第24話『大国の怒り』

すさまじい」


とヨハンは呟いた。誰にも聞こえないように、本音をこぼす。ファルム国の首都・ウィンの首都に混乱をもたらした一報を前に、唸り声を響かせた。


 ダヴィ軍、急襲。宣戦布告した側であるはずのファルム国が、戦争状態になったことを実感する。楽しく談笑しているところをいきなり殴られたような感覚さえ覚える。


 報告に来た騎士は、続けて告げる。


「国王からお呼び出しがございます」


「分かった。すぐに向かう」


 ヨハンは馬車に乗り込み、すぐに王城へ行った。厚くなってくる雲や南から流れる風に、春の気配を感じながらも、心は寒々としている。


 宮廷の王の自室に入ると、そこには王が不安な表情で座っていた。太い眉をハの字に垂らし、髭も心なしかしおれている。普段の威厳さはない。


 彼の代わりに、平然な態度を見せている男がいた。


「セルクス公。いよいよ始まりましたな」


(ふてぶてしい男だ)


 ファルム国内からの寄付で作ったのか、真新しい白い僧服を着る教皇・アレクサンダー6世は、この事態を待ちきれなかったというように、にこやかだ。この攻め込まれる事態を招いた張本人なのに、隣の王よりも堂々としている。


 ヨハンはわざと王の方を向いて、お辞儀をした。


「只今、参りました」


「ヨハン。奴らが攻め込んできたと聞いたが、本当か」


「はい。今も侵攻されています。防備の隙をつかれました」


 ファルム軍は昔ながらの軍容である。戦いの際には農民を徴兵して、軍の形に編成しなければならない。宣戦布告はしたが、実際の戦いは1か月後と見込んで、徐々に徴兵をしている最中だった。


 さらに言えば、ダヴィから攻め込まれるとは思わなかった。ダヴィ側は防備を固めていたし、ファルム国との国境沿いには大きな城を築いていた。ヨハンはその城の攻防戦から始まるのだと考えていた。


 ところが、ダヴィ軍は国境を越えてきた。


「宣戦布告に向かったベルム男爵からの報告では、ダヴィは怯えていたと言っていたではないか」


「それも敵の作戦だったのでしょう。実際、前線のいくつかの城はそれを聞いて防備を緩めました。我々の油断を誘いました」


 ベルム男爵が広めたダヴィの演技が、ファルム国全体をだました。そして信じられないスピードで攻め込み、その効果を最大限活用した。


「現在はどうなっている」


「すでに3つの城が落とされています。ドーナ川を越えてくるとは考えにくいですが、それ以東の残り2つの城は落とされる可能性が高いです」


「しかし、すぐに取り返せるでしょう。この国の騎士団は強力ですからな」


とアレクサンダー6世がお世辞を交えながら言う。ヨハンはじろりと無言でにらむ。そして再び王に向き直る。


「即刻、反撃しなければなりません。徴兵の途中ですが、今の軍容で出撃します。ダヴィ軍の数は一万五千と報告を受けています。こちらの現在集まっている数は二万五千。兵力では劣っていないでしょう」


「ドーナ川をこちらから渡るのか」


「渡るしかありません。海賊どもに金を支払って、一気に渡ります。おそらく足元を見られますが……」


「仕方あるまい。奴らがへそを曲げたら面倒だ。金で解決できるなら、そうしよう」


 ファルム王もヨハンも渋い顔を作る。しかし問題はそちらではない。ダヴィの方だ。


「ダヴィ軍は勢いに乗っています。戦いの長期化も見込まれますが、そこはご了承ください」


「そんなことをおっしゃいますな。相手は人の隙をつくしか出来ない、卑怯者です。セルクス公の指揮で粉々に砕かれるでしょう」


とアレクサンダー6世がまた口をはさむ。ヨハンは適当に頷き返し、そして強く言った。


「これからは軍事機密の話になります。申し訳ございませんが猊下げいかには離席して頂きたく存じます」


「はて、そうなのですか」


「ヨハン。いいじゃないか。猊下げいかはこの戦いの関係者だ。ダヴィを駆逐することを誰よりも望まれておられる」


「離席願います」


 ハッキリと、キッチリと、言った。アレクサンダー6世は一度眉を動かし、重い腰を上げた。


「では、あとはお任せしました。聖女様のご加護があらんことを」


と言って、重い僧服を引きずって去っていった。


 部屋の扉が閉められてからしばらく経ったのを見計らい、ヨハンはようやく口を開く。


「陛下、あまり親しくなさられますな」


 ファルム王は口をへの字に曲げる。心の中の信仰心のおもむくまま、彼と親交を深めて何が悪いのだろうか。そんな国王の気持ちを知りつつも、ヨハンは忠告する。


「ロース奪還のあかつきには、そこに首都を変更するように、猊下げいかから提案されているとか」


「おお! そのことを話そうとしていたのだ。良い考えだとは思わんか」


「なりません! 教皇猊下は何事にも口を出されるのがお好きな方です。そして自身と祭司庁の権力拡大には、どんな手段を使っても達成しようとされる方です。現に、猊下のわがままで国内政治に乱れが発生しています」


 アレクサンダー6世は自身の徒党の力を高めようと、ファルム国内から寄付を強引に集めていた。その件に、貴族たちから反発も起きている。


 だが、ファルム王は教皇を信頼している。


「これ! 口が過ぎる。猊下は私の即位に反対する貴族たちを説得し、進歩派を封じ込め、弟のレオポルトの野望を食い止めた、唯一無二の仲間と呼べるお方だ。どうしてないがしろに出来ようか」


「それは重々承知しています。しかし今後は違います。特に、ダヴィなどの新しい時代の者が現れてからは」


「新しい時代の者?」


 ヨハンは国王に近づいて、彼の傍で跪く。そして声を落として言った。


「ダヴィとの戦い、楽観視は出来ません」


「なぜだ? 兵力は勝っているだろう。ヨハンが指揮する『金獅子王の角』も出陣する。何の不足があるだろうか」


「陛下。ダヴィは今までの敵とは違います。我々が知らない、全く新しい軍を率いています。その軍に、クロス国も教皇軍も、そして先日の貴族たちも敗れたのです。我々とて気を緩めば勝機を失います」


「うむ……」


 そこまでか、とファルム王は腕を組む。彼の認識では平押しにすれば、自然と勝てると考えていた。しかし戦巧者のヨハン=セルクスの見立てに、不安がよぎる。思わず尋ねた。


「勝算はどのくらいだ」


「6分……といったところでしょう。こちらのタイミングで、もっと兵を集められたなら、9割方勝つことが出来ました。しかし初期戦略ですでに敗れています。そのツケは大きい」


 だが、とヨハンは付け加える。


「私が全力を費やします」


「おお!」


 若い頃からレオポルト王子を支持する進歩派と戦い続け、勝利を収めてきた百戦錬磨のヨハンの言葉は重い。ファルム王の心に安心がよみがえる。幼なじみでもある彼の言葉ほど、信頼できるものはない。


 ヨハンは戦局を予想する。


「堅実に戦い、勝機を逃さなければ、決して負けるような相手ではありません。“今なら”勝てます」


 ヨハンは一旦言葉を切り、今度はまた忠告に戻る。


「“今なら”と申し上げたのは、今回ダヴィを倒したとしても、今後同じような、いや、全く新しい価値観を持つ者が台頭してくる可能性があるからです」


「どういうことだ?」


「クロス国が滅び、古から続いた大陸の形は崩れました。民の生活も変貌を続け、刻一刻と産業は進化を続けています。その環境で、新しい政治を求める者も現れるでしょう」


 ヨハンはダヴィと会談した際、強い危機感を覚えた。全く新しい光に、眩しさを感じた。それは自分が老いたからではない。自分たちの価値観が古くなったからだ。


 そして北のソイル国では、史上初めて、女王がクーデターを経て政治を司る。


 時代が動き出した。


「何が言いたい」


とファルム王が尋ねる。ヨハンは粛々と返答した。


「この時代の動きの中で、我々が生き残るには“正しい政治”を行わなければなりません。我々を支えてくれるのは、教皇でも大貴族でもありません。誠実な民衆です。我々が危機に陥った時、本当に助けてくれるのは彼らなのです」


 ヨハンは改めて頭を下げる。王の忠実な臣下として、そして親愛なる幼なじみとして、提言する。


「どうか正道を歩まれてください。足元を大事にする政治をされてください。教皇や貴族の顔色を伺うのは、もう止めにしましょう」


 丁寧だが、厳しい指摘だった。ファルム王・ルドルフ7世は顔をそむけた。


「分かっておる」


「…………」


 仕方ない。すぐに分かることではない。これからも提言を続けるしかない。いつか分かってくれるだろう。


 ヨハンは立ち上がり、ファルム王に告げる。


「出陣の準備をしてきます。まずはロースへ進軍し、教皇をそちらへお戻ししましょう」


「そうしてくれ」


 ヨハンは部屋を去り、廊下を歩く。まずは国王と教皇を離すことが大事だ。意志を分断できれば、国内政治は立て直せる。


(この戦いに勝てれば……)


 元のように戻るだろう。再びファルム国を中心とした大陸秩序を取り戻せるに違いない。ヨハンはその想いを強くして、戦場へとおもむく。


 窓の外で、風が東から吹き始めた。それに逆らって、彼は歩む。

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