第32話『彼らの狙いは』
金歴554年中秋。東からの海風が弱まり、北から冷えた風が流れ込む。麦の収穫をすっかり終えて丸裸になったゴールド国の大地は、より一層寒々としていた。
その茶色い大地を、二万の軍隊が一斉に進む。向かうはゴールド国の首都・ロドン。黒い波のように見えるクリア国の軍勢を、城壁の上でゴールド王は見つめていた。
「来たな」
先祖代々受け継ぐ銀色の甲冑を着込み、強く吹く風に立派な髭を揺らしていた。背筋を伸ばして敵軍を真っ直ぐ睨む姿は、ゴールド軍全体の士気を高める。
彼はちらりと、隣に立つ自軍の旗を見た。心なしか風に押されて傾いている気がする。
対して、攻めてくるクリア軍の旗はどうだ。兵士たちの熱気に燃え上がっている。真新しい月と太陽が染まる旗印に勢いを感じる。
(いかんな)
王は内心首を振った。ファルム国は視線を西に変えて、ソイル国の援助もあてに出来ない。その状況の悪さが彼を弱気にさせる。
彼は奥歯を噛んでクリア軍を睨みなおす。ふと、思い至る。
(マセノもあの旗の下にいるのか)
王の考えは周囲に伝わらない。彼以上に怯える群臣たちは、自身の心を静めるので精一杯だ。自分たちの安寧を
そんな彼らの様子は、陣中にいるジョムニには手に取るように分かった。輿に乗って進みながら、彼は報告書を読む。
「主だった商人や富豪は船で逃げましたね。しかし、意外と残っている」
内偵によれば、ロドンの南を流れる大河から何隻もの船が出航した。ロドンまで行商に来ていた他国の商人も逃げた。
しかしながらクリア国に財産を保証してくれ、と依頼する者はいなかった。国を裏切って自己利益を守ろうとする者もいない。内偵たちはロドン内の協力者の確保に苦慮している。
「商売気質が強い国ですから、利に聡い人がもっといてもよさそうですけど」
「逃げるが勝ちと、判断したのでは」
「ここで稼ごうとする連中がいると思いますけど」
「それはどうだろうか」
行軍しながら議論するジョムニとアキレスの隣から、ダヴィが口をはさむ。ブーケにまたがり、遠くにはためくゴールド国の旗を見つめる。
「あの国が好きなんだよ。あの王はそれほど慕われている」
理屈ではない。伝統ではない。ただ、言いようのない感情が、裏切りを思いとどませる。今まで攻略した城の中でも、最も固い城壁に映った。ダヴィは自分を戒めるように言う。
「決して
「その通りですね。無用な被害は出したくない」
「ならば、作戦通りに」
ダヴィは頷いた。それに応じて、ジョムニは部下に指示を出し、アキレスは手綱を叩いて馬を前線へ走らせる。
この軍勢にいると心が熱くなる。しかし熱くなりすぎないように、ダヴィは甲冑の首元を緩めた。鼻からゆっくりと息を吐いて、目の前のロドン城を眺める。
(城を攻めるのではない。城の中にいる人との戦いなのだ。彼らの心を攻めてやる)
――*――
ロドン城を目の前にして、クリア軍は小高い丘に陣を張った。そして柵と堀を作り、石まで組み始めた。すぐにでも攻めてくると思っていたゴールド軍はあっけにとられる。
「まさか土木工事とは」
「ウッド国と同じようなことをするのか」
それにしても少し距離がある。城を囲むわけではなく、遠巻きに眺めるような位置だ。ウッド国の時は壁で城を囲んだが、これなら近隣の都市と使者を行き来させることも可能だし、住民が山から薪を調達してくることもできる。
ゴールド王は腕を組んで考える。
「何か策があるはずだ」
「地元領主の離反を狙っているのでは」
「あり得るな。調略は奴らの得意分野だ。それに、油断した隙をついて間諜を潜りこませている可能性もある」
「すぐに城内の警備を厳にします! 近隣領主にも警戒を促しましょう。この近くは陛下に恩を感じている臣下が多く、調略してきたらきっと知らせてくれることでしょう」
「頼んだ」
走り去る臣下たち。城壁から階段で降りていく姿を見送ると、ゴールド王は再びクリア軍に目を移した。彼らはせっせと簡易的な城を作っている。無数の旗を立てて、人を隠すように石壁を築く。
経済的な負担は大きいだろう。材料費だけではない。長期滞在に伴う食糧費なども馬鹿にならないだろう。自国の予算を細やかに見る癖のある王は、その支出の多さを理解する。だが、それにもかかわらず、彼らは土木工事を続ける。
(なんとも余裕があることだ)
巨大な経済優位性を背景に、新時代の戦術を展開する。目の前の敵軍を羨ましく感じた。
しかしながら、彼らは感心している場合ではなかった。もっと警戒するべきだった。
ダヴィたちがなぜ一大勢力になったか、本当の意味で理解していなかった。
それは突然の凶報によって知らされる。クリア軍の城の壁が半分出来上がり、軍勢の姿がその壁に隠れた頃だった。無数の旗が立てられている。これを見ていつ攻撃が始まるかと不安がる臣下を静めて、やれやれと床に就いていたゴールド王は、近習にたたき起こされた。
「何事だ」
「ご就寝のところ申し訳ございません! レスト近郊で戦いが生じた模様!」
「レスト近郊……?」
レストとはロドンとニースの中間にあたるゴールド国北部の町。なぜそんなところで? 白い寝間着姿の王は寝ぼけた自分のこめかみをマッサージしながら、理解しようと努める。
「クリア軍がレストを攻めたということか?」
「いえ、レストは無事です。しかしニース公の軍勢が不意を突かれて大敗した模様」
「ニース公だと?」
「クリア軍はそのまま北上中と知らせが」
この時、ゴールド王の頭に電気が走った。単語を組み合わせて、状況のイメージが流れ込む。それと同時にクリア軍の目的を鮮明に理解する。
一気に汗が噴き出す。拳を強く握り、天を仰ぐ。
「しまった。奴らの狙いは……!」
その頃、ニース公は震えていた。ゴールド王以上に顔を青ざめさせていた。自軍の完膚なきまでの敗北に、唇を噛む力さえ無く、自室の中で立ち尽くす。
「なぜだ! なぜそんなところにクリア軍がいるのだ!」
「分かりません! 生き残った兵士によれば、行軍中に急に襲われて、あっという間に撃破されたと」
「騎兵が多かったと聞いています。もしやクリア軍の主力軍では」
「なおさら分からん! クリア軍の主力部隊はロドンを攻めているのではないのか!」
側近たちに喚き怒るニース公のもとに、兵士が駆け込んでくる。
「クリア軍です! 丘の向こうに」
「来たか……」
地面が常に揺れているような心持ちで、ニース公は城壁の上へとよろよろ歩いていく。石造りの階段を上がり遠くを見たとき、丘を越えて近づいてくる軍勢あり。丘を包み込むばかりの数の多さに、彼は意識を失いかける。部下の動揺も激しい。中には武器を捨てて逃げる兵士の姿もあった。レスト近郊で主力軍が壊滅した今、彼らに勝つ見込みはない。
その時、クリア軍が来る方角から駆けてきた騎士がいた。大柄で、巨大な槍を抱えている。
「ニース公はいるか!」
城壁の上へ向けて呼びかける。ニース公は石材に手をついて立っていた。側近たちに囲まれている。その姿で判別した騎士は、太った体を小さくさせている彼に声をぶつける。
「我が名はアキレス=ヴァイマル。ダヴィ王第一の部下である。以前クリア国にいらっしゃった時にお目にかかった」
「な、なんの用だ!」
「此度の詐欺を
「詐欺⁈」
アキレスは大きなバルチザンの矛先をニース公に向けて、声高らかに糾弾する。
「奴隷購入の代金を支払ったというのに、商品は一向に運ばれてこない。ダヴィ王はゴールド国の中でも『ニース公が最も憎い』と仰せだ。そのため真っ先に攻め滅ぼす」
「ば、ばかな! この状況で運べるわけがない!」
ただでさえ金を受け取ったことで裏切りを疑われた。その上商品を渡せば、ゴールド国における彼の立場は無くなる。それを必死に訴えようとしたが、アキレスは一喝した。
「黙れ黙れ! 我々の資金をだまし取った悪行、その命で
「金なら返す! なんでもくれてやる! だから命だけは……」
ニース公と側近たちは城壁の上から何度も頭を下げて懇願する。アキレスはバルチザンを肩に担いで、冷ややかに笑った。
「無駄だ。空に輝く太陽が沈むころにはこの城も落ちる」
彼はクリア国を代表して通達した。
「金につぶされて、死ぬがいい」
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