第53話『シャルル王子の出迎え』

 ダヴィたちが喜んでいた頃、ヨハン=セルクスは馬にまたがり、東へと向かう軍の中央にいた。その顔は緊張を解かれ、穏やかだった。灰色の短髪が冷たい風にそよぐ。


 その傍に彼の側近が来て、ぼそぼそと話しかけた。


「よろしいのですか、あの城を放っておいて。これだけ包囲しておいて城を落とせなかったならば、非難する者もいましょう。それに、ウォーター軍の援軍が来た連絡もありますが」


「良いのだ。城を落とすのが今回の目的ではない。目的は達せられた」


 彼は馬にぶら下げている荷物を指さした。暗がりで見えないが、木箱のようだ。


「レオポルトの首桶くびおけよ」


 ヨハンはそれを愛おしそうに見つめる。側近は眉間をひそめた。


「一体、いつの間に?」


「ウォーター国のシャルル王子から届けられた。しゃくに障るが、あの城にはレオポルトはいなかった。シャルル王子はレオポルトの首と、あの城の兵士たちの命を交換条件としたのだ」


「それで、ですか」


「そして、この国王からの手紙だ」


 ヨハンは懐から手紙を取り出した。暗くて文字は全く読めないが、大きなシーリングスタンプが見える。


「ソイル軍がわが国の北辺を荒らしているらしい」


「なんと!?」


「おそらく、王都に着き次第、我々には北方への転戦を命じられるだろう。ただ、これがシャルル王子の策ならば、我らが北にたどり着いたころには、ソイル軍は撤退しているだろうがな」


 シャルルの策とは、まずソイル軍をそそのかしてファルム国に侵攻させ、そしてレオポルトを殺してダヴィたちと交換する。その二点であった。ヨハンにとって「撤退しなければならない理由」と「撤退してもよい理由」を作り出した。


 もし、それぞれ片方の理由しかなければどうなるだろうか。ソイル軍が侵攻しただけでは、ファルム軍は急いで城を攻め落とすかもしれない。また、レオポルトの首を届けただけでは、約束を反故ほごにして城を攻めるかもしれない。


 さらに、シャルルはサーカス団「虹色の奇跡」の活躍もあって、一万近くの義勇軍をつのることにも成功していた。勝てるとはいえ、ヨハンとしては無駄に自軍を傷つけるのは得策ではない。その点でも、ヨハンにとって撤退する理由となった。


 シャルルはヨハンをうまく誘導したのだ。当然、ヨハンはこの策を見抜いている。その上で、乗った。


 ヨハンは予想以上の成果を得て、笑みをこぼす。その成果とは、シャルル王子との連合である。


「このことは国王もご承知だ。ここであの王子に恩を売っておくのも、ファルム国全体として悪くはあるまい。こちらに悪意を持つルイ王子と対立しているしな」


「はあ」


「注意して見ておくことだ。ウォーター国はあの王子によって、面白くなるかもしれない」


 ――*――


 ウォーター国とファルム国の国境にて、群衆の最前列で、シャルルは仁王立ちで待っていた。カラッと晴れた空の下、冬の冷たい風が鎧の隙間に入り込む。数日前に降った雪が地面に残っていた。


 それでも彼の身体は火照ほてっている。


 その傍では、アルマがそわそわと、せわしなく動いていた。何度も眼鏡をかけ直し、東の方角を見つめる。


「まだでしょうか、シャルル様」


「モランが迎えに行ったんだ。もうそろそろだろう。ほら」


 彼が指さす。目を凝らすと、黒い点の群れが遠くから近づいてくるのが見えた。アルマは愁眉しゅうびを開く。


 あれは、ダヴィたちだ。


 待機していた義勇軍も確認できたようで、歓声が上がり始めた。


「やった! 俺たちに、やつらは怖気づいたんだ!」


「俺たちのおかげだ! 俺たちの勝利だ!」


 彼らの多くは町人や農民である。戦わないことにホッとすると同時に、無邪気にダヴィたちの救助を喜んでいた。


(それでいい)


 シャルルは彼らを見て密かに頷いた。彼らはこの栄誉を忘れないだろう。この喜びと、勝利をもたらしたのが“誰”であるかを。


 だんだんと黒い点は人の形を成してきた。よくよく見ると、先頭にジョルジュを抱えたダヴィが馬に乗っている。その隣には、こちらもモランに抱えられたマクシミリアンがいた。二人とも怪我をして馬に満足に乗れないのだろう。ジョルジュ以上に、マクシミリアンが顔を赤くしてふてくされているのが想像ついた。シャルルは笑う。


 ダヴィの表情は、ジョルジュの頭に隠れて、まったく分からなかった。


 しばらくして、ようやく彼らはシャルルの下へとたどり着いた。


 まずマクシミリアンとジョルジュが下り、足を引きずりながらシャルルのそばへと来た。片膝を折って、首を垂れる。オールバックの頭と、長い黒髪の頭は、長い籠城戦で乱れ汚れていた。


「マクシミリアン=ヴァイマル、帰還しました」


「同じくジョルジュ=リシュ、帰還いたしました」


「二人とも、立ってくれ。……よく戻ってきた」


 シャルルが大きな手で、それぞれの頭を撫でた。二人とも満面の笑みでそれに応える。


 そして、口を真一文字にしたダヴィがやってきた。フラフラとした足取りで、立ったまま口を開く。


「ダヴィ=イスル、ただいま……」


 言い終わる前に、温かさに全身を包まれる。シャルルが彼を抱きしめていた。ダヴィの両耳の金輪がシャルルの腕の中で動く。


 シャルルは感極まった声で、彼の耳元で言う。


「よく戻ってきた。ダヴィ」


「シャルル様……ああ……」


 シャルルは強く抱きしめた後、彼がぐったりと力を失っていることに気が付いた。慌てて息を確認する。


 ダヴィは穏やかな寝息を立てていた。


「安心して、気を失ったのでしょう」


「シャルル様、許してやってください。ダヴィは怪我をした私たちに代わって、一人で指揮をしてきたのです」


「シャルル様の胸の中で寝るとは、果報者め」


 モランの笑いながら言った言葉に、周りから笑い声が起きた。ライルとスコットも遠巻きに見て笑っている。


 義勇軍の中には、籠城している兵士たちの知り合いも多く参加している。各々が知り合いを見つけて再会を喜ぶ中で、シャルルは眠りこけるダヴィにそっと呟いた。


「おかえり、ダヴィ」

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