第21話『死の炎』
夏場を過ぎた木々は乾燥を始め、よく燃えやすい。教皇軍が放った火は見る見るうちに大きくなり、山のすそ野が一面赤く染めあがった。生木を燃やすせいで、黒煙が大きく舞い上がり、山に隠れる兵士たちがむせる。
「出るなよ。こらえろ」
とダボットが制止するが、兵士たちは前のめりになって、教皇軍を睨みつける。彼らの多くはナポラの出身だ。山を燃やされると、ナポラの住民にとってどんなに辛いか、理解している。
彼らの心理を見抜いてか、燃やしている側のベルナールは狂喜する。
「さあ、全て燃やしなさい! この炎を天まで届かせるのです!」
実を言えば、この放火作戦はある意味正しい。死角からの奇襲を前提とするゲリラ戦において、その死角となる木々や植物を消滅させる行動は、視覚確保の点から有効である。ナポラの住民の生活保護の面を無視すれば、これはダヴィ軍に効いている。
さらに彼らは燃え広がりやすいように、ある仕掛けを施していた。ダボットがいち早く気づく。
「この匂いは、火薬か」
風の中に硫黄の匂いが混じる。この頃使われていたのは黒色火薬であり、黒煙に混じって大量の白煙が上がる。まだ原料の硝石を生産する方法が確立していないため、普及はしていない。その上、成分の配合率の研究がまだ進んでいないために爆発力は低い。しかし燃焼補助剤としては大いに機能していた。
ダヴィ軍の感情を効果的に逆なでさせる。しゃがんで山が燃える光景を見ている中、ミュールがすくりと立ち上がった。
「……我慢ならねえ」
「おい!」
ダボットが腕をつかんでくるが、それを振り払い、鞘から剣を抜く。そしてミュールは叫んだ。
「俺たちの故郷を、俺たちの居場所を、これ以上荒らされてたまるか! てめえら、行くぞ!」
「ミュール!」
もうダボットの声は聞こえない。弾かれたように駆けていくミュールに続いて、兵士たちも目を血走らせて山を駆けおりる。そして勢いのまま、山を放火する教皇軍に攻撃してきた。
「あはははは、来ましたね」
ベルナールはいつも以上の微笑みを浮かべながら、部下に迎撃の指示を出す。教皇軍は松明から剣と盾に持ち替え、ダヴィ軍を迎え撃った。
次々と、炎と煙の中から飛び出してくるダヴィ軍と教皇軍はぶつかり、すぐに乱戦模様となる。アンドレはベルナールに怒っていた思考を切り替えて、部下に命じる。
「仕方ない。これをチャンスに変える。ナポラ城に戻り、全軍に進撃を命じろ。いいか、全軍だぞ!」
ダヴィ軍はすでに数百名がこの戦闘に参加している。ここを叩けば、ダヴィ軍は大きなダメージを受けるはずだ。
(ここが正念場になる)
それはダヴィも感じていた。アキレスを伴って、ダボットの元へ向かう。
「ダボット、どうしたんだ?!」
「申し訳ありません。ミュールを制止できませんでした」
ダヴィは山中から見下ろす。自分たちの軍は統率も何もなく、戦い乱れている。彼はすぐに決断した。
「俺たちも行こう」
「ダヴィ様!」
「彼らを見殺しには出来ない! 俺がまとめて、頃合いを見て撤退させる。アキレスは一緒に来てくれ。ダボット、君は残りの兵を連れて、援護の準備を」
ダヴィとアキレスはそれぞれの武器を握って、山を下りた。その後ろ姿をダボットは見送る。
「厄介なことになった。これだから、血の気の多い奴は困る」
その一番血の気の多いミュールは、木々が燃え盛る中で、教皇軍の兵士を次々と打ち倒している。
「オラァ! てめえら、好き勝手しやがって、許さねえ!」
暴れまわり、敵の首をはね飛ばす。果敢にも槍を突いてくる者もいたが、ミュールはその槍を奪って、逆に串刺しにする。彼は止まらない。
しかし、教皇軍も止まらない。後ろから大量の援軍が来る強みがある彼らは恐れず、ダヴィ軍に襲いかかる。ベルナールも余裕だ。
「さあ、やつらを疲れさせ、袋叩きにしなさい。炎で焼くのもいいでしょう」
「ベルナール!」
アキレスがパルチザンを振り下ろす。しかしベルナールは避け、彼に向き直る。
「おやおや、あなたまで出てきましたか。ここであの猪武者と一緒に倒せれば、小生たちは勝ったも同然」
「そうはさせるか!」
再び振り下ろされたパルチザンを、ベルナールはウォーハンマーで受け止める。アキレスが縦に、横に、斜めに振るってきても、それを避けずに受けとめた。
ベルナールは笑い声をもらす。煙と炎の中で、その声が聞こえてくる。
「ハハハハハ! いいですね、いいですね! あなたは私の敵にふさわしい」
「俺はごめんだ」
痛々しい金属音が響く。両者の戦いに、他の兵士は参加できない。彼らは2人から自然と離れる。
何合か斬り合ったその時、喚声が轟く。ナポラ城から教皇軍の援軍の第一陣が到着した。
「お早いことです。さすがアンドレ殿。さあ、あなた方は持ちますかな」
「クソッ」
アキレスは焦った。早く目の前の敵を倒して、他の者を助けなければならない。それがこの軍で武勇に優れている自分の役割だと。
彼のパルチザンがうなりを上げるが、ベルナールは一向に倒れない。もう一度斬りかかろうとパルチザンを振り上げたその時、アキレスは流れ矢への注意を怠った。どこからか飛んできた矢が、彼の左肩に突き刺さる。
「ぐっ!」
「もらいました!」
目測を誤ったアキレスのパルチザンを避け、ベルナールは懐に飛び込んだ。そして、彼の頭にウォーハンマーを下ろす。
アキレスは辛うじて槌の部分は避けたが、その装飾の尖った部分は避けられなかった。縦に斬られ、アキレスの左目から血がふき出す。
「うぐっ」
「ハハハハハ! 決まりましたねえ」
ベルナールの笑みが深まる。アキレスは自分の不利を悟った。それと同時に、自分の頭に冷静さを取り戻す。ヌーン軍のチェザーレ=ボルザと戦った時の自分とは違う。
「ここは、退かせてもらう」
とアキレスは、地面に合った木の燃えカスを蹴り飛ばした。舞い上がった灰が、ベルナールの視界を妨げ、その隙にアキレスは山へと逃げていく。
ベルナールは追わなかった。高らかに笑いながら、どこかにいるアキレスに呼びかける。
「いいでしょう、お逃げなさい! ネズミのように、逃げ回るのです! 聖女様の使途である小生たちは逃しませんよ。必ずや、あなたたちを磔にしてあげましょう」
ベルナールは笑い続ける。ダヴィ軍にとって、地の底からわき上がるような、不気味で不吉な声に聞こえた。
「アキレスが負傷?! 本当か?」
「はい!」
アキレスが負傷したことは、すぐにダヴィの元に知らされる。ダヴィは唇を噛んだ。
目の前では、炎と煙の中で、ダヴィ軍が必死に戦っている。しかし、それも限界が近い。ナポラ城からは無数の黒い兵士たちの影がみえてきた。
(ここまでだ)
ダヴィはもう少し、軍勢を立て直したかった。しかしながら、アキレスが退いて、押され始めている。これ以上戦えば、全滅の恐れもある。
ダヴィは前線で暴れ続けるミュールの元に駆け寄る。彼も疲れきって、肩で息をしていた。彼が敵を一人斬り殺して、一息ついたところを見計らって、声をかける。
「ミュール、撤退だ!」
「ダヴィ様、でもっ」
ミュールは反論した。燃え広がる山々を見渡し、悲鳴のように叫ぶ。
「俺たちの山がこんなに……俺たちの全てが……あいつらにこれ以上、大事なものを奪わせてたまるか!」
「ミュール!!」
ダヴィは彼の襟首をつかんだ。オッドアイに力を込めて、彼に説教する。
「ここで無理に戦って全滅したら、今までの苦労はどうなる?! 先を見るんだ!」
「し、しかし」
「ミュール、俺の目を見ろ! そして、山にいる女性や子供のことを考えるんだ。俺たちが守らなくて、誰が守る!」
ミュールは気が付いた。ダヴィの手が震えている。総大将の責務から、必死に冷静さを保とうとしている。
ダヴィはもう一度叫んだ。
「泥水をすすろうとも、血を吐いても、明日の希望を育てるんだ! 薄いプライドや衝動に身を任せて、本当に大事なものを失うな!」
ミュールはボロボロと大粒の涙を流した。その気持ちが痛いほど分かり、ダヴィは顔を伏せる。ミュールは力を失い、持っていた剣と盾をだらりと垂らした。
ダヴィは改めて、周囲の味方に呼びかける。
「撤退だ! 山に戻れ!」
ダヴィ軍は炎を越えて、山へと戻り始めた。アンドレは彼らの規律を感じられないバラバラな行動を見て、勝機を感じる。
「ここで奴らを倒す! 全軍、進め!」
教皇軍も炎を越えていく。その数、5万。千人に満たないダヴィ軍の後を追い、山へと入っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます