第24話『デム公領南の戦い 下』
「おりゃあああ!! …………おう?」
切りつぶした、と思ったら感触がない。馬で駆け抜けた後に振り返れば、ダヴィが乗っていたはずの馬の上に、ダヴィがいなかった。
(落ちたか?)
ところが、馬の下からひょっこりと細い体が出てきた。そして何事もなかったかのように、逃げていった。地面には、落ちた旗が残されていた。
「はあ? …………うぐっっ!」
よそ見をしていた隙に、視線の下から突き出された剣が、横腹に突き刺さっていた。反射的にその剣を差してきた兵士の腕を切り捨てたが、その傷からドバドバと血がこぼれる。
ダヴィはサーカス団で
まさかの出来事である。この攻撃してきた騎兵は訳が分からないまま、この怪我がもとで討ち死にする。この怪我をつくった原因であるダヴィは、知らないうちに奇功を上げた。
ところが、当の本人は旗が落ちたことにすら気が付かない。心臓がバクバクと音を立てて、必死に戦場を駆けていた。
どこを見ても、血しぶきが飛んでいる。息絶えた死体が転がる。怒号と悲鳴が渦巻く。
(これが、戦場!)
夢中で戦場を駆ける。何度も聖女様に祈る。与えられた指令だけが、彼の心を狂わせずにさせていた。
一方でシャルルは本陣で馬に乗りながら、じっくりと時を待っていた。隣ではジョルジュがキョロキョロとせわしなく目を動かし、体をもじもじと動かす。彼の長髪が絶えず動いていた。
そこへ、マクシミリアンが汗だくで駆けてきた。馬から飛び降りると、シャルルの前で膝を地面につく。
「報告します! 味方の中央、右翼共に敵を押しています!」
「よしっ!」
マクシミリアンの報告に、ジョルジュがこぶしを握って喜んだ。
しかしながら、シャルルは眉ひとつ動かさない。代わりに、マクシミリアンの鎧に付いた傷に気が付いた。
「
彼は誇らしく、自慢のツーブロックの髪を撫でながら報告した。
「え? ああ! これは敵の騎兵と戦った時の傷です! 敵の一撃を肩に受けましたが、その代わりにやつの首筋に……」
その時、マクシミリアンは気づいた。シャルルが無言で笑っている。いや、正確には笑っていない。口角は上がっているのに、目が冷たい。マクシミリアンは彼の細くなった目の奥と、目を合わせられない。
伝令役は戦場の状況を確認するのが第一。敵と戦うのは重要ではない。シャルルは彼が伝令の役割をサボった罪を、その眼だけで批判していた。
マクシミリアンは思わず顔を伏せた。ジョルジュは彼をかばうように進言する。
「今こそ総攻撃の時です! 攻め込みましょう!」
「…………」
シャルルは何も答えなかった。
そこへダヴィが戻ってきた。彼は馬からするりと下りると、マクシミリアンの隣で同じように膝をついた。
「申し上げます! 敵左翼の軍の後方に、ソイル軍がいました」
「そうか!」
シャルルは初めて大きな声を出した。そしてマクシミリアンとダヴィに指示を出す。
「ダヴィは左翼のパール公に、そのソイル軍を攻撃するように指示を出せ。マクシミリアンは父親のところに行け」
「父もソイル軍に攻め込むのでしょうか?」
「いや。モランには騎兵を率いて、敵の退路に進軍してもらう」
「しかし!」
ジョルジュが口をはさむ。今回、シャルルが率いてきた騎兵は少ない。さらにデム公軍が城まで行く退路にはいくつも関が設けられており、少数で攻め込むと、下手をすると撃退される恐れがある。
シャルルはジョルジュの考えを見通して、笑いながら否定した。
「いやいや、攻め込めと言ったわけじゃない。モランには敵を脅かしてもらう」
「脅かす?」
「旗を多く持っていくように伝えてくれ。敵を驚かせて混乱させるのが目的だ」
ダヴィとマクシミリアンはそれぞれ駆けていった。その数十分後、早速ウォーター軍の動きが変わってくる。
まずパール公の軍が迂回して、ソイル軍に攻め込んだ。相手は元々百騎もいない軍勢である。元々戦う気がなかったようで、
その途端に、デム公軍が
(監視役がいなくなったからだ)
と、ダヴィは戦場を駆けながら感じた。撤退するデム公軍の兵士の顔つきは、どことなく安どしている。
君主を始めとして、デム公軍は城の外で戦う状況を嫌がっていた。城に戻りたい足を止めていたのが、先ほどの少数のソイル軍である。その足かせを取っ払ってしまえば、自然と撤退していく。シャルルはそう読みきっていた。
足早に撤退していくデム公軍の、退路のそばの山の斜面に、モラン率いる軍勢は布陣した。そして部下に命ずる。
「旗を掲げよ! そして雄たけびを上げるのだ!」
大量の旗と共に、兵士たちの喚声が上がる。その光景と音を浴びたデム公軍の、撤退の足が速くなる。
やがて、退路を断たれるかもしれないという恐れは、恐慌へと変わり、装備や旗を放棄して城へとなりふり構わず逃げ始めた。それこそ道中の味方の関すら吹き飛ばしてしまうぐらいの勢いで。
こうなれば、進路に兵が伏せている心配はない。無駄な攻撃をせずに、シャルルは進路の安全を確保したのだ。
自分の策が当たったシャルルは、鼻歌でも歌い出しそうな明るい表情でいた。黄金の髪がはねている。彼はダヴィ達に指示を出した。
「マクシミリアンはモランと共に道中の関を確保しろ。ジョルジュは父親と共に戦場の死体を埋葬するんだ。敵味方問わずな。ダヴィはソイル軍の退路先を探ってこい」
「「「はいっ!」」」
敵のいなくなった戦場へ、ダヴィ達は駆け出していく。彼らは初陣だった。それが見事な勝利で終わった。
(勝った! 勝ったんだ!)
彼らは頬が赤くなるほど、高揚していた。この記憶は、彼らの重要な思い出の1ページとなった。
――*――
夕日が美しく輝く。
シャルル達は戦場の掃除を終えて、軍を二つに分けた。一軍はすでに敵の空けた関へと進軍し、もう一軍は戦場に留まることになった。
真っ赤な戦場の真ん中で、男が地面に両膝をついていた。彼は頭から引き抜くように兜を脱ぎ捨てると、人目もはばからず泣き叫んだ。
「うわああああ! やっちまった…………くそっ……くそっ!」
体をガタガタと震わせて、地面に頭を打ちつける。泥まみれの頭の中で、彼の中の良心が、彼を激しく責めたてる。その度に、彼はまた頭を打ちつけるのだ。
夕日はその男も、捨て去った兜も、その男が伏せている地面すら、無感情に赤く染め上げていた。
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