第33話『彼女たちの交渉』

「早く終わったな」


 ダヴィのつぶやきにジョムニとジャンヌが頷く。主を失ったニース城の中を巡回しながら、彼らは短かった戦闘を振り返る。ジャンヌは頭の後ろに手を組んで、つまらなそうに言う。


「張り合いなかったなあ。あたし、二射しただけだよ」


「最小限で済んだのは良かったことです。あなたも前線に出たら、もっと活躍できたでしょうに」


「あたしが離れたらダヴィが危ないじゃないか」


 と言って、ジョムニの車いすを押していたダヴィの隣にぴったり張り付く。自分自身では弟を保護する姉と思っているかもしれないが、ダヴィや他の者からすると威嚇する可愛らしい犬のようだ。


 ダヴィが苦笑いして隣のジャンヌを見ていると、アキレスが駆け寄ってきた。城壁を上って真っ先に城内で暴れまわった彼は血みどろだ。鎧が赤のまだら模様で染められている。


「ダヴィ様、ニース公を見つけました。金庫の中で潜んでいました」


「どうだった?」


「服毒して死にました。金の中で死んだのですから本望でしょう。金庫には我々が渡した金以外にも多数の財宝があります」


「ありがたく頂いておきましょう。利子ついでに」


 ジョムニのジョークに、ダヴィたちはくすりと笑う。ニース公が抱えていた奴隷たちにも配りたい。解放後の生活基盤の形成に役立つだろう。


 ダヴィはニース城の窓から北を望む。デンマク湿原が広がる。その先には巨大な国。


「ソイル国とゴールド国、これで分断できた」


 ダヴィの狙いはニース公の財産ではない。ゴールド国の攻略に、ソイル国の邪魔が入らないようにするためだ。確かに交渉の窓口だったニース公の信頼を失わせて、外交を途絶させた。しかしながら二国は新たな窓口を使って再開しようとするだろう。それを防ぐために、地理的に分断したのだ。


「ニース城に潜んでいたソイル国の間者も捕らえました。やはり、ここを諜報活動の拠点にしていたようです」


「ソイル国は艦船を多く保有していません。海路からの支援は難しいでしょう」


 ソイル国からの影響はこれで小さくなる。だが、ソイル国は、アンナ女王はこれで諦めるのか?


「ルツ様がソイル国に向かわれました。きっと交渉に成功するでしょう」


 このタイミングでルツは交渉を試みようと、ダヴィに進言して許可された。今ごろはソイル国の国境を越えている。アキレスは深く頷き感心する。


「さすがルツ様。あの女王相手に勝算がおありとは」


「しかし見込みはあるのでしょうか。私とて彼女の考え方には予想がつかない」


 自信家のジョムニすら顎に手を当てて考える。ダヴィもルツのあの自信の持ちようが分からない。何回尋ねても「お任せください」しか言わないのだ。それは仲がいいジャンヌにも同様だった。


 しかしルツはジャンヌに不思議な言葉を残していた。


「なんか知らないけど『出発前にオリアナには会わないようにする』って言ってたよ」


 ――*――


 全権大使であるルツへの処遇は厚い。ソイル国に到着した途端、下にも置かないもてなしを受ける。それだけクリア国の地位が向上したということだろう。


 表面上は同盟国である相手の大使に対して、ソイル国宰相のウィルバード=セシルが応対する。


「無駄じゃろう」


 と遠慮なく伝える。他の者の目が届かなくなった応接間に座った途端、ウィルバードは冷徹な目で見つめる。長い白髭をなでながら、自分の何分の一かの人生しか歩んでいない小娘に諭す。


「我々はゴールド国を諦めておらん。手をこまねいてクリア国に飲み込まれるのを見ているほど、穏やかではないつもりだ。上手く先手を取ったつもりだろうが、ゴールド王を引き寄せれば、どうにでもなる」


 ルツはソファーにウェーブした髪を垂らして、微笑みを絶やさず聞く。


「ソイル国のお望みは?」


「単刀直入に聞くものだな」


「婉曲に話しても良いですが、聞く内容は同じこと」


「ふむ……」


 物怖じしない娘に、ウィルバードは背筋を少し伸ばす。さすがはダヴィ王の妹ということか。白髭に覆われた口が開く。


「ならば言おう。ゴールド国の北部を渡せ。それで手打ちにしよう」


 ゴールド国の四分の一。面積だけで言えば妥協しても良い条件だが、デンマク湿原を越えるか越えないかで話は大きく変わる。湿原はソイル国の騎兵集団の南下を防いできた。その防衛線を失ってしまうと、ゴールド国は勿論、クリア国そのものがソイル国の脅威にさらされる。ルツは赤い唇の端を上げて、笑いながらたしなめる。


「ご冗談を。貴国は一片の占領地もなく、一人の兵士もゴールド国に攻め入っておりません」


「もし攻め入っておればこのような条件では済まない」


「何か攻められない理由でも?」


「…………」


 ウィルバードは白い眉をピクリと動かして沈黙したが、ルツは理由を知っていた。政情不安。アンナ女王が謀殺したパーヴェル王子の残党が広大な国土に散らばっている。やすやすと遠征できない国内事情がある。


 だが、ゴールド国が全面的に協力したら、遠征の難度が一気に下がる。現地の補給支援を受ければデンマク湿原を容易に越えられる。


 互いに情報を抱えて沈黙が続いたまま会談は終わった。茶色い髪を舞わせて立ち上がったルツに、ウィルバードは忠告する。


「女王陛下は私よりも厳しい。そう上手くいくと思うな」


「ご忠告ありがとうございます。でも……」


 ルツは兄と違う色の瞳で、ウィルバードを見つめる。


「あなたは男性でしょ」


「なに?」


 初めてウィルバードの表情が変わった。眉間にしわを寄せて、その意味を問うように彼女を睨む。ルツは目を細めて微笑みを深める。


「女には女にしか分からない部分がございますの。女王陛下とはそのあたりをお話ししますわ」


 ――*――


 あのドレスの赤さはどこからくるのか。ただの染色ではない。彼女に向けられた感情の濃さが、あの赤みを作り出している。アンナ女王と対峙したルツは、そんなことを感じた。


 長い脚を組んで椅子に座るアンナ女王は、ドレスよりも赤い唇を動かす。


「ダヴィは元気か?」


 ルツは謁見の間で立ったまま、ゆっくりと首を縦に振る。


「兄は健勝にしております。最近は少し痩せたようです」


「相変わらず働く男だ。ほどほどにしておくように、と伝えてくれ」


 ほどほどにしておく――それはゴールド国のことを言っているのだろう。笑っていない赤い瞳はまだ冬が遠いというのに凍えるようだ。その視線を避けるようにルツは目を伏せてお辞儀する。


「人払いをお願いしたく」


 女王は眉を少し上げて、それから側近に顎を振った。側近たちがためらったが、もう一度顎を振った彼女に逆らえず退場していった。女王はルツに向き直る。


「希望通りだ」


「ありがとうございます。それでは申し上げます」


 ルツは背筋を伸ばして、この静かな大空間にふさわしい、重々しい口調で伝える。


「とある国が悪あがきをしています。しかし天の時には逆らえず、寿命は尽きかけております。このまま流れに従えば、最小限の犠牲だけで事は収まるでしょう。それまで、女王陛下には“黙って”ご見物して頂きたいのです」


「ほう……」


 女王は口の中で笑いを漏らした。椅子の肘かけを使って、手のひらに顎を乗せる。


「私は人が踊っていると、その舞台に上がって一緒に踊りたくなる性分だ。残念ながら、静かに観劇するのは私の趣味ではない」


「静かに見るには、ご褒美が必要でしょうか」


「ご褒美……クックッ、面白いことを言う。私が納得するご褒美かな」


 会話を楽しむ女王。ルツは口の端を上げて、確信を持った顔つきで話した。


「兄を差し上げましょう」


 空気が凍った。さすがの女王も固まる。ルツは微笑んだまま反応を待った。


 やがて女王は背もたれから体を起こし、ルツの顔を穴が開くほど見つめる。彼女には珍しく、恐る恐る尋ねる。


「さすがに、条件があるのだろう」


「期限は設けます。来年の春の間を予定しましょう。その間、兄を客として、もしくは部下として扱って頂いて結構です。兄の体と尊厳を守って頂ければ」


「春の間……」


 彼女の脳裏には、ダヴィと心と体を交わった記憶が蘇っていた。一年前に会った時は部下を後ろに立たせての会談のみで、消化不良だった。それでも楽しかった。自分を理解する無二の存在。彼と濃密な時間を過ごすことができる。


 アンナ女王は思わず唾をのみ込んだ。負け惜しみのようにつぶやく。


「そなた、面白いな」


 ルツはドレスのスカートの端を挙げて、挨拶を返す。


「あの兄の妹ですから」


 ソイル国はゴールド国に手を出さない。それが決まったことと、その条件を知らされて、ウィルバードは開いた口が塞がらなかった。女王の側近たちは、彼女の鼻歌を初めて聞いたそうだ。


 もちろん、ダヴィや仲間たちは、この交渉内容を知らない。

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