第13話『悲劇は三度目』

 教皇軍が動き出した。人質交渉に時間がかかり、夏を半ば過ぎた頃である。地面を照り返す光は強く、虫たちの声は絶えない。入道雲が時々太陽を隠し、その度に人は一息つく。


 山道を進む兵士たちも同様である。その隊列の中で、騎馬に乗るカラッチ公の鎧の下は汗まみれになり、不快感に襲われていた。やっと生えそろった長い髭にも、汗が垂れる。


 いや、この不快感は汗だけによるものじゃないだろう。


(なぜ、私が先陣を務めなければならないのだ)


 クロス国滅亡後、カラッチ公は手を尽くして教皇に降伏できた。領土を大分削られたが、数百年の歴史ある家名は残すことが出来た。


 ところが、この軍隊の順列である。


(先陣なんぞ、そこらの新興貴族にやらせればいいのだ。カラッチの名を持つ私にやらせるなど、間違っている!)


 先陣とは通常、危険な役割である。戦功にはやる若武者以外、やりたがらない。こういう役割を押し付けられるのは、権力のない新興貴族か、敵からの裏切り者、または命令に服従するしかない騎士だけだ。


 若い頃も副将格を務めていたカラッチ公は、この処遇に屈辱を感じる。


「どうされた、カラッチ公? そんな渋い顔をされて」


「…………」


 隣で馬を並べる騎士が、同僚に話しかけるように声をかける。彼は教皇直属の騎士団に所属し、この部隊の軍監(軍事を監督し、軍紀を正す役割をする。副将的な役割をすることもある)を務めている。


 カラッチ公がクロス国の宰相を務めていた頃には、話しかけることすら出来なかったであろう存在だ。


(これも、敗軍の将の定めか)


 カラッチ公は感情を抑えて、返答する。


「いや、なんでもない。暑いだけだ」


 彼は悪名高い「赤蛇の聖騎士団」ではない。無茶をすることはないだろう。それだけを心慰こころなぐさみとして、カラッチ公は馬を進ませた。


 ――*――


 教皇軍の進撃は順調に進んだ。というのも、ダヴィ軍が全く反撃してこなかったからである。


「ここまで一兵も見ないとはな」


とカラッチ公は独りごちる。ここまで何城も占領してきたが、そこにダヴィ軍の姿はなく、住民たちだけが取り残されていた。激しい戦闘を覚悟していた教皇軍にとって気組みを外されるようで、無人の山を進んでいる気分になった。


 それは彼らにとって喜ぶでもあるが、悩みでもある。一番困ったのは、ダヴィ軍は物資を全て持っていったことだ。


 この時代の戦闘において、食糧などは現地調達が基本だった。敵から食料を分捕る、もしくは現地の商人・農民から買い取ることを念頭に置いている。


 ところがダヴィ軍は事前に現地から食糧を買い取り、その全てをナポラに持っていった。教皇軍はほとんど食糧を現地において確保できていない。


「卑怯な真似を。悪あがきもいいところだ」


 苦々しく呟くカラッチ公の言葉に、軍監役の騎士も頷く。一騎打ちが推奨されているこの時代、このような心理・撤退戦略をとるのはタブー視されている。


 だが、そうも言ってられない。彼らは5万の軍勢の先駆けとして、ダヴィを追わねばならない。カラッチ公は北を向く。


「きっとナポラに全てあることだろう。さっさと落としてやる」


 憤然とする彼を先頭に、教皇軍は山道を進む。


「この先は私が襲われた場所だ。気をつけて進もう」


 自慢の髭を切られた苦い思い出が残る場所に近づく。その時、先頭を行く兵士の足元に、一本の矢が刺さった。


「む?」


「何者だ!」


 矢を放った騎兵が狭い山道の先に立ちふさがる。彼は背中に短弓をしまうと、長いパルチザンを持った。


「ダヴィ=イスルが家臣、アキレス=ヴァイマル」


 短い黒髪の下から、鋭い眼光を浴びせてくる。教皇軍の兵士たちは慄いた。彼の名はすでに旧クロス国中に広まっている。


 アキレスの後ろに、槍を持った歩兵たちが現れる。全員殺気立っていた。アキレスはパルチザンを構えて、及び腰の敵に宣言する。


「ここから一歩たりとも、通さん」


 それからすぐに、カラッチ公のもとに報告がきた。彼の頭にもアキレスの名は刻み込まれている。その彼に前線の兵士たちが一方的に討ち取られていると聞き、血の気が引いた。


 ところが教皇から派遣された騎士は、彼の名を知らなかった。この状況にいきどおり、自前の槍をつかむ。


「私が討ち取ってきましょう」


「おい! よせ!」


 騎士は味方を押しのけ、前線へと進む。彼を死なせてしまっては、教皇から何と言われるか分かったものではない。仕方なく、カラッチ公は彼の後を追った。


 前線に着いた時、こんなに暑い日にも関わらず、彼は寒気を覚えた。辺り一面の草木や地面にまんべんなく、赤い血がついていた。そして多くの兵士の身体が転がる。そのほとんどが教皇軍の兵士だ。


 混戦状態。その真ん中で、アキレスと先ほどの騎士が対峙していた。


「くたばれ!」


 騎士が槍を突きだす。普段から厳しい訓練を続けているのだろう。その槍は鋭く、大抵の兵士は避けられないだろう。


 だが、目の前にいる男は違った。


「くたばるのは、お前だ!」


 アキレスはパルチザンを横薙ぎにしてその槍を払う。そして頭上で振り回し、その勢いそのままに、騎士の横顔を斬り払う。


 ブシュッ。騎士の顔の上半分が、血しぶきと共に消えた。普通、頭蓋骨を斬り裂くことは出来ない。凄まじい腕力である。


 その光景を目の当たりにして息が止まるカラッチ公を、アキレスが見つけた。


「名のある貴族と見た。いざ、勝負!」


「クソ! 止めろ!」


 カラッチ公の激に、教皇軍の兵士がアキレスにあらがう。しかし彼の猛攻になすすべなく、押しのけられていく。周りのダヴィ軍の兵士も果敢に攻めかかってくる。


 この細い山道では不利だ。そう判断したカラッチ公が撤退を考えたその時、足元から声が聞こえた。


「よう、久しぶりに会ったじゃねえか、ヒゲやろう」


「お、お前は?!」


 ミュールがその傷だらけの顔をニンマリとさせて、カラッチ公を見上げていた。カラッチ公の脳裏に、あの時の恐怖がよみがえる。


「俺に会いたかったのか?」


「ほざくな!」


 カラッチ公は勇敢にも剣を抜く。しかしミュールの攻撃の方が早かった。彼はカラッチ公の剣を持つ手首めがけて、剣を斬り上げた。


「うわあああああ!」


 間一髪、カラッチ公が避けた。しかし代わりに、手に持っていた手綱を切られ、馬から転げ落ちてしまう。


 地面に横たわる彼がまぶたを開くと、ミュールの剣が彼の髭の下の首に、向けられていた。


「また、髭を斬られたいか? 剣を捨てな。その下の首まで斬っちまうぜ」


「うぐぐ……」


 カラッチ公は助けてくれる味方を探した。ところが、次に彼のもとに現れたのは、アキレスだった。


「捕まえたのか」


「おうよ! こいつ、下を見ねえから、歩いて近づく俺に気づかなかったぜ。馬に乗らないのも悪くないだろ」


「騎乗が苦手なだけじゃないか」


 呆れるアキレスに、笑うミュール。彼らの姿が並び、カラッチ公は諦めた。剣を手から放す。


「……好きにせい」


「おう、言われなくてもそうするさ」


 ミュールはカラッチ公を縛り、アキレスは教皇軍に向かって叫んだ。


「お前たちの大将は捕まえた! 退くがいい! 後日、人質交渉をすると、そう伝えろ」


 こうして教皇軍の進撃は出鼻をくじかれることになった。カラッチ公は熱がこもる地面に座りながら、うなだれて、自分の不運さを嘆くしかなかった。

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