれる。


 マリアンはそんな彼の失態に目をつむり、励ますように言う。


「彼は口数が多く、軽率でした。黙っていたハリス様の方が威厳がありましたよ」


「そ、そうかな」


「ええ。この戦場でも、ハリス様の勇猛果敢なお姿に感動したことでしょう。ハリス様の輿望は高まるばかりです」


 戦場でのハリスは無敵だ。このような会談の場では経験の少なさから、押されることもしばしばだが、ひとたび鎧と剣を持って馬に乗った彼に敵う者はいない。


 ソイル国から来た遊牧民を蹴散らしたのも、彼の武勇あってのことだった。十倍もの敵を相手に、彼は先頭に立って突き進んだのだ。そして大将の首を軽々と取り、怒りに燃える騎兵を次々と倒した。まさに神業だ。


 そしてハリスはファルム王の命令に従い、各地を転戦している。ハリスがいるこの城も、先日攻め取ったばかりだ。もちろん彼の武力が物を言った。


「今回従軍したオイゲン殿も、ハリス様の武勇に感動したからこそ、このように熱を込めてお話しされたのでしょう」


「それならいいけど」


 ハリスは足が地面に着いていない感覚に襲われていた。自分の評価だけがふわふわと浮き上がり、怖いぐらいに世の中にとどろいている。そんな気がした。


 ハリスが悶々もんもんとしている中で、二人の人物が部屋に入ってきた。


「ここの民もハリス殿に心服しましたのう」


「ハリス様のご威光は素晴らしいですこと。イオは感激致しました」


 顔に包帯を巻いた老人と、白い僧服と頭巾を身に着けた女性が、ハリスを褒めながら席に着く。ハリスが座る丸いテーブルに、彼を信奉する三人が座った。出会ったばかりの頃は、ハリスよりも一段低いところにいようとしたが、ハリスが強引に止めたのだった。


 彼らは、ハリスが王の命令に従って各地を転戦する中で、新たに加わった仲間である。風貌は怪しいが、マリアンが強く勧めた。


『お二人とも、大国を揺るがしたことがある実力者です。彼らの知恵を借りましょう』


 イオはハリスに熱い視線を向けながら、白い顔に笑みを浮かべる。目の上に眉は無く、唇も白っぽい。


「これで太陽の国はより近づきましたこと。ハリス様の下に、全ての臣民は幸福をつかむでしょうこと」


 と断言する言葉に、ハリスは苦笑いを浮かべた。そこまで凄いことをやっているわけではないと自分では思う。しかし彼女はかたくなに信じており、何度否定しても、こればかりは言うことを聞かない。最近では仕方なく、否定することを諦めていた。


 椅子に突いた二人の前に、温かいお茶が入ったカップが侍女によって運ばれた。イオはその取手や下の皿まで、持っていた布で丁寧に拭いた。その姿に、老人は白くて太い眉を動かす。


「お主の潔癖症は折り紙付きじゃのう」


「聖女様に近づくためです。もっとも、ハリス様の御手が触れたものでしたら、ありがたくそのまま使わせていただきますこと」


 イオは眉の無い顔で微笑みを作った。ハリスはまた苦笑いをする。


 彼女には眉どころか、髪の毛など全身の毛がない。全て剃っているのだという。それも聖女に近づく手段と、彼女は考えていた。


 カップに口を付けながら、イオはさりげなく言った。


「そんなハリス様を狙う不届き者がおりましたこと」


「それは誰ですか?」


「おそらくはここの貴族の残党かと。聖女様をおそれぬ悪行を企んでいると、善良なる民から伺いました。今頃はペトロ殿が天罰を下しているですこと」


「流石ですのう。民衆から情報を貰うとは」


 イオは治安維持を主に任されることになる。彼女は徹底した民衆教育と、彼らからの密告を集めるスタイルを取った。


 ここでも彼女は自然と、民衆から情報を吸い上げていた。


「トーマス殿のおかげですこと。あなた様が民衆の代表者を掌握し、追い出した貴族たちの財産を“均等に”民衆に分配したからこそ、イオの申すことにも耳を貸したのでしょう」


 トーマスという名の老人は、包帯の下から鼻を鳴らした。と言っても、キレイには鳴らない。ただ鼻息が包帯の隙間から漏れている。


 彼には鼻が無い。


「さて、皆様にお伝えしなければならないことがあります」


 とマリアンが切り出した。ハリスたちが彼女を見る。


「なんだい、マリアン?」


「ウィンからの知らせです。ダヴィの使者がファルム王に会ったそうです」


詰問きつもんか」


 トーマスの指摘に、マリアンが頷く。物騒な語句が飛び出して、ハリスは驚いた。


詰問きつもん? 捕まえに来たということか」


「それもあるでしょうが、ハリス様を仕えさせている陛下を責めに来たのでしょう。教会の司教も一緒に来たそうです」


「それで、結果は?」


「陛下が激怒して追い払われたそうです。すごすごと逃げ帰ったらしいですわ」


 ハリスはホッと息をつく。しかしマリアンは苦い顔をしたままだ。


「気になることがあります。陛下は最初、その使者を捕えようとしたそうですが、それを側近たちや貴族たちがさまたげたらしいです」


「ほう」


「彼らは陛下を狂人扱いして、無理やり退室させたとか。この様子だと、陛下を退位させることも考えていると思います」


「退位!」


 ハリスはまた驚く。彼の後ろ支えになっているのが、ファルム王の盲目的信任である。彼が退位してしまっては、ハリスは再び野に下るしかない。


 ファルム国はハリス擁護派とハリス排除派に分かれつつあった。


「オイゲン殿を始めとした若い中小貴族は味方になりつつあるとはいえ、大貴族はハリス殿を嫌っていますのう」


「だからこそ、ファルム王を焚きつけて、こうして貴族討伐にせっせと赴いているのではないですか」


 マリアンの作戦通り、事は運んでいる。この半年足らずの間に、ハリスたちは大分勢力を伸ばした。


 だからこそ、ダヴィの使者の訪問には、水を差された感があった。イオがいきどおる。


「ダヴィは無礼極まりないですこと! 彼には天罰を下すべきです!」


「いや、それは時期尚早じゃろう」


 トーマスは反対した。彼はまだ自分たちの力が弱いことを指摘する。


「まずはファルム国を掌握することに専念するべきじゃろう。むしろダヴィは味方に引き込むべき」


「味方になってくれますか?」


「思想的にはこちらに近い。貴族など既存勢力に嫌われているところも、のう」


 イオが口角を上げる。自分の意見が否定されたことへの当てつけのように言う。


「だったら、あなたもこの国に潜伏していないで、ダヴィのもとに行けばよろしかったですこと」


「……儂はこの国を救いたいのだ。それに、ダヴィは甘い! 貴族を官僚として用いようとしている。奴らは根絶やしにしなければ、一時的に領土と権力を奪っても、また害をなそうとする。まるで害虫じゃよ」


 トーマスの鼻息が荒くなる。彼の包帯がぴくぴくと揺れる。


 その主張には、イオは同意する。


「今の権力者は聖女様がお創りになったこの世界を汚すばかりです。排除しなければなりません。そしてハリス様の極楽王土を築くべきですこと」


 二人の激しい主張に対して、ハリスは首を振った。彼の金色の髪が揺れる。


「俺はそこまで過激なことはしたくないよ」


「ハリス殿、それは――」


「まあ、聞いてくれ。トーマスが言うことはよく分かる。ただ、貴族にも良い奴と悪い奴はいるだろう? さっきのオイゲンのように、俺たちに味方しようとする貴族もいる。全員排除は乱暴すぎるよ」


 ハリスは彼らと、自分自身に言い聞かせるように、立ち上がって主張する。天井に届きそうな彼の頭を、三人が見上げる。


「俺たちはファルム王に従い、皆が平和で、豊かな暮らしができるようになればいい。それを邪魔する貴族たちと戦おう。ただ、その過程で反省してくれるなら、俺は彼らを許したい。人は反省出来る生き物だ」


 彼の純粋無垢な主張に、マリアンとイオは目を輝かせる。


「素晴らしいお考えですわ、ハリス様! きっと皆も分かってくれることでしょう」


「聖女様のような慈悲の御心ですこと! イオは感動いたしました!」


 トーマスは頷きながらも、苦言を呈す。


「ハリス殿がおっしゃるような、物分かりの良い貴族がいればいいのじゃが……」


「さて、話を戻しましょう。今はダヴィと手を組むという案は、一理あります。ですが、それは可能でしょうか? 我々はダヴィから罪人扱いされていますわ」


 マリアンの疑問に、トーマスが答える。今度は自信ありげに。


「可能じゃよ。ダヴィが許さずとも、ダヴィの上の存在から許しを貰えばいい」


「上の存在?」


 意味が分からず、眉間をひそめるハリスに、トーマスは囁いた。真っ白なオールバックの髪が光る。


「聖子女にお会いなされよ。ファルム王の代理として、のう」

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