第12話『未来への投資』

 ダヴィが教皇に反抗した影響は当然、彼の周りにも影響する。イサイ=イスルの商会は教会から目をつけられ、フィレスからの撤退を余儀なくされた。


 荷物を船に乗せたのち、空になった屋敷でイサイは従業員に挨拶する。


「このような危機は初めてではない」


とイサイは、落ち込む彼らに向かって、最初に言う。実際、彼の波乱万丈はらんばんじょうの人生には、これ以上の危機はたくさんあった。


「私たちはまだウォーター国やソイル国に拠点がある。すべて失ったわけではない。さあ、あっちについたら、すぐに交易ルートの再構築だ。忙しくなるぞ」


 イサイはパンと手を叩く。それに励まされ、従業員は屋敷を覚悟した表情をして出ていった。


 しかしながら、フィレスとファルム国の十か所近くの拠点を閉めることで、イスル商会の規模は半減することは確実だ。ミーシャはイサイに文句を言う。


「この屋敷はそのままにしておいて、良かったんじゃありませんか?」


「それは難しいだろう。いずれ教皇軍に略奪される」


「教皇様の軍勢がそんなことをするとは思えません」


「教皇も人間だ」


 祭司庁に出入りしていた彼だからこそ、祭司庁が他の王城と変わらず、欲と金で作られていることを知っている。白い僧服を着ていても、人間の本質は同じだ。


 住み慣れた地を離れなければならない。そのいら立ちの矛先は、憎い義理の息子に向く。


「やっぱり、ダヴィは疫病神ですわ! あんな無茶なことをしなければ、こんなことには。それに、ルツやオリアナがどうなるか……」


「ミーシャ、それは言わない約束だ」


「でも!」


「いいかい、ミーシャ」


 イサイは自分のメガネを光らし、妻に説教する。


「私はダヴィ=イスルに投資したんだ。期待という名のな。それを私はいささかも後悔していない。ミーシャ、君は娘たちに同じような投資しているのだろう?」


「それはそうですが……」


「この投資はまだ失敗していない。結果が出るまで、待つのだ」


 そしてイサイは春先の空を見上げる。自分たちよりも一層苦しむ息子たちに、心の中でエールを送る。


 彼は天に向かって、呟く。


「親が子供に期待して、なにが悪い」


 ――*――


 ナポラでも防衛の準備は着々と進む。春半ば、穏やかな陽気が街を包む中で、人々はせわしなく食糧や軍備を運び、移動していく。


 その中心である王城内で、子供の叫び声が聞こえた。


「やだ!」


 ダヴィとルツが困って顔を見合わせる。椅子に座るエラに、また語りかけた。


「なあ、エラ。ここは危ないから、逃げてくれないか?」


「お父様のところに行きましょう?」


「いや!」


 エラは顔を真っ赤にして、金色の髪ごと、ブンブンと頭を横に振る。そして2人に大きな声で伝える。


「エラもまもるもん! パパといっしょにガンバルもん!」


「エラ……」


 彼女の態度はかたくなだ。ダヴィは膝をついて、彼女の目線に合わせて問いかける。


「どうしてここに残りたいんだい?」


「だって、ママとやくそくしたから」


「約束?」


「エラとパパとママの住むところをつくるって」


 ダヴィがトリシャに「僕たちの居場所を作る」と言ったことを、今よりももっと幼かったエラは覚えていた。彼女もその約束をした一人だ。


「ママがくるまで、ここをまもらなくちゃ」


「そうか」


 ダヴィがエラの頭をなでると、くすぐったそうにして微笑んだ。ルツは腰に手を置いて、ひとつ息を吐く。


「しょうがないですわ。連れて行きましょう。さあ、エラ! 自分のお荷物をまとめてちょうだい」


「はーい!」


 エラは椅子から飛び降り、自分の部屋へかけていった。その後ろを、ルツがついて行こうとする。その彼女に、ダヴィが声をかけた。


「ルツ」


「なんですか?」


「君は良いのかい? エラと一緒に避難してほしかったのだけど」


「あら? そんなことを考えていらしたの、お兄様」


 ルツはダヴィに笑みを向ける。長いウェーブした茶髪が、今日も彼女の肩にかかる。


「私はもう自分の人生を歩んでいます。良い政治を行い、国民が安心して暮らせるようにすることが、私の夢。この国はお兄様だけのものじゃないんですわよ」


「ルツ……しかし……」


「もう! これは私のわがままです! お兄様の言うことでも、聞きませんわよ」


とルツは舌を出しておどけて、エラの部屋へと向かった。残されたダヴィは頭をかく。


「俺の周りの女性は、強いひとばっかりだ」


「兄様」


「わっ」


 いつの間にか部屋に入ってきたオリアナに驚かされる。ダヴィは声のした方を向いた。


「オリアナ! また急に入って……」


 ダヴィはいつぞやのように、また言葉が止まった。


 オリアナの長かったストレートの髪が、バッサリと切られ、肩にかからない程度の長さになっていた。そして、その茶髪は顔周りを包み込むように、卵型にセットされている。


 驚いて目を丸くするダヴィに、オリアナは体をクルリと回し、新しい髪型を見せる。


「どう……」


「あ、ああ、似合っているけど、どうしたの?」


「だって……ジャンヌをあんなに褒めたから……」


「えっ」


 確かに、ダヴィは先日、皆の前でジャンヌの新しい髪型を褒めた。初めて見た時に何も言えなかった反動で、つい褒めすぎて、ジャンヌが耳まで赤くして怒ってしまった。オリアナはそれが羨ましかった。


「ジャンヌより……似合っている……?」


「えーと、あんまり比べるものじゃないけど、オリアナも大人っぽくなったね。とてもきれいになった」


「本当? フフフ……」


 オリアナは嬉しそうに体をくねらせた。そしてダヴィの片腕を抱いて、体をしなだれさせる。彼女のもっと成長した豊満な身体の感触を、ダヴィは肌で味わう。


 ダヴィはドギマギしながら、話を変えることにした。


「そ、それで、準備はどうなっているんだ?」


「……それは、まだ出来ていない。訓練も……」


「そうか……」


 色々と手立ては打った。しかし、ダヴィたちにはまだ時間が必要だ。当初の見立て通り、少なくとも夏に差しかかるまでは。窓の外からは、おぼろ雲が浮かんでいるのが見える。


「あとはギリギリまでねばるしかないか」

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