第26話『白い鹿』
古来、歴史書や伝記には異説が多い。特に語られぬ事象が多い戦争や政治になると、より
この戦いでもそうである。創世王・ダヴィはこの時、他の領主から城へ攻め込むことを要望されていたとか、城内に知り合いがいて人質になっていたとか、またはトーリという青年は存在しなかったなど、彼を語る伝記ごとにその内容は異なる。
ところが、それら多くの伝記に共通して記載されている伝説がある。
この時、ダヴィ王は、白い鹿を見たと伝わる。
――*――
気が付くと、ダヴィは森の中にいた。
トーリの件を悩みすぎて、こんなところまで来てしまったのか。周りには誰もいない。こんなところを敵に見つかったら、どうするというのか。
ひんやりとした森のどこかで、鳥が鳴いた。ダヴィはびくりと体を震わせる。早く帰らないと。
「ダヴィ」
不思議な声。男性とも女性のものとも分からない声だった。怖いと、思う前に、声が聞こえた方に振り向いた。そして不思議な影を見つける。左右違う色の目を
そこには、大きな鹿がいた。シミひとつない白い毛並みが、暗い森の闇の中に、ぼんやりと輝いていた。
この世のものではない。でも、邪悪なものでもない。そう感じた。
「ダヴィ」
鹿がゆっくりと動き、森の奥へと行く。ダヴィは疑問を抱くことなく、その鹿についていった。
どれくらい歩いただろうか。白い鹿の背中を見つめながら、深い森を踏み分けていく。草木は不思議と彼らの足取りを邪魔しない。
そしてたどり着いた先に、巨大な城壁がいきなり現れた。
「あれ?」
気が付くと、その白い鹿はいなくなっていた。目の前にいたはずだ。どこに行ったのだろう?
キョロキョロと視線を動かしていたその時、城壁の間から光がこぼれていると気が付いた。
彼はゆっくりと近づく。その光の先には、ちょうど人一人が通れそうな穴が岩山と城壁の隙間にできていた。城壁の隣には岩山がある。恐らく城を築くとき、この岩山を破壊せずに利用して城壁を築いたと推測する。そのために、この穴が見つけにくかったのだろうと理解した。
ダヴィはその穴から中を覗いた。そこには大量の
(食料庫だ)
ダヴィは空を見上げた。ちょうど東極星(方角を表してくれる星)が見えた。あの位置からすると、ここは北側の壁に違いない。
彼はその場から離れた。その様子を、森の奥から見つめる姿があった。白い鹿と、その隣にたたずむ女性である。
彼女も白く輝いていた。決して月の光のせいではない。
「ダヴィ、進みなさい」
誰にも聞こえない声が、夜の闇にこだました。巨大な月が彼女たちをぼんやりと照らし出す。森の生き物たちは声を潜めて、彼女たちを眺めていた。
――*――
「「城壁の隙間を見つけたあ!?」」
「しー! 静かに」
マクシミリアンとジョルジュが口を押える。
ダヴィが陣に戻るとすぐに、寝たばかりの二人を無理やり起こして、先ほどの事実を伝えた。二人は寝ぼけていた目を見開かせつつ、寝ている周囲の兵士を気遣う。
それでも興奮を抑えきれずに、ダヴィに顔を近づけて言う。
「大手柄だぞ、ダヴィ!」
「早速シャルル様に報告しましょう!」
「それは待った」
ダヴィは立ち上がろうとする二人を押しとどめた。そして彼らしくもなく、ニヤリと笑って見せる。
「シャルル様を驚かせてみよう」
「「え?」」
ダヴィは
「僕たちにとって初めての戦いだ。これ以上ないぐらいの手柄を立てよう。そのチャンスが目の前に転がっている!」
「「…………」」
ダヴィらしくない強気な発言。彼をよく知る学友たちは違和感を覚える。
しかし彼らも血の気の多い少年。ダヴィの提案に乗った。マクシミリアンは興奮のあまり太い腕を何度も動かし、ジョルジュもいつもの青白い細い顔を紅潮させる。
「君たちのお父さんたちを動かせないの?」
「ダメだ。父上たちはシャルル様と近すぎる。仮に父上たちが動いたとしても、シャルル様は必ず気づく」
と、ジョルジュが眼鏡を上げながら答える。そして代案を提示した。
「それよりも参陣した若い領主たちを
「確かに、それがいいな! あまりに戦いが簡単に片付いたから、手柄の立てどころがなくて不満に思っているって聞いたぜ。こんな話があれば、飛びついてくるに違いないぜ!」
この時代の軍勢は、領主がそれぞれの軍を率いてきて成り立っているため、厳しい軍紀を
マクシミリアンの力強い肯定に、ダヴィも頷いた。
「それで、いつ決行する? 明日か? 明後日か?」
「今日だ。未明には決行したい」
「今日? そんな急には」
「明日にはバレるかもしれない。それに焚きつける領主たちも、勝ったばかりの今日の方が気が乗りやすい」
ダヴィが強引に物事を進める。二人はダヴィの意図を知らずに、乗せられるままになる。マクシミリアンは大きな目を、ジョルジュは眼鏡を光らせる。
「やってやろうぜ、ダヴィ!」
「やりましょう!」
「うん!」
ダヴィはこれがシャルルの意図にそぐわないと知っていた。その罪悪感を押し殺して、彼ら二人に笑いかけた。顔がこわばる。
十四歳の少年は腹をくくった。
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