第6話『ファルム国の奇妙な変化』

 ダヴィがファルム国の奇妙な噂を聞いたのは、ウッド国からミラノス城に一時的に帰還した時だった。金歴553年を迎えたばかりの頃である。


 にわかにファルム王が強権的になったという。ダヴィはジョムニに聞く。


「具体的にはどのような動きをしているんだ」


「国王に反発していた貴族を一人ずつ、潰しているようです。今までの合議政治とは全く様相が違います」


「お父様も言っていました。『ファルム国内は内戦状態におちいるかもしれない』と」


 とルツが答える。ファルム国内に支店を持ち、王侯貴族にも人脈を持つイサイ=イスルの発言だ。重みが違う。ダヴィは不可解そうに呟く。


「内戦……」


 彼の見立てでは、ファルム王はおとなしい人物はずだ。教皇など伝統的な権威には従い、自分も今までの王のあり方から逸脱しようとしない。たまたま幼馴染であり、稀代の政治家・ヨハン=セルクスが支えたおかげで、覇権を取った人物だ。自ら国内を混乱におとしいれることは決してしない。そう思っていた。


 ダヴィは二人を下がらせると、代わりにオリアナを呼んだ。ジョムニの車いすを押していくルツに代わって、オリアナがスッと部屋に入ってくる。彼女が部屋に入るなり、ダヴィは指示を出した。


「調べてもらいたいことがある。ファルム王の周辺で何か変化が無いか、早急に調査してほしい」


「分かりました……」


 それから数日後、ウッド国の戦地におもむく直前に、ダヴィは再びルツを呼んだ。


「オリアナに調べてもらった。ハッキリ言って、マズいことが起きている」


「何かトラブルですか、お兄様」


 ダヴィは頷く。そしてルツに指示を出した。


「急ぎ、ファルム国に向かってもらいたい」


 ――*――


 道端に雪が積もる、凍る街道を馬車で進み、ルツはファルム国へ向かった。


(少し心配しすぎではないかしら)


 と馬車の中で、ルツが兄の判断に首を傾げる。ファルム王を変えた“何か”は分かったのだから、それを書簡等でやんわりと注意すればいいだろうと思う。それをわざわざ使者として行き、様子を見て来いとは……。


 護衛はいるが、念のために、教会からの使者も付き添わせた。ただの時候の挨拶にしては、重々しい。これもダヴィが気を回した結果だ。


(私もやることが多いというのに)


 国内の統治体制の確立、占領したウッド国の運営、ウッド国で建設中の街道、そして兄と会えないオリアナのご機嫌取り、などなど。彼女の机の上には、課題が山のように積みあがる。


 この訪問の間にも、どんどん増えていくのだろう。そう思うと、ルツはため息をもらさざるを得なかった。


 そんな気乗りしない状態で、ルツはファルム国の王城・ウィン城にたどり着いた。国土も国力もクロス国の倍はあるファルム国だ。この王城の広さもミラノス城の倍以上を誇る。


 早速、国王が待つ大広間に向うルツだったが、城の中の雰囲気がおかしい。


(物々しい……?)


 甲冑姿の兵士が多い。戦時の様子だ。ルツと並んで廊下を歩く、教会からの使者である司教も耳打ちする。


「殺伐としておりますな」


「ええ……」


 殺伐、とは少し違うと思う。何しろ話し声すら聞こえないのだ。侍従や侍女たちは表情硬く、貴族たちは会釈もしない。彼らはお互いに会話もしない。誰しもが固い殻で自分を覆う。


(疑心暗鬼と言った方が正しいかもしれませんわ)


「前に訪れた時は、こんな雰囲気ではなかったのですが……もっと華やかで、威厳と余裕を備えた感じでした」


 と司教は呟く。恐らくその原因がこの先に待っていると、ルツは気を引き締めた。


 大広間の奥、一段高い場所で、ファルム王・ルドルフ7世が座っていた。スカートの端を掴んで挨拶をする中で、ルツの大きな瞳は上目遣いでファルム王の姿を捉えた。


(ここまで老いていたかしら)


 玉座にいるのは、今にも崩れ落ちそうな細い身体の老人であった。きらびやかな王冠と礼服に潰されそうになっている。これが一年前まで世界に覇を唱えていたファルム王だろうか。


 ただし、一か所だけ“異質”な部分がある。


(目だけが鋭い)


 薄暗い大広間の中で、ランと光る。その枯れた姿と似つかわしくない、ギラついた欲望が、油のようにだらりとこぼれる。ルツが嫌いな目だ。


 それでも役目は果たさないといけない。ルツは祝辞を述べる。


「昨年、北辺の動乱を抑えられたと伺いました。ご戦勝おめでとうございます」


 ファルム王の表情が初めて変わった。口角がゆっくりと上がる。どうやら彼にとって、よほどの快慶事だったようだ。


 それに水を差すことを言わないといけない。ルツは腹に力を入れて、王に言った。


「その略奪者を打ち破った者に質問があります。ハリス=イコンという者です」


 王の笑みが引っ込む。どうやらルツの言いたいことが分かったらしい。その表情の変化を見ても、ルツの主張は続く。


「ハリスは私たちの国で大罪を犯した人間です。聞いたところによれば、陛下はハリスを重用されているとか。ハリスを使って、陛下に反抗する貴族を討伐させるのは結構なことですが、彼が犯罪者であるとご存じないと思い、ご注進申し上げます」


 ハリスは無茶なファルム王の命令に従い、少数の兵だけで勝利したのだという。しかもソイル国から来た遊牧民の大将を斬り捨るという、圧勝だった。


 その勝利に感動したファルム王はハリスを傍に置き、自分の権力を強めるために、国内の貴族征伐にハリスを向かわせている。その貴族を潰すことも、ハリスからの進言だったと噂がある。


 ルツは重傷を負ったダボットのためにも、ハリスの引き渡しを要求しようとしていた。


「今や私たちは友邦となりました。願わくば、私どもの重臣に害をなしたハリスに適切な処置を――」


 頭を下げたルツに、ファルム王は初めて口を開いた。


「…………ハリスは、正しい」


 ルツは驚いて、頭を上げる。彼女の茶色い長い髪が乱れた。


「今、なんと?」


「間違っているのは、そなたらの方であろう。斬られた者が悪かったに違いない」


 ファルム王は震える指を突き出した。


「ダヴィこそ、悔い改めると良い。即刻、ハリスへの追捕命令を取り下げることだ」


「口を挟みますが」


 とルツの隣にいた司教が声を上げた。


「ハリス=イコンなる者は、聖子女様がいらっしゃるミラノス城に赴き、その城門前で乱暴を働いたと聞いております。その行動に理由があろうとも、聖子女様のお近くを血で穢したことは、まぎれもない事実です。さらには自分自身を『ゼロの生まれ変わり』と称していると聞き及んでおります。そういう者を陛下が仕えさせていることは、教会としては由々しき事態と捉えています」


「…………ハリスは」


 ファルム王は小さな声で、それでもハッキリと言う。


「まぎれもなく『ゼロの生まれ変わり』である」


 今度は司教がのけぞらんばかりに驚いた。


「王よ、お気は確かでしょうか? ゼロは聖女様の御子であるとされる、伝説上の聖人ですぞ。生まれ変わりなどと、本気で信じられておられるのか?」


「黙れ!」


 ファルム王は玉座から立ち上がった。彼の揺れる体を支えようと、側近たちが近寄ろうとするが、その手を振り払う。そしてルツたちに怒鳴った。


「ハリスは我が王家に幸運をもたらす者である! 聖女様が私に遣わした“伝説の男”だ! 教会こそダヴィに操られ、本義を見失っている。ハリスを傍に置く私こそが正しい!」


 唖然とするルツと司教を指さし、ファルム王は部下に命じる。


「その者たちを捕らえよ! 私とハリスを侮辱した罰を与える!」


「陛下、落ち着いてください! 友邦と教会からのご使者ですぞ」


「色々思うことはございましょうが、ここは彼らを帰してください」


「うるさい! ダヴィは私の敵だ! 離せ!」


 と叫びながら、ファルム王は側近たちに引きずられて退室した。後に残ったルツたちを迎えたのは、ファルム国の重臣である貴族たちだ。


「陛下は昨今ご乱心気味である。ご無礼をおびする」


「いえ……陛下は大丈夫でしょうか」


「ご安心ください。我らがおいさめします。いざという時は……」


 重臣たちは口をつぐむ。ルツはその意図を察した。


(強引に隠居させる気だわ)


 幸いにもファルム王の息子は四名いると聞いている。嫡男はダヴィよりもかなり年上だ。王となってもおかしくない。


 帰り道、考え込むルツに、司教が尋ねる。


「ファルム国はどうなるのでしょうか」


「分かりませんわ。いずれにせよ、この火の粉は私たちにも降りかかってきましょう。今のうちに対策を考えないと」


 火の粉どころではなかった。ルツの想像を超えて、ハリスの存在は世界を揺るがすことになる。


 天を裂く業火が、ダヴィに襲いかかる日は近い。

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