第27話『女の勘』
聖子女、来訪。戦乱で荒廃したナポラの民は
「聖子女様がここの城にいらっしゃる!」
「ありがたや、ありがたや」
なにせ聖子女に会うには、ロースまで行ってミサに参加するしかない。そこまでの旅費が用意できない庶民が彼女に会う機会はない。その尊い方がこのナポラの城にいる。
人々は城に向かって祈った。
ナポラの城内もこの事態に驚いていた。
「ジョムニ。よく気づいてくれたが、これは予想していなかったよ」
「ええ。これは予期せぬ最高の結果です」
ダヴィたちはいち早くミラノスに到着した。しかし期日寸前になっても重役が一人も来ていない教皇側を見て、ジョムニが謀略を察した。そしてトリシャの事件を思い出し、万が一を考えて聖子女の護衛に向かった。その結果、彼女を助けられた。
「教皇は最悪の一手を打ちました。これで世界の同情はこちらに向き、もしかしたら教皇側から寝返る者がいるかもしれません」
「もう旧クロス国中には、この件を広めているのか」
「はい、すでに。あとは聖子女様にご依頼している文書を有力者に送れば、この事件が真実だと分かるでしょう」
「そうだね」
「これで、形勢は逆転します」
ジョムニは久しぶりに不敵な微笑む。ダヴィはその顔を見て安心した。いつもの彼が戻ってきた。
ダヴィはそのキーマンとなる人物を心配した。
「さて、聖子女様の怪我は治られたかな」
その頃、聖子女はカリーナに包帯を巻き直させていた。しかし彼女は下手で、代わりにルツが結び直す。手を震わしながら、丁寧に巻いていく。
「お上手ですね」
「フフフ、先日の戦いで習得しましたから」
(あー! 私もしたいですわ)
とスールが羨ましがる。聖子女の足に触れるなんて、百回生まれ変わってもないかもしれない。そして色んな女性の足を見てきたスールでも、聖子女の長くて細い足は
しかし性に奔放な彼女でも、その思いは口に出さない。それほど聖子女は聖域の存在なのだ。
聖子女が包帯を巻き終わったルツに尋ねる。
「そなたはダヴィの妹か」
「その通りです。もう一人おりますが」
ちょうどその時、オリアナが入ってきた。ルツが代表して挨拶する。
「このルツとオリアナとスールが交代で、聖下と猊下をお世話申し上げます」
「お願いします」
カリーナが軽くお辞儀する。3人はこのダヴィの親族と重要な部下と聞いた。つまり彼女たちが世話係になることは、ダヴィが聖子女を極めて大切に思ってくれている証拠だと感じ、嬉しく思った。
聖子女はルツに尋ねる。
「そなたたちがダヴィの妹たちか」
「はい。なにか、お気に
「いや……」
カリーナがハッと気が付く。
「もしかして、あの時ダヴィ殿に抱きしめられて事が不快だったのですか?」
「だ、抱きしめられた?」
「抱きしめられた……」
ルツは顔を蒼白にして驚いたが、オリアナも反応する。目を細めて、聖子女を見つめる。彼女が座って、銀髪を垂らしている椅子も、兄のものだ。
聖子女は口を開く。
「いや、むしろ……」
と不意に出しそうになった言葉を消して、言い直す。
「余は助けられた。感謝しかない」
「それは良かったですわ」
ルツとスールは胸を撫でおろす。ここで無礼なことをしたダヴィが嫌いだと言われたら、ダヴィの戦略自体に影響が出る。
ところがオリアナは見逃さなかった。彼女の白い頬が薄く桃色に染まったことを。
カリーナは改めて感謝する。
「ここまでして頂いたのです。きっと聖女様のご加護があったのでしょう。この部屋も元はダヴィ殿がお使いになっていたとか」
「はい、この城で一番良い部屋ですから。自由にお使いください」
その事実を聞き、聖子女の銀色の眉がピクリと動く。
「もしや、余が使うベッドも」
「兄が使っておりました。急な事態で家具を変えられませんでした。申し訳ございませんが、そのままお使いください」
「左様か……」
「……シーツはすべて交換しています」
急にオリアナが話し始めた。ルツやスールが固まるが、彼女は構わず続ける。
「ダヴィは忙しく、聖下とお話しする余裕もございません……何かお話がある時は、私たちにお伝えください……」
「わ、わかりました」
早口で言ったオリアナに、カリーナは驚きながらも同意する。聖子女も頷いた。
それからオリアナはお辞儀をして、部屋を後にする。他の2人が慌ててついてきた。
「オリアナ! どういうことですか? 聖子女様にあんな口の利き方をするなんて」
「あんなに早く話せるなんて、知らなかったですわよ」
「…………」
つかつかと廊下を歩くオリアナは、やがてぼそりと呟いた。
「……危険」
「何がですの?」
「どういうことですか?」
彼女たちには分からない。オリアナも理屈は分からない。
しかし彼女の女の勘が、“敵”の存在を告げていた。それが聖子女であっても。
(後から出てきた女に……兄様は渡さない……)
――*――
一方で、ロースは大パニックになっていた。
聖子女と典女が行方不明になる最悪の事態にすぐさま
ところが、彼らの混迷のピークはこの時ではない。ダヴィの元から聖子女が出した手紙が、世界中に届く。その内容に、誰もが震えあがる。
『余は教皇に殺されかけた』
雷に撃たれたような驚愕が人々を貫いた。
この反応は人々に広がり、それが具体的に表れたのは真冬の出来事である。
「領内で反乱? どういうことだ」
教皇が耳を疑う。側近たちは報告を続けた。
「特にダヴィの領土だった場所で反乱が相次いでいます。ダヴィ軍が城の食糧を持っていったため、あとから占領した軍が領民から無理に徴収したそうです。それに反発したかと」
「他の地域でも反乱の兆しありと聞いております。現地の修道院がそれを煽っているケースもあります」
「なんたることだ……」
教皇は額に手を当てて悩む。その裏に聖子女と修道院勢力の存在が見え隠れする。
聖子女が生きている事実を知った教皇は、彼女への釈明と面会を求めて、ロースに戻ってくるように求めた。しかし拒絶され、彼女たちはナポラに留まり、ダヴィの側についた。そして教皇の退位を世界に説いている。彼女たちは明確に教皇の敵になった。
教皇はアンドレたちを呼ぶ。そして悩ましい表情で、こう切り出した。
「……聖子女様はダヴィに騙されているようだ」
「なんと?! やはりあの噂はやつらが流したデマなのですね!」
「当然だ! 私であるはずがない。……しかし、それに踊らされる愚か者が多いのも事実。どうしたものか」
「…………」
アンドレとジョルジュは冷ややかな目をしていた。彼らは教皇の口車に乗せられるほど信仰心は強くないし、無垢ではない。
この件はベルナールも知らなかった。信仰心が強い彼を警戒して、教皇は別の者に暗殺を命じた。しかしそれが失敗の原因となった。
ベルナールは口から唾を飛ばし、ダヴィを非難する。
「
「猊下、嘆いていても仕方ありません。聖子女様は敵に付きました。まずはこの状況を改善するためにも、聖子女様を連れ戻さないと」
「そのことだが……」
と教皇は一拍おいて、考えを伝える。深刻さを装う。部屋の空気が一層冷えた気がした。
「やはり、元凶のダヴィを討ち滅ぼさねばならぬと思う」
ベルナールは激賞した。
「素晴らしいお考え! その通り、悪は滅ぼさねばなりません。では前回と違い、ナポラに罰を与えてもよろしいでしょうか」
「致し方ない。しっかりと改心するように懲らしめることを許そう」
「ああ、これで正しい世界になります!」
彼らの隣では、アンドレとジョルジュが固まっていた。2人は教皇の言葉の意味を噛みしめていた。ジョルジュが問う。
「猊下。ダヴィを倒し、聖子女様を取り戻さねばなりません。……しかし、聖子女様が誤解されたまま、戦いが始まってもダヴィの元にいた場合、いかがしましょうか」
「それは……」
教皇は微笑む。信徒には見せられない笑みを見せる。
「良きようにするように」
「良きように……ですか?」
「“万が一”の不幸があっても、そなたらの罪は問わぬ」
アンドレとジョルジュは顔を見合わせた。事実上の“殺害命令”。お互いに息を飲む。
教皇は固まる彼らを見て、また笑った。そしてダヴィと聖子女がいる北の空を窓から眺め、雪を降らしそうな雲を見つける。それがダヴィたちにとっての黒雲になると信じた。
「さあ、誰が正円教と世界を率いるのか。しっかりと決めようではないか」
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