第20話『世界に火種を』

 ダヴィの脳裏に衝撃が走る。しかしハリスを始めとした他の者たちは、きょとんとした表情を浮かべる。


「あ、ああ、そんなことならいいが……」


 とハリスが曖昧あいまいに答える。ウォーター国とゴールド国への不干渉。それの何が重要なのか、ハリスには分かっていなかった。せめてマリアンやサロメがいれば理解できたかもしれないが、残念ながら彼に付き添っているのは、武闘派のペトロだけだった。


 ダヴィだけがその意味を知る。


(ウォーター国とゴールド国はファルム国の傘下にいる国だ。二か国とも経済力はあるが、軍事力では劣る。ファルム国が保護下に置いて、何とか国体を維持してきた)


 その保護を解いた後、両国と国境を面しているソイル国が動かないはずがない。ダヴィはアンナの赤い瞳を見る。アンナはしれっとウィンクした。


 ハリスは腕を組んで唸ったが、結局は分からず、そのまま要求を受け入れた。


「分かった。それは約束しよう。それで同盟してくれるんだな」


「ええ」


「ダヴィはどうだ?」


 二人に見つめられて、ダヴィは一呼吸をおいて回答する。この判断で世界が変わることを知りつつ、彼は決断した。


「……分かった。同盟しよう」


 こうしてダヴィ、アンナ、ハリスの同盟が成立した。その情報は当事国内に留まったが、その歴史的な価値は計り知れない。その証拠に、ダヴィはすぐさま陣払いをして帰国しようとした。


「すぐに出立しよう。俺たちも動かないといけない」


「あの、ダヴィ様? 何がどうしたのですか」


「アンナ女王が仕掛けた。彼女は世界を戦場にするつもりだ」


 会談の内容を聞いたジョムニも同意する。彼は興奮して、手のひらの汗を何度もズボンで拭いていた。


「アンナ女王は国内の反乱収束から対外戦争へと路線を変更するつもりです。そのために、ファルム国に邪魔されないようにしました。きっと、ウォーター国とゴールド国に攻め込みます」


「そういうことか……となると、俺たちはどうしますか?」


「手をこまねいているわけにはいかない。俺たちも力を蓄えないといけない」


 ダヴィは東を見つめる。西はファルム国があり、北はソイル国に阻まれている。クリア国の未来は東に延びるしかない。


「ゴールド国を攻略する。ソイル国よりも早く、取り込むしかない」


 ――*――


 一方でハリスは、サロメに叱られていた。頭を抱えるサロメを前に、ハリスは訳も分からず、椅子の上でおろおろとしていた。


「なんでこんなことになるのでしょうか。アンナ女王の言いなりではありませんか」


「いや、それは……」


「わらわが同席するべきでしたわ」


 武勇は絶大だが、手綱をすっかり握られたハリスは、彼女に怒られてしょげている。彼女は黒い唇で爪を噛み、眉間にしわを寄せる。座るハリスの前を歩き回る。


「あの女に、してやられましたわ……」


 アンナの条件を盛り込んだ誓紙まで書いてしまった。同盟を組む以上、これを無視することは出来ない。ファルム王に働きかけて、アンナの言う通り動くしかない。


 サロメは自分をけなしたアンナ女王の高笑いが聞こえてくるようで、不快極まりない。


「サロメ、ごめん……」


 ハリスは捨てられた子犬のような顔をして、サロメの顔を見上げる。サロメはようやくいつも笑みを思い出し、ハリスの頬にそっと手を当てる。


「大丈夫ですわ。わらわが支えましょう」


「どうしたらいい?」


「急いでファルム国で力を付けましょう。この同盟で、ハリス様の名声が高まりました。貴族たちも、力ある民も、ハリス様を頼ることでしょう。その願いに応えて、のさばる大貴族を打ち倒すことです」


 でもそれでは不十分、とサロメは指摘する。ダヴィとアンナには予想以上に、強大になってほしくない。


「二人の邪魔をしなければなりません。彼らの国内の反乱分子に働きかけましょう」


「出来るのか?」


「お任せあれ。ソイル国は忠誠心が低い遊牧民たちの集まり。きっと反乱が起きましょう。そしてクリア国には」


 サロメの脳裏に、あの忠実だった女性を思い出す。彼女なら上手く働いてくれるはずだ。陰のある笑みを浮かべる。


「ウッド国の旧臣たちとすでに連絡を取っています。彼らに国の再興を約束すれば、頑張ってくれることでしょう」


 ――*――


 森の中にある古びた家に、男が駆け込んだ。ギシギシ鳴る木の床を踏み、奥の部屋へと入る。


「サロメから書状が来ました!」


「なに!」


 男たちが立ち上がるが、その奥にいた女性は椅子に座ったままだ。彼女は入ってきた男を慰撫する。


「ご苦労だった。書状を貰おう」


「しかし、あの女からの手紙など!」


「静かにしてくれ」


 発言を制されて、男たちは一旦席に戻った。彼女は表情を変えず、窓から入る光を頼りに、黙って読み進める。そしてしばらく後に、その書状をたたんだ。


「我らの挙兵を手助けしてくれるそうだ」


「手助け?」


「ダヴィを倒して、ウッド国を再興する。その支援をファルム国からすると」


「馬鹿な!」


 男たちは再びいきどおる。そもそもウッド国が滅亡した一因は、あの女ではないか。一人の男が進言する。


「拒絶するべきです! 我らの力だけで戦いましょう!」


「ヨーゼフ……しかし」


 と女性は弱々しく、ヨーゼフと呼んだ男に語る。


「我らには、味方が少ない。ウッド国の民にも見放されているではないか」


「それは……」


 ヨーゼフを始めとした男たちが項垂れる。ダヴィの施策はシンプルで効果的だった。ヴィレン大森林に住む、大半の庶民に対して、減税と森林保護政策を行い、農業と林業を保護した。一方で、富の大半を保持していた西部の湾岸沿いの民に対しては、旧クロス国との交易路を整備することで、今まで以上の繁栄をもたらした。その政策の原資は、貴族たちから没収した財産である。


 その結果、ウッド国の庶民は、旧主への忠誠心を忘れ、新国家・クリア国への親しみを覚えていた。ウッド国の復活は自力では無理だ。


 ヨーゼフはくやし涙を浮かべて、彼女に尋ねる。


「それでは、サロメの指示に従うのですか」


「……従うしかあるまい」


「ですが、奴は毒物です! 我々を使い捨てる気です!」


 女性は考えた。黒いポニーテールが闇の中で揺れる。そして肩を落とし、目に力を込めた。


「私は、泥をすすっても、祖国を復興すると誓った。毒であろうと、それが使えるなら、使うまでだ」


「シン様!」


「言うな! ウッド国が復活したら、全て報われる。辛抱するんだ」


 シン=アンジュ。ウッド国の将軍位に座っていた女性は、今ではボロ家に潜伏して、汚れた衣に身を包んでいた。男たちが下唇を噛む中、彼女は先祖から受け継いだ剣を腰に備え、この家の入口へと歩く。そして外に出ると、ヴィレンの森の空気を吸った。


 ウッド国が滅んでも、この森の空気の味は変わらない。彼女は木々の隙間に覗いた太陽に向かって祈った。


「聖女様……我が先祖……父よ……ダヴィを滅ぼし、我が祖国を復興せしめよ」


 ――*――


 会談が終わり、ハリスたちもベルム城へと戻る。その城の中で、ハリスの重臣たちが密談を交わしていた。


「条件はともかく、会談は成功に終わった。これからどうする?」


 とペトロが発言すると、マリアンが回答する。


「我々の目的はファルム国の民衆を苦しみから解放することです。ですが、クリア国やソイル国が強大になることは、我々の障害に成りかねません」


「今はスピードが大事じゃ。荒っぽいこともしなければなるまい」


「具体的にいかがしますこと?」


 とイオに尋ねられると、トーマスが答える。


「あまり使いたくない手じゃが、海賊と手を結ぼう」


「海賊?」


「南ブロック海の“女王”と呼ばれる海賊じゃよ。聞いたことはあろう。彼女は正式な称号を欲していると聞いた。そこに付け込めば、味方になるじゃろう。制海権を得れば、富を得る。我らの力は増すじゃろうて」


 トーマスは顔の皺を撫でて言う。しかしペトロが危惧きぐする。


「そんなことを言って、あの女と同じようにならないか」


「……サロメのことか」


「そうだ。あの女が来てから、ハリス様は我々のことを軽んじられている気がする。あの女の言うことしか聞かない」


 そう言われると、彼女を推薦したトーマスはオールバックにした白髪をかくしかない。


「言い訳できん。あの女の毒がこれほど強いとは思わなかった」


「我らの最も重要な問題は、それかもしれませんわ」


「では、どうする? ハリス様が腐っていくのをこのまま見ているのか!」


「ふふ」


 三人の視線が集まる。イオは眉の無い顔で微笑む。


「女性には、女性で対抗しましょう。サロメは所詮、言葉巧みに騙すしか能がない女性です。より魅力的な女子がいれば、ハリス様の目もきっとサロメから外れますこと」


「誰か候補がいるのか? 自分と言うつもりか」


「私は聖女様に仕える身。適任者がおります」


 そう言うと、イオは部屋の扉を開けた。そこには小柄な女性がいた。黒い長い髪を垂らしている。目が丸く、可愛らしい印象を与えた。


「彼女は元は偽の聖子女に仕えていた修道女ですが、身を寄せていた悪い司教たちに奉仕を強制されていました。その悪牙から救出したのです」


「なるほど。“床”の技は一流ということか」


「ペトロ!」


 彼の下品な発言を気にすることなく、その女性は笑った。その笑みには、数年前まであった可愛らしさは消え、妖艶ようえんさを漂わせている。彼女は深々とお辞儀をして、挨拶した。


「クロエと申します。どうか私を、ゼロ様の化身であるハリス様のお傍に、お仕えさせてください――」


 第七章 完

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