第23話『天の声』

 炎の勢いと教皇軍が止まらない。ダヴィ軍が黒煙と土と葉にまみれる中で、登ってくる教皇軍を必死に押しとどめようとするも、津波のように次々と寄せて来る大軍になす術がない。


 5万人が殺しに来ている。


 ジャンヌが耐えきれず、指揮をしているダボットのところに来た。


「ダボット、止まらないよ!」


「落ち着け、小娘! 時間を稼いで、やつらが止まるまで粘る。それまで耐えろ!」


「そんなこと言ったって、ダヴィも傷ついたって聞いたよ。持ちこたえられないよ!」


「うるさい!」


 ダボットはこまめに指示を出し、巧みな指揮を続ける。しかし彼の顔に、焦りの汗が垂れている。彼の近くにはミュールがいるが、彼も満身創痍まんしんそういだ。あれほど剣と盾を重そうにしている姿は見たことがない。


 このまま侵攻されると、畑や牧場に使っている場所に行き着く。そこには食糧が多く貯蔵されている。それを奪われれば、ダヴィ軍は抗戦能力を失う。


 ライルとスコットも泥だらけになって、戦い続ける。しかし防ぎようがない。


「ひえええ! もう無理だよお」


「諦めんな! 踏ん張れ!」


 教皇軍の雄たけびが山中に聞こえる。ダボットは探す。


(勝機は? 勝機はどこに?!)


 その頃、ダヴィはアキレスと共にいた。左足に巻いた包帯は真っ赤に染まり、動かなくなっている。彼はアキレスに肩を担がれ、アキレスは右手に持つパルチザンを杖代わりに使う。アキレスも左肩と左目に包帯を巻いていた。2人は敗残兵のように、歩き続ける。


「ダヴィ様、もう少しで山頂です」


「……ちょっと休ませてくれ」


 血を流し過ぎた。ダヴィはアキレスに大木まで連れてこさせ、その根元に崩れるように座り込んだ。金色の耳飾りを伝い、汗がぽたぽたと落ちる。アキレスは片膝をついて、ダヴィの傷の状態を確認して、彼を励ます。


「ダヴィ様、死ぬような傷ではありません。じきに血も止まりましょう」


「ああ……」


 そこは開けた場所だった。山の斜面が良く見える。風に乗って黒煙が舞い上がり、山の形に添って、這い上がっていく。黒い化け物のように、山頂付近にいるはずのダヴィ軍に迫っている。


 ダヴィは目を覆いたくなった。これは自分が招いたこと。逃れようのない責任を感じる。この山の中で、多くの人々の苦しみをダヴィが引き起こしてしまった。


「アキレス」


 ダヴィは遠くを眺めながら、アキレスを呼ぶ。彼はシャルルを思い出していた。


「君は俺と一緒に死ねるか」


 アキレスはギョッと目を見開く。そして目をつむる。彼の脳裏には、兄・マクシミリアンの勇姿が思い出されていた。


「……兄は美しく討ち死にしたと聞いています」


 シャルルの最期の瞬間を守り、奮戦して死んだ兄。兄にとってのシャルルは、自分にとってのダヴィだ。


 アキレスは顔を上げ、ダヴィを見つめる。


「次は俺が守る番です」


 そこまで言って、アキレスは再びダヴィの肩を担いだ。左目や左肩は痛むが、再び力を込める。


「今はまだ、その時ではありません。最後まで戦いましょう」


「……ありがとう」


「はい!…………おや?」


 顔にぽつりと雫が当たる。見上げると、先ほどまでなかった黒雲が空を覆っていた。


 雨になりそうだ。


 ――*――


 ベルナールの感情は最高潮に盛り上がっている。彼はウォーハンマーを振り回し、狂喜しながら、炎の中を部下と共に進む。白い僧服に血や泥がついても、気にしない。逃げるダヴィ軍を前にして、叫び続ける。


「背信者を殺すのです! むごたらしい死を! 泣きわめくような苦しみを、与えなさい!」


 アンドレもまた、勝利を確信している。周りに少数の兵士だけを置き、残りはすべて山中に投入した。ダヴィ軍の拠点も見つかりつつある。奴らの壊滅が近い。


「長かったな。粘り強い敵だった」


と称賛する独り言をもらす。これを言えるのは、彼には余裕が出来た証だ。もう勝利は揺るがないだろう。


 ジョルジュは別の場所から、この戦闘を見ていた。炎と煙、そして敵に取り囲まれた光景に、自分が殺した旧主を思い出す。だが、すぐに頭を振って、記憶を消す。


(やはり、お前たちは間違っていたのだ)


 ジョルジュが山から目をそらそうとしたその時、ポツリと頬に感じる。


「雨……」


 空は晴れていたはずだ。しかし気が付いた時には、空は暗かった。ああ、これで炎の勢いは弱まるだろう。ナポラの住民も安心するはずだ。


 ジョルジュはそう思いつつも、見つめる空がやけに暗く、ざわざわと胸の内に不安がよぎった。


 雨に、この地域にいる誰もが気づき始めた。戦いを続ける者も、休息をとる者も、ぽつぽつと大粒の雫が天から落ちてくるのを理解する。


 誰かが、呟いた。


「世界はまだ、彼を失えない」


 ――*――


 天候は人の言動とは関係がない。それが常識だ。


 しかしながら、この場面での気候の変化に“何者かの意図”を感じてしまう。


「おい、本降りになりそうだぜ」


「ホントだあ」


と、ライルとスコットが呟いたが、雨脚は彼らの想像を超える。


 ぽつぽつと降り始めた雨は、やがて滝のようになり、雷が落ちるような衝撃を地面に与え、視界が真っ白になった。炎は消え、煙は雨に飲み込まれる。


 山の斜面にいたダヴィ軍の兵士は木にしがみつき、教皇軍は滑り落ちていく。しかも悪いことに、燃えて倒れた木々が雨に流され、教皇軍に襲いかかる。一瞬で出来た濁流に、多くの兵士が呑み込まれてしまう。


 教皇軍の誰かが叫んだ。


「こんなの、無理だ! 逃げよう!」


 兵士が一人、また一人と、山を下っていく。ベルナールは地団太じだんだを踏んで怒り狂った。


「なぜだ? なぜ邪魔をする! おお、聖女様よ!」


 アンドレもカッと天を睨みつける。つかみかけていた勝利を、雨に奪い取られてしまった。


「どういうことだ?! そんなにダヴィを助けたいと言うのか?!」


「…………」


 隣にいたジョルジュは言葉を失う。鎧や兜を打ち付ける雨に、恐れすら抱く。もしかしたら、ダヴィは敵対してはいけない存在なのか?


 雨はすぐに嵐に変わる。川を暴れさせ、ナポラを含めた地域に洪水をもたらす。平野に逃れた教皇軍は、今度は川の濁流に逃げまどい、高い場所へ逃れた。ナポラの住居の多くも流され、その勢いで城壁の一部が崩れた。小麦畑は冠水し、作物は泥につかる。


 雨は止まらない。人々がいくら祈っても、降りやまない。


 それでも、人は受け入れるしかない。これが聖女様のいたずらであろうとも。

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