第25話『不審な手紙』

『……おお、太陽よ、月よ、聖女様よ。我らを照らしたまえ……』


 讃美歌が今日も聞こえる。百を超える修道士たちの声が、そびえ立ついくつもの聖堂の隅から隅まで響き渡る。薄雲が漂う空に、彼らの声を聞かないと、ここの朝は始まらないのだ。


 その歌と共に、カツリカツリと、大理石の廊下に響く足音があった。1人の豪華な白い服に身を包んだ男が、数人の司教を連れて歩いている。間隔をあけて、廊下の窓からの光を浴びるたび、目を少し細める。


猊下げいか


 1人の司教が反対側から近寄ってきた。猊下げいかと呼んだその男に耳打ちする。


「クロス王に不穏な動きが」


「あの阿呆が何かするのか?」


 1国の王を馬鹿にして、男は尋ねる。その頭には、正円教を象徴する、丸い金色の装飾が施された白い僧帽をかぶっている。司教は言う。


「北で発生した反乱を鎮めるために、兵を集めています」


「反乱、か」


 王族内の内紛や貴族間の対立はよく聞くが、王への明確な反乱は珍しい。王権が極めて弱いクロス国においてもである。


 男は持っていたステッキを動かしながら、司教に指示を出す。


「その反乱、少し調べてみよ」


「分かりました」


 司教が去った後、男はまた歩き出した。耳に聞こえる清廉せいれんな讃美歌。その脳内では、ギトギトとした欲望が計算を始めていた。


 ――*――


 クロス王の軍勢がついに動き出した。その情報はすぐにダヴィの耳に入り、彼は会議室に全員を招集する。


「首都から出た敵の数は数千。おそらく他の貴族の軍勢も加わりますから、一万ぐらいになります」


「予想よりずいぶんと少ないな」


「流した悪評が予想よりも広がりましたから、クロス王もだいぶ苦労したでしょう」


 ふふふ、とジョムニが笑う。彼が流した悪評とは、クロス王がカルロ=ナポラを謀殺して、その実行犯である民衆たちを口封じに虐殺しようとしているというものだ。クロス王が事前に準備していたように、すぐに出陣してきたのが、その裏付けになっていた。


 そのため、参陣する貴族は少ない。彼らをかき集めれば、5万は下らないはずである。それを思うと、ジョムニの策略は見事に当たった。


 しかしながら、ダヴィの表情は暗い。他の者たちもそうだ。


「それでも、僕たちの戦力はせいぜい2千人足らずといったところだ」


「しかしダヴィ様!ナポラの男は強いです!きっと撃退してみせます!」


「ミュール、気負うのはほどほどにしてくれ。現実的に考えるべきだ」


とアキレスがたしなめる。最近ますます太く成長した腕を組んで、いら立ちを抑えているようだった。


 この中で表情が唯一晴れやかなのは、青いキャスケット帽の少年だけである。ジャンヌがそれを発見して、ムッと表情をしかめる。


「ジョムニ、なに笑っているんだ」


「いえいえ、皆さん深刻に考えすぎていますので。この程度なら、今訓練している兵士の練習相手にちょうどいいぐらいですよ」


「練習相手って……」


 ダヴィたちは唖然として、ジョムニの言葉を聞いている。彼は大きな手ぶりを交えて説明を始めた。おそらく彼の足が不自由でなければ、立ち上がっていたことだろう。


「我々が勝つ理由は2つあります。1つは、のんびりとした行軍と締まりのない規律を見る限り、相手が油断していること。もう1つが、ここ一帯が岩山が多い山岳地帯であることです。まあ、私に任せてもらえれば、大丈夫ですよ」


 ――*――


 ナポラまでこのスピードだと、あと一週間はかかるだろう、とバルトロメオ=カラッチ侯爵は計算していた。同時に、本来なら、もうナポラに到着しているはずなのに、と苦々しく思う。貴族たちが全く集まらなかったことが、この軍を率いる彼の悩みの種となっていた。


 今日になって、やっと兵の数はやっと1万を超え、これならクロス国としてのメンツも立つ。召集の不調さに仕方なく、ゆっくりと行軍しつつ、あらゆる貴族に何度も書状を送り、出兵を依頼したかいがあった。


(やれやれ、宰相位も楽じゃない)


と長い髭を撫でながら、カラッチ公は思う。あの間抜けな国王を形式上はあがめながら、貴族たちを取りまとめるのは苦労が多い。おかげで自慢の黒髭にも白いものが混じり、何度黒く染めたか分からない。


 しかし楽しみも多いと、天幕の中で1人、机に広げた地図を眺めながら、顔をにやつかせる。『ナポラ』と書かれた文字を、指でトントンと示す。


(カルロもいい時に死んでくれたわい)


 カラッチ公は、民衆に反逆される間抜けなカルロもそうだが、強引に攻めることを認めたチビの国王も久々に褒めたくなった。


 アルフォン2世はダヴィから届いた拒絶の手紙を読んで、不思議な表情をしていた。怒るでも、馬鹿にして笑うでもない。ただ首をかしげて言った。


『私の命令を、爵位しゃくいもない庶民が拒否できるのか?』


(王城から出たことのない、錠前開けの王め)


 カラッチ公もダヴィが真っ向から反抗してきたことには驚いた。裏で誰かが操っているのではないかと、今でも疑っている。


 しかしその一方で、カラッチ公は、貴族でも庶民でも、時折おかしなやつが現れることを知っている。温室育ちのアルフォン2世は世間を知らないのだ。


(しかし、その馬鹿のおかげで良いこともある)


 カラッチ公はナポラを国王直轄領に編入するつもりは、さらさらなかった。あのような大きな都市を国王にくれてやるのは惜しい。自分が領有するべきだと本気で思い、すでにそのように貴族間で交渉を始めていた。


 この戦いはさっさと終わらせて、他の貴族に獲られないうちに、調整を進めたい。カラッチ公の心はすでに、ナポラを落とした後を考えていた。


「失礼します」


 一人の騎士が入ってきた。カラッチ公は姿勢を直し、顔を向ける。


「なんだ?」


「ナポラから書状が届きました」


「ナポラから?」


 カラッチ公が騎士から書状を読む。しばらくして、彼は鼻でわらった。


「なにか?」


「読んでみろ」


 騎士は再び書状を受け取った。彼もニヤリと顔を歪ませる。


 書状にはびへつらった表現がいくつも並んでいた。カラッチ公はまた髭を撫でる。


「中には正気の者もいるらしい。ナポラめ、今更降伏しようなどとは」

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