第37話『浮かれ気分の行軍』

 ウォーター軍が首都を出発したのは、木々の葉が紅くなり、北風が街に流れ込み始めた頃になった。出陣に際して、鎧姿のダヴィたちは、マザールに訓示くんじを貰い、彼の屋敷を出ようとしていた。


 そこへ、小さなメイド姿の少女が近づいてきた。


「こ、これ! 持っていってください!」


 ジョルジュの妹、クロエは、肩で息をしながら、三人に小さな布袋を渡した。動物の刺繍ししゅうってある。


「これって?」


「知らないのか、ダヴィ。乙女のお守りさ」


 この時代の言い伝えで、女性の体毛が入った袋を持っていれば、敵の矢が当たらないと信じられていた。マクシミリアンが貰った袋を眺める。


「海龍の絵がってあるじゃねえか。頑張ったな」


「あっ、それはダヴィ様のです!マクシミリアン様はこっち」


 ダヴィの手にある袋と交換させられる。マクシミリアンが再び貰ったペラペラな袋には、馬?の絵がってあった。クオリティが明らかに低い。


「……おい」


「あ、ありがとう」


 ダヴィは袋をまじまじと眺める。そのうちに、自分が貰った袋は一段と膨らんでいることに気がついた。触ると、ジャリジャリとした感触がする。


 クロエはそれを見て、顔を真っ赤にする。彼女の後ろで束ねた黒髪が膨らんだように見えた。


「ダヴィ様! 止めてください! あんまり、触らないで」


「ダヴィ、それは無礼ですよ」


「ご、ごめん」


 ジョルジュが妹をかばって、ダヴィの行為をやめさせた。この袋に入れる体毛は、陰毛が最も効果があるとされている。妹の慌てようを見ると、ダヴィの袋に入っているのは恐らく、そうだろう。


(妹を不幸にさせないようにしよう)


 妹の恋心を守るために、ジョルジュはダヴィを守ることを密かに誓った。


 ――*――


 そんな彼の決意と裏腹に、ファルム国へと向かうウォーター軍は、これから本当に戦場に向かうのかと疑うほど、気楽なものだった。


 その気分の醸成していた原因は、この軍の中心にいる、派手な衣装を着た男にあった。


「渡り鳥よ~我が熱い思いを~あのきれいな彼女へ~♪」


 窓のない馬車の中でアコーディオンを弾きながら、即興の音楽を弾きならす彼は、ファルム国・王弟、レオポルト=ファルムである。羽の飾りがついたつばの広い帽子をかぶる彼は、晴れ渡る秋の空に、気持ちよく歌い上げていた。


 一曲終わるたびに、側近たちが拍手する。


「陛下、さすがです!素晴らしい曲でした」


「こう名曲がすぐ思い浮かぶと、作る側としても困るね。この曲は『恋する渡り鳥』と名付けておこうか」


 そばにいたもう一人の側近が、羊皮紙に歌詞と題名を書き取る。身分は王子にもかかわらず「殿下」と呼ぶおべっか使いと、膨大な数の歌を書き取る記録係は、レオポルト王子にとって必要な存在である。


 先ほどまで近くにいたルイは辟易として、さっさと離れてしまった。そのため止める人もおらず、彼のお気楽さは全軍に感染していく。


 多くの兵士たちも思い思いのうたを各自で歌っていく。


「陽気な女が~カンカンカン~大きなおしりで~カンカンカン……あれ?なんだっけ」


「『酒場で俺とステップ踏むよ』だろ。そんくらい覚えておけよ、スコット!」


「ごめんよー、ライル」


「面白い曲だね」


 馬上から突然かけられた声に、のっぽのスコットと、ちびデブのライルは驚いた。見上げると、耳についた金の輪が特徴の少年が馬に乗っていた。


「……なんだよ。ただのガキじゃねえか」


「ライル、聞こえちまうよ」


「小声で話せば、聞こえやしねえよ」


 耳が良いダヴィはクスクスと笑った。もう一度質問する。


「どういう曲なんだい?」


「いやあ、騎士様にとっては聞き覚えのない、下品な酒場の曲ですよ。なあ、スコット!」


「ああ。この後、こう続くんで。『いつの間にか~みんな素っ裸~カンカンカンカン~朝まで踊ってる』って」


「こら! へんなこと言うんじゃねえ」


「面白い曲だね。君たちは農村から来たの?」


 ライルは坊主頭に無精ひげが生えた顔を歪ませて、もみ手をしながら笑みを浮かべた。


「へへ、そんなところで。こいつとは昔からの腐れ縁なんです」


「そんなもんじゃねえよ。オレたちゃ、誇り高き盗賊団さ!」


「バカ野郎! 変なこと言うんじゃねえ!」


「あ、でも、今は違う……ます」


 変な敬語を使うのは、頬に大きな傷をつけた、やせ型のスコットである。後ろで小さく髪を束ねたオールバックの頭をポリポリとかいていた。


 ダヴィは彼に質問する。


「違うって、盗賊はやめたのか?」


「やめさせられたんで。シャルルっていう王子に負けちまって、逃げるしかなかった。手下もいっぱいいたのに」


「スコット!おめえは黙ってろ! ……へへへ。騎士様、今は改心しやした。もう悪いことはしやせん」


「でもよー、ライル。この戦いで稼いで、また旗揚げするんだって言ってた」


「うるせえ!」


 ダヴィはとぼけた二人の会話を聞いて、またクスクスと笑った。そして元盗賊たちにくぎを刺す。


「僕はそのシャルル王子の配下の者だ」


「えっ!」


「うそぉ」


「今のは黙っていてやる。それに、僕は耳が良い。黙ってこの戦いに貢献するように」


 それだけ言うと、ダヴィは手綱を動かして、前の方へと移動していった。後に残ったスコットがライルに尋ねる。


「今のどういうことだ?」


「全部、聞かれちまっているってことだよ!クソッ、ガキだと思って油断してたぜ」


「今のも聞かれているんじゃ」


「……黙ってろ」


「うん。あいつにも命令されたから、黙るけど」


 その会話も聞いていたダヴィは、笑いながらマクシミリアンとジョルジュのそばへと馬を並べた。その笑みを見て、二人は首をかしげる。


「なに笑っているんだよ?」


「どうしましたか?」


「いや、何でもない。それよりも、兵士たちを見てきたよ」


 ダヴィは笑顔を引っ込めて、今度は深刻そうに小声で言った。


「兵士たちの質が悪い。急に集めたのが見え見えだ」


「だろうな。行軍のスピードも遅いし、この大騒ぎだ。軍規もあったもんじゃない」


「中には盗賊上りもいたよ」


「本当ですか!? ……いやはや、ひどいものです」


 アルマやモランの軍勢はともかく、ルイたちの軍勢は半月ばかりで募集・徴兵されたと思われる者ばかりである。金払いの良さと、王子の権威によって、数を集めることはできたが、この短時間で訓練するなど不可能である。元々の少ないながらも訓練された軍勢で挑めばいいものの、ルイは数を頼りにした。


 その結果が、ダヴィたちを不安にさせる、この行軍である。


「シャルル様の軍が特別なのですよ」


 初陣の時を思い出して、ジョルジュがため息をつく。長い黒髪がしおれたように垂れた。シャルルは軍の機動力を重視して、無理な徴兵は行わなかった。そのため、軍規は正常に保たれ、ニコール=デムの軍勢を簡単に駆逐した。その時と同じ動きを、この軍勢の兵士ができるとは思えない。


 ダヴィとマクシミリアンもため息をついた。


「この戦い、どう見る、ダヴィ?」


「首都まで攻め上るのは不可能だ。勝機があるとすれば、ファルム国内のレオポルト王子派が合流して、兵の質を気にしないほど大軍になるしかないね」


「『大軍に兵法なし』ですね。その前に、敵に当たってしまったら?」


「小さい領主の軍勢なら大丈夫。でも、ファルム国王の軍なら……」


「しかも『金獅子王の角』なら最悪だな」


 冗談半分で言うマクシミリアンに、ダヴィもジョルジュも笑みを返した。しかし、この三人の脳内には、嫌な予感がべったりとこべりついていた。


 陽気な歌が北風と一緒にかすかに聞こえてくる。耳障みみざわりでしかなかった。

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