第34話『国が終わる時』

 クロス軍壊滅。その情報が伝わった瞬間、ミラノス城は恐慌状態に陥った。


 城に無事逃げ帰った兵士の数は微々たるもの。貴族たちは散り散りに逃げてしまった。そして迫りくるダヴィ軍と教皇軍。


 それを理解した瞬間、人々は家財道具も財産も捨てて、身一つで逃げ出していく。


 誰しも、クロス王の存在を忘れた。


「お、おい!言うこと聞かぬか!」


 多くの人が真っ青な顔で走っていくミラノス城の廊下、クロス王・アルフォン2世は挙動不審に歩き回る。場違いな華美な衣装を、小柄な体にまとわせ、駆けていく人々に話しかける。


「私を無視するな!」


「こ、国王!すみません。俺も命は惜しい!」


 話しかけられた衛士が、服をつかむアルフォン2世を突き飛ばし、逃げていく。その衝撃で、彼の頭に掲げられていた王冠がコロコロと転がった。


「わ、わたしの、王冠……」


 アルフォン2世は必死に這いずり、王冠をつかんでかぶり直す。それと同時に、外から大きな音に続いて、悲鳴と怒号が聞こえてくる。門が打ち破られたのだろう。


 混乱が極まる城内で、王は独り叫ぶ。


「私は何をしたらいい?!私は……」


 誰も応じない。誰からも存在を認知されない国王は、廊下の片隅で震えていた。


 クロス国最後の王・アルフォン2世は、この日に死んだ。彼の死に様は、伝承として残っている。彼は召使いについて行って、裏門近くに来た時、その豪華な衣装と王冠を教皇軍の兵士にはぎ取られたという。そして逃げる馬に踏みつぶされて、裸同然で死んでいたらしい。馬を操るはずの『御者の王』は、最期は馬に殺されたという、歴史の笑い話として伝えられている。彼の死体は結局見つからなかった。恐らく、他の死体と一緒に、共同墓地に埋葬されたのだろう。


 教皇軍が乱暴狼藉らんぼうろうぜきしたのは、アルフォン2世にだけではない。ミラノス城すべての財産や女子供に至るまで、全てを奪っていった。最後には放火し、ミラノス城は跡形もなく灰燼かいじんと化した。


 その魔の手は、市中にまで及ぼうとしていた。しかし、それを止める手も現れる。


「何事ですか?」


「ベルナール様!ダヴィ軍の連中が……」


 ベルナールは兵士たちの群れを分けて進む。教皇軍の兵士たちは彼の白い僧服、特徴的なマフラー姿や細い目を認識すると、逃げるように後ずさり、彼の道をつくった。


 城内の道の真ん中、彼の前に立ちふさがったのは屈強な兵士、アキレスだった。


「彼らの指揮官か」


 アキレスは自分の武器のバルチザンを片手に持ち、仁王立ちになっていた。その姿に、ベルナールは細い目をうっすらと見開く。


「ベルナール=クレブス。神聖なる教皇猊下げいかしもべである。この街にはびこるゴミどもを駆逐くちくするために、猊下げいかの命を受けてここにいる」


「それはご苦労だ。俺はアキレス=ヴァイマル。ダヴィ=イスル様の部下だ。この先に敵はいない。他を当たったらどうだ」


「敵はいない?そんなバカな」


 ベルナールはクククと、マフラーを巻いた首から笑い声をもらす。そして家々の窓からこちらを心配そうに見つめる市民を指さし、アキレスに言う。


「あれも、そこにいる者も、全て敵ではありませんか」


「なに?」


「教皇様の敵となったクロス王の城に、ぬくぬくと住み続ける。汚らわしき獣のごとき者よ。我らが浄化しなければなりません」


 あの城のように、とベルナールは微笑んだまま、ミラノス城を指さす。城からは黒煙がふき出していた。


 アキレスのバルチザンを持つ手に、力がこもる。


「ここも燃やす気か」


「燃やす?とんでもない!そんな甘ぬるいことなどしませんよ。聖女様の敵の皮をはぎ、その血潮が天に届くまで、許しを乞わせないといけません。燃やすのはその後だ」


 ベルナールはアキレスに命令する。


「さあ、そこをどきなさい。我々を邪魔をするものは、聖女様の敵です」


 アキレスはグッと奥歯を噛みしめる。彼には信念があった。信仰よりも大事にする信念が。


 ダヴィもこうするだろう、とアキレスは思い、ベルナールをにらみつける。


「一歩たりとも、ここは通さん」


 ダヴィ軍と教皇軍の兵士がにらみ合う。両者の剣を握る手に力がこもった時、教皇軍の後ろから大きな声が聞こえてきた。


「教皇様がいらっしゃった!皆の者!教皇様がいらっしゃった!教皇様のもとに集まれ!」


 ベルナールの身体から殺気が消える。そして目の前の若者に言った。


「運が良かったですね」


「…………」


 去っていくベルナールの後ろ姿を眺め、アキレスは不快そうに息を吐いた。


 不吉な予感がして、しょうがなかった。


 ――*――


 急な教皇の来訪に驚きつつも、ダヴィは呼び出されるまま、ジョムニとルフェーブと共に向かった。謁見は大貴族の屋敷で行われることになった。


 屋敷の中は急遽掃除されたとはいえ、戦いの爪痕つめあとがくっきりと残っていた。花壇は荒らされ、石畳には血がこびりつく。多くの窓が割れている。ドアは無理やり開けられたらしく、歪んでいた。


 何かが焼ける異臭に鼻が曲がりそうになるダヴィたちは、教皇のいる部屋へと通される。教皇は汚れひとつない白い僧服と帽子で、にこやかに笑っていた。座る彼の隣には、ベルナールとアンドレの姿もある。


「ダヴィ=イスル、ただいま参りました」


「おお、よくぞ戦ってくれた。お主の奮闘ぶりは聞き及んでおる。聖女様に代わり、礼を言おう」


 ダヴィたちは片膝をついて、頭を下げる。それと同時に、彼はちらりと、ベルナールが持っているものを見た。


(地図か)


 教皇は褒める言葉もそこそこに、早速その地図をテーブルに広げた。クロス国全域を示した地図だ。


「人民は憂いておる。早く世の理を定めなければなるまい」


(領土確定とは、なんとも早いことだ)


 ミラノスの城は炎で包まれているというのに、その傍で獲物の量を、舌なめずりしながら数える。そのどぎつさに、ダヴィは一瞬顔をしかめかけたが、すぐに笑顔を貼りつかせた。


「仰せのままに」


「大功あるそなたには、クロス国の北部を任せたい。具体的には……」


と教皇自らが筆を取り、都市を丸で囲む。それを見て、ルフェーブはぴくッとこめかみを動かし、四角いメガネが動く。


(なんてことはない。ダヴィ様が占領した都市じゃないか)


 ダヴィ軍が現在占領中の都市をそのまま領有せよ、と教皇は示していた。しかもその中にはアウクストなどの大都市は除かれている。


 ベルナールは手を合わせて、うやうやしく言う。


「慈悲深き猊下げいかは貴殿に『聖騎士』の称号をお与えになるとのことです。後日、正式に発表されるでしょう」


(うっ……)


 前述した通り、騎士は一代限りの領有権しか認められていない存在で、貴族よりも立場が弱い。貴族の地位を確約したはずの約束は、あっさりと破られることになる。


(だいぶ、なめられているな)


 貴族相手では信義が大事だ。それを臆面なく裏切る。その背景には、教皇たちはおそらく自分が元奴隷のサーカス団員であることも知っているのだろう。教皇の目の奥に、軽蔑の色が浮かんだことを、ダヴィは確認した。


 ダヴィは言葉を詰まらせた。しかし隣のジョムニが彼の袖を引いた。ダヴィがそちらを見ると、ジョムニは目を見つめながら、頷き返す。


 一回、深呼吸をして、ダヴィは返事をする。


「謹んでお受けいたします」


「お主の信仰心、聖女様も見ておられるだろう」


 鷹揚おうように頷く教皇の態度に、ルフェーブは唾棄だきしたかった。聖職者のトップたる者が、こんな欲丸出しの行動でいいものだろうか。


 怒りを抑えるルフェーブの隣では、ジョムニがダヴィに耳打ちする。


「よくぞご辛抱なさいました」


「だが、どうする?これでは話が違う」


「今は我慢してください。ダヴィ様はまだお若いです。次代の教皇になった時、またチャンスはあることでしょう」


 目の前のアレクサンダー6世に対しては、諦めろとジョムニは言う。ダヴィはやるせない気分だったが、その感情を飲み込むしかなかった。


 満足に微笑む教皇の隣で、いつも薄っすらと笑顔のベルナールが「ところで」と話を変える。


「クロス王の息子たちを捕らえたそうですね」


「ええ、市民たちに混ざって逃げるところを捕まえました」


「見せしめにしましょう。クロス王が見つからず、王冠しか発見されていない今、彼らに罪をあがなってもらいます。お引渡しいただけますか?」


 今度こそ、ダヴィは顔を歪めた。国王の息子2人はまだ5歳と3歳なのだ。それを殺して、誰が喜ぶというのか。


 ダヴィはアキレスと同じように、自分の信念に従うことにした。教皇に頭を下げる。


「猊下、彼らは罪深いクロス王の息子でありますが、まだ幼く、自分たちの罪も認識しておりません。この世に生まれたのであれば、なにか『役に立つ』ことを、聖女様がお示しされたに違いありません。どうか、ご慈悲を」


 教皇は皺だらけの顔を撫でながら、考える。確かに生かしておけば、何かの役に立つかもしれない。処刑するのは後日でも構わないのだ。


「お主の意見、もっともである。修道院で勤めさせ、罪をつぐなわせる方が良いだろう」


「なんと慈悲深きお言葉!ああ、すばらしい!」


 ベルナールが大げさに褒める一方で、隣で立つアンドレは無表情にダヴィを見つめていた。心の中で嘲笑する。


(あまい考えだ。敵の一族を滅ぼし、将来の反乱の芽をつむことが重要なのだ。そんなことでは生き残れまい)


 その後、いくつかの打ち合わせをした後、ダヴィたちは屋敷を去った。もう空は赤くなり、夕日が城から上がる黒煙の中に没しようとしていた。


 ダヴィはジョムニの車いすを押しながら、焼け落ちる城を見つめる。


「これが、国の最期なんだな……」


 金歴549年、金獅子王の時代から続くクロス国は滅亡した。この日を境に、7大国で世界を分断していた体制も終わりを告げることになる。


 ただし、これは世界の混沌の、始まりに過ぎないのだった。

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