第22話『山燃ゆ』
煙が充満する。木々の間を通り抜けて、生物を追い詰める。ウサギやイノシシ、野鳥が悲鳴と分かる鳴き声を上げながら、我先にと逃げていく。
人も同様である。重い煙は穴倉の中に入り込み、ダヴィに協力するナポラの人々は苦しみ、急いではい出てきた。少量の荷物だけ持って、女性は子供の手を引いて逃げる。
残っていたルツとオリアナ、スールも逃げ出していた。スールはエラの手を引き、オリアナは資料を抱えている。そしてルツはジョムニを背負っていた。
「すみません、背負ってもらって」
「あ、あんまり声を出さないでくださいまし! 息が首にかかって、くすぐったいですわ」
「ルツ……力持ち」
「オリアナ、変なことを言わないで!」
この山中では、彼の車いすは使えない。本当は男の人に担いでもらうつもりだったが、人手が足らず、他の女性も自分たちの家族にかかりっきりである。仕方なく、ルツが担ぐことになった。
ルツの身体が動くたびに、ジョムニは青い帽子ごと、彼女の茶色の髪に顔をうずめる。それを見て、スールが唇に人差し指を当てて、羨ましがる。
「あー、いいですわね。私もしてみたいですわ」
「じゃあ、エラがのってあげる!」
「えっ、ちょっと!」
とスールが止める前に、エラが彼女の背中に飛び乗る。彼女のフリフリの黒い洋服をよじ登り、彼女のポニーテールをどけて、細い首を抱きしめる。スールは「ぐえっ」と
ジョムニはクスリと笑うが、事態は深刻だ。このまま逃げても、壊滅状態のままだ。
(もう少し早く、避難するべきでした)
ミュールが怒って突撃せず、火の届かない場所まで逃げれば、事態はそこまで悪くならなかったはずだ。しかしその際にも、いくつかの拠点と物資は放棄しなければならない。
ここに、ダヴィ軍の弱点があった。彼らの構成員のほとんどがナポラ出身者である。心理的にも、奪還する目的のためにも、ナポラから遠ざかった場所に拠点となる穴倉を作れない。
ここまで教皇軍が強引に攻め込んでくるとは思わなかった。ジョムニは自分の見通しの甘さを
(なにか、打開策を見出さないと)
そう考えている中、流石にルツの体力が切れてきた。スールも同様に疲れる。
そこへ巨大な影が近づいてきた。ルツたちは驚いて体をこわばらせるが、それは見慣れた動物だった。
「ブーケ!」
「…………」
ブーケが木陰からのっそりと現れる。ブルルと口を鳴らし、彼らと顔をつき合わせた。奇襲攻撃には彼の大きな身体は邪魔になる。そう判断されたダヴィに、置いていかれたのだった。
ちょうど良かったと言わんばかりに、ルツが彼の背中にジョムニとエラを乗せる。そして足元で手綱を握る。
「あなたはいつもはお兄様しか乗せませんけど、こういう時は協力してくださいね。さあ、行きましょう、ブーケ!」
フンと鼻を鳴らして、ルツの言う通りに大人しく歩き始めた。ルツは彼の身体をパンパンと叩きながら、ここに乗るはずのダヴィのことを案じた。
――*――
予断を許さない状況が続く。前線に立つダヴィは登ってくる教皇軍を前にして、兵士たちに命じる。
「矢はギリギリまで使うな! 石を投げて、妨害するんだ!」
この先はいくつもの穴倉が作られている。ここで粘って、そこにいる人々が避難する時間を作らないといけない。ダヴィ軍は迫りくる炎と煙に耐えつつ、教皇軍に石や枝を投げつけ、時には応戦し、その進路を塞いだ。
その時、ダヴィの右足に、一本の矢が突き刺さった。
「ぐわっ」
「ダヴィ様!」
兵士たちが動揺する。教皇軍側から「やったぞ」「今がチャンスだ」と声が聞こえた。数名の兵士たちが憤る。
「ヤロウ!」
「よせ! 軽傷だ」
と彼らを止めながら、ダヴィは矢を引き抜く。その瞬間、太ももの傷から血が噴き出した。ダヴィは持っていた包帯を素早く巻き、同時に兵士たちに指示を出した。
「もうそろそろ頃合いだろう。非難が完了しているか、誰か見てきてくれ」
「はい!」
「それと、アキレスを呼んでくれ。もう治療が終わっているはずだ」
兵士たちが走っていた後、ダヴィは眼下を向く。煙の中に、無数の兵士の影が見え隠れしている。ダヴィは煙が染みるのを我慢して、目を
(奴らめ、このまま山を越えるまで攻め上ってくる気か?!)
ダヴィの考え通り、教皇軍は攻撃の手を緩める気はなかった。アンドレはナポラ城の方に火が向かないように消化しながらも、兵士をドンドン煙の中に送り込んでいた。
「ダヴィを捕まえろ! その一味もだ! この機会を逃すな。地の果てまで追え!」
彼の隣にはジョルジュがいた。彼は煙が覆う山をぼんやりと見つめる。
(煙に追われ、獣のように追い詰められる。これがお前の最期か、ダヴィ)
――*――
功にはやる兵士たちは、どんどん山の奥へと進む。そしてついに一部の兵士が、非戦闘員を見つけた。
兵士たちに取り囲まれ、人々は身を寄せ合う。子供たちは泣き、女性は震える。先頭に立つルツが叫んだ。
「この人たちは戦っていません! 捕らえるなら、私を捕えなさい」
「ルツ!……私も一緒……こっちも」
「ちょっと、オリアナ?!」
ルツとオリアナは、スールとジョムニを連れて、集団の前に出る。獲物を前にして、涎を垂らしそうな表情をする兵士たちの槍の矛先が、彼女たちに向く。人々はこれから起こる惨劇を予感し、目を
ジョムニが下唇を噛む。
(ここまでですか……)
と諦めかけたその時、農婦に抱えられていたエラが何かを見つけて叫んだ。
「ジャンヌだ!」
木々の中から、馬に乗ったジャンヌが現れる。それに続いて、何人もの騎兵が飛び出てくる。ジャンヌは弓を構えた。
「弱い者いじめは、あたいが許さないよ!」
彼女の正確無比な矢が次々と放たれ、兵士たちは首や眉間に穴を作り、死に至る。他の騎兵も弓の扱いが得意と見えて、器用に馬上で弓を使う。そしてあっという間に、敵兵は一掃された。
馬を降りたジャンヌに、ルツたちが駆け寄る。
「ジャンヌ、遅いですわ!」
「ごめんごめん、説得に時間がかかっちゃったよ。紹介する。こいつらがあたいらに味方してくれるやつらさ」
騎兵の一人が馬から降り、コクリと首を縦に振る。ジャンヌと同じように毛皮の衣服を身にまとうところから見ても、異教徒だろう。
ジャンヌはナポラから離れて、はるか北の国境付近に行っていた。そこで異教徒と接触し、教皇打倒に力を貸してほしいと頼んでいたのである。
異教徒としても、教皇の力が強まることは脅威だった。異教徒への
担がれてきたジョムニが、ジャンヌに感謝を伝える。
「よくやってくれました」
「待たせたけどね。さて……」
ジャンヌは頭のバンダナをまき直し、気合を入れる。そして異教徒の騎兵たちに伝える。
「他のやつらを助けに行くよ! 教皇軍に泡吹かせてやるんだ!」
正体不明の騎兵が出現した。それは教皇軍を一時的に混乱させ、ダヴィ軍に休息を与えた。
だが、アンドレは冷静に対処する。
「横隊を作って、連携しながら登っていけ! 相手が少数であることは変わらん。やつらの行動範囲を
騎兵の奇襲攻撃を受けないように、固まって行動する。そして進軍が難しい場所には火を放ち、ダヴィ軍を燻していく。教皇軍の優位は変わらない。ルツたちは人々を連れて、山中を逃げ続ける。
その時、湿気を含んだ突風が吹いた。オリアナがそれに不吉さを感じ、心の中で祈る。
(どうか……兄様に勝利を……みんなを助けて……聖女様……)
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