第25話『第一次ドーナ川東の戦い 上』

 目標としていた五つ目の城が陥落した。犠牲は少なく、ダヴィ軍の作戦は大成功を収めた。兵士たちは喜び、占領した城内で宴会が始まる。


「よう! お前も飲めよ」


「僕はいいさ。ちょっとこの光景を絵にかいておきたい」


「今日は良いじゃねえか! お前さんもいける口だろ!」


「飲もう! 飲もう!」


 マセノをミュール・ライル・スコットが取り囲んで酒を勧める。この酒飲み三人組に、経験が少ないマセノは捕まってしまった。この点、最初から宴会に参加しなかったノイの方が偉かった。マセノは苦笑いを浮かべて、どう逃げるか考えていた。


 彼らが喜ぶ一方で、ダヴィとジョムニは冷静だった。


「ここからです」


 ジョムニは密偵からの情報を聞き、真剣なまなざしをダヴィに向ける。ウィンからヨハンが指揮するファルム軍が出陣したのだ。


 その数は二万五千。ジョムニの読み通り、兵力を大幅に減らすことは出来たが、それでもこちらより一万も多い。


 さらに言及すると、その軍の中には、ファルム軍最強騎士団『金獅子王の角』も含まれている。


「出てきたか」


 ダヴィの脳裏に、ウォーター軍に所属していた時に戦った記憶がよみがえる。彼らの突撃に、一気に戦局が覆った。それほどの実力を持っている。


 ダヴィの曇った表情に、ジョムニは頷いて同意する。彼もこの騎士団の実力は知っている。


「数日後にはここにたどり着くでしょう。ドーナ川を渡る手段は確保してから出陣したと見るべきです」


「どうする? 城に籠るのかい?」


「この短時間では、籠城の準備は整えられません。また、城内の民衆の心は落ち着いていません。下手をすれば、裏切りが出るでしょう。当初の戦略通り、城外で戦うべきです」


 ジョムニは地図を広げて、城の西側を指さした。そこはドーナ川の東側に広がる平野だ。


「渡河する敵を迎え撃ちます」


「分かった。そうしよう」


 ダヴィは左右色が異なる目で、地図上の平野を見つめた。数日後には、そこは血で染まることだろう。


 ――*――


 ドーナ川。大陸屈指の長さと水量を誇る大河で、南フォルム平原を南北に貫く。川幅が広く、下流部では対岸がかすんで見える。この川は太古の昔から洪水を引き起こすとともに、バルツ山地から栄養豊富な土を流し運んだ。その結果、この下流域では地味が豊かな土が広がり、農作物がよく育つ。


 この川がこの大陸最初の文明を作り出した。


「父上。対岸に敵の姿が見えます」


 オイゲン=セルクスが指さす。確かに、大河を渡る大型船の上から、ぼんやりと黒い影が見えた。とは言っても、ヨハンの老眼にはキツイ。朝霧も立ち込めていて、目がしばしばする。


「よく見えるな」


「旗印まで見えますぞ」


とオイゲンは、父親とよく似た四角い顔に笑みを見せながら答えた。彼もすでに二十代の半ばを過ぎて、黒々としたあご髭に貫禄が出始めた。彼の子ども、つまりヨハンにとっての孫も、大きくなった。


 彼の誠実で、堅実な指揮ぶりは、ヨハンの後継として申し分ない才覚を見せている。彼は戦術書通りに提案した。


「兵力はこちらが上です。犠牲は出ますが、一気に上陸して橋頭堡きょうとうほ(渡河点に造られる強固な陣地)を築きましょう。そこからじりじりと陣地を広げて、全軍を渡河させます」


「そうだな。そうしよう」


 自分の考えと同じだ。奇抜なことは考えず、着実に勝利へと近づく。ヨハンは部下に指示した。


「旗を掲げろ! 敵の防衛線を破るぞ!」


 攻撃を示す旗が掲げられ、ファルム軍の船が一気に動き出す。海賊を雇ったかいがあり、その動きは素晴らしい。


 ダヴィ軍は対岸から矢を射かけてきた。それを盾や板で防ぎながら、対岸へと向かう。そして船が岸に横づけされ、兵士たちが船底から飛び出てきた。


「ここで減らすんだ。射かけろ!」


とダヴィの激が飛び、再び無数の矢が飛んでくる。上陸したばかりで防御態勢が取れないファルム軍の兵士たちに矢が突き刺さり、ドーナ川の岸に死体が並んだ。


 しかしヨハンはひるまない。


「怯えるな! どんどん上陸するんだ。陣地を築け」


 空になった船が去ると、すぐに次の船が岸に着く。ダヴィ軍の攻撃に耐えながら、じりじりと数を増やし、やがて万を越した。陣形は整っていないが、十分に反撃できる。川に浮かぶ船からも、矢で反撃してきていた。


 潮時だ。ダヴィは指示を出す。


「十分だ。いったん退くぞ」


 ダヴィ軍は欲張らず、東の陣地へと退いた。ファルム軍は追わずに全軍を渡河させることに集中する。


「引き際が上手い相手ですな」


とオイゲンが感想を述べる。彼は冷静に相手の実力を見極めていた。


(我が息子ながら、良い目をしている)


 ヨハンは渋い表情の中に喜びを隠しつつ、彼の言葉に同意した。


「油断できない相手だ。撤退したのも、かなり堅固な陣地を築いている証拠だろう。まずはしっかりと陣形を整えさせろ」


 ファルム軍は首都近郊の貴族の軍を中心に構成されている。ヨハンと親しい貴族が多いこともあり、機敏に動いていく。昼前には簡易な陣地と、横陣の軍容が整えられた。


「いかがしますか。今日のところは陣を守ってもいいかと思いますが」


「いや、一戦しよう。敵の陣が固まる方が厄介だ」


 ファルム軍は陣を出て、平野を東に進む。歴史の重みある鎧を着た兵士が風を切って、速足で行く。先ほどの上陸戦の辛さを感じさせない、ヨハンに鍛え上げられたたくましさが、その歩みから感じられる。


 鈍い銀色に輝く重い鎧に身を包み、鉄甲で覆った騎馬に乗るヨハンは、誇り高き騎士団『金獅子王の角』の先頭を進んでいく。その栄光は数十年経とうと変わらない。


 その強大な軍を、ダヴィたちは陣に籠って待ち受ける。


「ダヴィ様。敵が見えてきました」


「うん」


 ダヴィとジョムニが並んで、柵の向こうの土ぼこりを眺める。乾燥している空気に、土がよく舞い上がっている。


 この光景に、マセノは興奮していた。万を越す人間が行進するとこのようになるのかと、絵面として興味をそそられる。しかしそれ以上に、久々の戦場に対する武者震いが、彼を襲った。


 ところが、周りの兵士たちは平然としている。前線に立つというのに、迫りくる騎兵の姿を見ても、歩兵たちは平常のままだ。ライルやスコットに至っては鼻をほじっている。


「驚いたね。君たちは図太い」


「それ、褒めてんのか?」


とミュールに言われるが、マセノはからりと笑う。


「褒めているのさ。以前、体験した軍では、兵士たちは真っ青な顔をしていたよ。君たちは戦い慣れしている」


「当たりめえよ! 俺たちが鍛え上げたのさ。おめえこそ、ダヴィ様に見込まれたからには、ちゃんと働けよ」


「心外だね!」


 マセノは首を鳴らす。黒い長髪が心の高揚を伝えるように舞った。


「僕の剣技を披露してあげよう。さ、舞台は整った! 観客に可愛い娘がいないのは残念だけど、僕の武勇伝は空を駆ける。風よ! 僕の噂を世界に広めておくれ」


「なに言ってんだよ」


 一方で、ノイは敵をにらみつけていた。彼は異教徒で構成された軽騎兵の部隊に配属されている。その指揮を任されたジャンヌは、同じく馬に乗るノイに話しかける。彼の声は数時間聞いていない。


「ね、ねえ、ノイ……大丈夫?」


「…………」


 彼は答えないが、彼の目に闘志が見える限り、大丈夫なのだろう。ジャンヌは無理やり自分を納得させる。


 その時、唐突な質問が落ちてきた。


「あれは全員、正円教徒か」


 久々のノイの声だ。ジャンヌはやっと会話のチャンスがつかめたことを良いことに、口数多くして返事をする。


「そうだよ! 奴ら、あんたの嫌いな正円教徒さ。欲のかたまりみたいな教皇に味方して、あたいたちの国をめちゃくちゃにしようとしているのさ。やっつけないとダメな奴らだよ!」


「…………」


 返事なし。会話はそこで途切れた。ジャンヌは肩を落として、ブツブツ言いながらその場を離れた。


「……なんでこんな役目にされたのさ。やっぱり、あたいにはこんな大勢の指揮は難しいよ、ダヴィ……」


 ノイは口を真一文字に結んでいた。彼の心には行進曲が流れ、そのリズムに合わせるように血が流れを早める。


 彼は汗ばむ手で、メイスの柄を握った。


 そして離す。まだ早い。まだ早い。


「倒す」


 これからの未来を予言するように、彼は呟いた。不幸にも、その呟きをジャンヌは聞こえなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る