第13話『国の名は 下』

「夏は~酒に限るんだ~いつでも~そうだけど~」


「間抜けな歌だぜ」


 陽気に歌うスコットに、ライルが茶々を入れる。ミラノスの街を、ノッポとちびデブが赤ら顔で歩いていく。まだ昼間というのに、彼らの胃袋から相当に酒の匂いがい出てくる。


 そのダヴィ軍の重臣と思えない、山賊上がり丸出しの二人に対して、道端から声がかけられた。


「お二人さん。奥さんが泣くよ」


「あん?」


「うん?」


 振り向いたライルとスコットは目を丸くする。そして何度も目をこすり、見つめ直す。


 糸のほつれた灰色の服を着て、靴磨き用の木箱を前に置く。石畳の道に座る男は幅の広い帽子を目深にかぶっている。だが、耳にぶら下がる金の輪は隠しきれない。


 ライルは半ば呆れた様子で声をかけた。


「こりゃ驚いた。ダンナ、また靴磨きやっているんですかい」


「ダメなんだよお、だんなあ。怒られるよお」


 ダヴィは帽子を少し上げて、ニヤリと笑いかける。左右違う色の目が細くなる。


「お互い様さ。新婚なのに、何やっているんだい」


 ライルとスコットはこのウッド国への遠征中に、ちゃっかりと結婚していた。ライルは戦場に来ていた薬売りの女性と、スコットはワシャワを囲む壁を作りに来たウッド国の農家の女性に手を付けていた。妊娠したので、意外と義理堅い二人が、年貢を納めたのである。心がすさむ戦場で、ダヴィが仲人となって結婚式を挙げた。二人の照れ臭い顔は、ダヴィ軍にひと時の平穏を与えた。


 そんな彼らは今、バツが悪そうに、揃って頬をかいた。


「そんなこと言わないでくだせえよ。こっちも息抜きは必要なんでさあ」


「お腹に子供がいるかかあは気が荒い」


「侍女を雇っているとは思うけど、母になりかけの女性は特に大変だと聞いた。一緒にいてあげないといけないよ」


 最近、説教癖が付き始めたダヴィの言葉に、ライルは急いで話題を変える。


「そ、そういえば、ダンナ! 面白いものがあるんですよ」


 ライルはスコットを小突く。スコットは腰にぶら下げていた酒瓶を手に持つ。


「酒場でもらったあ。だんなも飲む?」


「珍しい酒なんですよ。馴染みの俺たちに飲ませたいって言ってくれたんですよ」


「お酒か」


 とダヴィが呆れた様子でため息をつく。ダヴィも嫌いではないが、昼間から飲むのはどうかと思う。


 そんな彼のしかめ面を見ながらも、スコットは酒瓶のふたを開けて、ライルが持っていたコップに中身を注いだ。ライルが誇らしそうにして、ダヴィに差し出す。


「見てくだせえ。世にも珍しい、水みたいな酒ですよ」


「うん?」


 ダヴィが茶色いコップを覗き込み、「ほう」と声をもらす。


(底が見える。澄んでいる)


「世にも珍しい、透明な酒ですぜ」


 酒に対する欲求は時代を経るごとに高まり、醸造酒・蒸留酒ともに、様々な種類が生まれている。主食の小麦やコメは勿論、ブドウを始めとした果実を原料とする酒が開発されている。しかし濁りを取った、いわゆる清酒という類いの酒はまだ造られていなかった。


 ダヴィはライルからコップを受け取り、口に運んだ。舌の表面に甘みを感じる。


「確かに酒だ! ちょっと薄いけど、水のように飲みやすい」


「そうでしょう! 酒場の親父が自分で作ったらしいんですよ。濁り酒をうまい塩梅でしたらしいんですが、結構な時間がかかったそうで」


「おいらたち、こんな酒は初めて飲んだ。びっくりしたよお」


「酒っていうのは、濁りが旨いんですけど、これを取っても味があるっていうのが、すごいんですよ」


 さすがは酒好きと見えて、ライルとスコットが熱弁する。ダヴィはその不思議な酒を眺める。


(透明か。良く見える)


 小川のせせらぎに似た酒は、奇妙さを覚えさせる。酒は濁っているものだ。その感覚が、この酒を異様に見せる。


 最近、国名について、ダヴィはずっと考え続けていた。国名を通して、政治そのものを考える。これまでの政治は、王侯貴族や教会に仕切られ、彼らを処罰する法律は無いに等しかった。民衆に見えない政治が今までの主流だった。


 この酒を見ながら、ダヴィは願う。


(汚れの無い、澄み切った政治をしたい)


 その時、ふと思いつく。自分が目指す理想の政治に合った国の名前を。そう確信した時、ダヴィはグイッと酒を飲みほした。


「おやおや。ダヴィ様も昼からお酒をたしなまれるのですか」


 声をかけられ、ダヴィたちは振り向いた。なめらかな黒い長髪を振り乱す美男子・マセノの登場である。今日はフリルの付いた服を着こなし、スラリと街中に立つ。若い女性たちが熱い視線を送っていた。


 マセノはうやうやしく挨拶をして、ダヴィに話しかける。


「探しましたよ、ダヴィ様。ご趣味の靴磨きをされているとは聞きましたが、まさか本当にされているとは。そんな格好までされて、僕にはとても出来ません」


「いや、これは……」


「僕もそうですが、そんな姿でも御身の魅力は隠しきれませんよ。さあ、危ないことはお止めになって、城へ戻られてください」


 とマセノに揶揄交じりに説教される。ダヴィは口をへの字に曲げた。こういう時だけ、彼は子供に戻る。そして駄々をこねるのだ。


「なあ、マセノ。頼む! あと少しだけ、もう一人だけ、させてくれないかな。何だったら、君の靴を磨いて、それでお終いでもいい」


「俺からも頼むよ、マセノ。ウッド国にいる間は、ダンナは靴磨き出来なかったんだぜ。こんくらい良いじゃねえかよ」


「だんなが可哀そうだよお」


「うーん」


 マセノは細くて長い指を自分の頬にあてる。彼の長いまつ毛が上下に動く。その顔を、ダヴィたち三人は見つめた。


 そしてマセノは肩をすくめる。


「ダヴィ様に靴を磨いてもらうとは、何とも魅力的なお話ですね」


「じゃあ!」


「でも、残念です」


 マセノは道の先を指さした。ダヴィたちはそちらを振り返る。


 そこには、顔を真っ赤にしたアキレスとジャンヌがいた。ダヴィたちは口を開ける。


「「「あ……」」」


「僕よりもっと怖い人が来ましたから、駄目ですね」


 アキレスとジャンヌが飛んでくる。あっという間に、ダヴィの傍に近づいた。


「ダヴィ様! こんなところで!」


「まあまあ、アキレス。そう怒るなよお」


「あんたたちも同罪だよ! 酒臭いじゃん! 巡回の任務はどうしたのさ!」


「「うっ……」」


「ああ、城へお戻りください。説教です」


 ダヴィとライルとスコットは、三人仲よく捕まり、ミラノス城内へと戻っていった。その肩を落とした後ろ姿を、マセノは手を振ってにこやかに見送るのだった。


 その道中で、ダヴィはアキレスに言う。


「国の名前が決まったよ」


 しかしアキレスは眉尻をつり上げたままだ。


「そんなことを言って、ごまかそうとしても無駄です! しっかりとジョムニたちに説教してもらいますよ」


「いや、冗談じゃないんだけどなあ……」


 この翌日、耳の痛い言葉の嵐に疲れ切りながらも、ダヴィは重臣たちを集めて宣言したのだった。


「国の名を『クリア国』とする」


 これ以降、ダヴィたちの国は「クリア国」と呼ばれることになり、公式の名前となった。この国名の由来がまさか酒だったとは、他の者たちは知る由も無かった。

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