第26話『第一次ドーナ川東の戦い 中』

 風が強くなってくる。逆に吹いてくる寒さが残る風に、ヨハンの灰色の髪と髭がざわざわと動く。彼の視線は、ダヴィの陣から離れない。


 斥候が戻ってきた。


「ヨハン様。敵は四方全て何重もの柵で囲んでいます。一部は空堀も備えています」


「やはり、貴族たち相手に行った戦術です」


 ヨハンは頷く。シリルの戦いの内容は、ファルム国でも知られていた。ダヴィが行った防御陣地の構築による敵の疲れを待つ作戦。そして鍛え上げた職業軍人による効果的な反撃。2倍もの兵力を相手に対して、鮮やかに勝利した戦術は、戦い慣れた貴族たちの度肝を抜いた。


 しかしヨハンはためらわない。自分と共に戦ってきた兵士たちの強さを信じている。


「敵は無敵ではない。あの柵と堀を越えれば、こちらのものだ。正面から打ち破れ!」


 大将の号令に従い、ファルム軍2万5千が動き出した。かつての貴族連合軍とは異なり、包囲せずに、陣の一面に兵力を集中させる。


 柵の中にいる、前線のミュールたちの目に、闘志が灯った。


「そらっ、来たぞ!」


 ミュールの号令に合わせて、一斉に弓兵が構える。彼らの引き絞った手が離れ、無数の矢が黒く空を覆って飛んでいく。


 ダヴィ軍の矢は精巧に作れており、堅く、そして節は曲がっていない。真っすぐにファルム軍の兵士たちに突き刺さる。その痛みに耐えられない兵士たちは自分の走る勢いに負けて、前のめりに転がっていく。


 しかしファルム国の兵士は精強だ。何人かが傷つきながら、柵までたどり着く。


「へへ。やるじゃねえか! あのへっぴり腰のクロス国の貴族どもとはわけが違うぜ」


「でも、ここまでだよお」


と待ち構えていたライルやスコットたち歩兵部隊が待ち構える。柵の内側から、槍や矛で突き殺していく。


 ところが、ライルが言うように、相手が違う。


「随分と密集していますね」


 ジョムニが眉をひそめる。ファルム軍は十人程度の小集団を形成し、隙間なく構えた盾の壁でもって矢を防ぐ。そして堀を越え、柵にたどり着くと、一斉に柵を引き抜く動きを見せた。ミュールたちはその度に撃退するが、間隙なく次の部隊が柵に取りつく。


「クソッ、きりがねえ。おい! お前も働け!」


と声をかけた相手は、マセノだ。剣を抜いてさえおらず、フラフラとたたずんでいる。汗と返り血にまみれているミュールたちとは対照的だ。


 マセノは柵を乗り越えて入ってきた敵を、華麗にさばいていた。しかし、それだけしかやらなかった。


「嫌だよ」


「なに?」


「僕にはそんな泥臭い仕事は似合わないね。もっと絵になるような、それこそ馬に乗って戦場を駆ける働きがしたいのに」


 それだけ言うと、彼はミュールから背を向けて散歩し始める。ミュールはぶん殴ってやりたがったが、正面から本当にぶん殴らないといけない敵の姿が見えてくる。


「てめえええ! 後でぶん殴ってやるからな!」


「どうぞ、お手柔らかに」


 マセノの束ねた長い髪が、つまらなそうに揺れた。


 ファルム軍の猛攻は続く。勇猛果敢な兵士たちは味方の死体で埋まった堀を越えて、柵に取りつき続ける。ついには、多くの柵が倒された。


 ヨハンの目が光る。


「歩兵に防御させるうちに、堀を埋め立てろ。騎兵が通れるようにするのだ」


 ヨハンは騎兵の投入機会を待っていた。最強の騎士団「金獅子王の角」に、粘るダヴィ軍の歩兵部隊を切り崩させれば、勝利は間違いない。


 ダヴィもその狙いには気づいている。歴戦の彼の頭脳は、冷静さを保つ。

 

「前線と、第二陣を入れ替えるんだ。敵を徹底的に疲れさせる! 余力を残した状態で『金獅子王の角』を迎え撃つんだ!」


 ミュールたちに代わって、第二陣が前線に出て来る。ファルム軍はその交代の隙を狙おうとしたが、訓練されたダヴィ軍の動きについて行けない。新手の部隊の攻撃を受けて、ファルム軍が押され始める。


 オイゲンはこの事態に危機感を持った。


「父上。私も攻撃に加わりましょう」


「うむ」


 オイゲンは左翼の部隊を引き連れて行く。ダヴィ軍のように素早く交代は出来ないが、前線を後ろ支え出来るはずだ。


「ダヴィ様。敵の左翼が動きます!」


「…………」


 ダヴィは腕を組んだまま動かない。彼らが攻撃に加わっても、このまま守れるだろう。ここは耐える場面だ、と覚悟を決めていた。


 ところが、事態は急変する。


「軽騎兵部隊が勝手に突出しました!」


「なんだって?」


 ジャンヌが率いていたはずの、異教徒たちで構成された軽騎兵部隊が、勝手に陣から出ていた。ジャンヌは茶色の髪の中に嫌な汗をかきながら、戦場を駆ける部隊の先頭を行く大男に大声で尋ねた。


「何しているのさ! まだ命令は出ていないよ!」


 ノイは大きなメイスを肩に担ぎ、馬を走らせる。その視線に迷いはない。


 彼が受けた命令はただ一つ。


「正円教徒を倒す」


 彼がメイスを高く掲げると、異教徒たちが気迫がこもる声を上げた。そして止めるジャンヌを無視して、オイゲンが率いる部隊に突撃していった。


 ノイには黒い馬が良く似合う。彼自身の黒い肌と相まって人馬一体となり、まるで巨大な殺戮マシーンが迫ってくる印象を敵に与える。


 彼のメイスがうなる。


「ひぎゃ!」


 重い兜をかぶっていたはずの騎士の側頭を打ち抜き、首の骨が壊される。騎士の命が消し飛ぶ。


 彼のメイスがまた唸る。


「う˝……」


 槍で防いだはずの歩兵の頭上に下されたメイスは、彼の槍と兜を潰し、鈍い音と共に彼の魂を昇天させた。


 彼が通るたびに、敵から悲鳴が上がる。その崩れた部分から、軽騎兵部隊が後に続いて戦果を拡大する。


 しかし、ジョムニは下唇を噛んでいた。


「ここで投入するべきではなかった……」


 軽騎兵は最高の機動性と瞬間攻撃力を誇る。歩兵がハンマーだとすると、軽騎兵は錐である。的確に用いれば、敵の弱点を貫き、戦局を一気にひっくり返すことが出来る。


 しかしその分、防御力が無い。一度投入すれば、その日の戦闘でもう用いることは出来ないだろう。一度限りの必殺技。


 ここはまだ使う場面ではなかった。


「敵が崩れた時に、セルクス公の本陣をつく手段として用いたかったのでずが……このままでは、敵中で全滅します!」


 ジョムニの悲鳴のような意見が響く。ダヴィも苦虫を噛み潰したような顔をして、命令を下した。


「やむを得ない。ジャンヌやノイたちを見殺しにするな! 全軍、突撃だ!」


 ダヴィ軍全体が攻勢に動いた。陣の左右からも出て、ファルム軍の前線を包み込もうと大きく展開する。


 ファルム軍の前線が崩れてくる。ヨハンはその報告を受けた。


「オイゲン様が支えていますが、このままでは前線が全滅します。すぐに部隊を投入しましょう」


「…………」


 ヨハンは空を見上げた。太陽はたいぶ傾き、青から赤に変わってきていた。


 ここで全軍を投入すれば、なんとか勝てるだろう。しかし夜になってしまえば、追撃は出来ない。このタイミングではない、と彼は判断した。


「部隊を投入する。しかし、これは撤退のためだ。前線部隊を回収したら、陣に引き上げるぞ」


「はっ」


「勝負は明日だ。今日のところは見逃してやれ」


 ファルム軍の新手が投入され、ダヴィ軍を押し返し、前線部隊を救出する。その動きに無駄はない。


 ダヴィもこれ以上の戦いの無駄を悟った。


「俺たちも引き上げる! 引き鐘を鳴らせ」


 ジャンジャンと、寒くなり始めた大地に、撤退を告げる鐘の音が響く。兵士たちは暑くなった体に流れる汗が、風に冷やされるのを感じながら、速足で陣へと戻っていく。


 ダヴィ軍はファルム軍を退けた。しかし、それだけだ。明日、彼らはまたやってくるだろう。


 柵が壊された陣の中で、色々な事後報告が伝わる。


「前途多難ですね」


 ジョムニの声が耳に残る。ノイやマセノのことを言っているのだろう。ダヴィも渋い顔をする。


「二人は有能だ。俺が使い方を間違えただけだよ」


「そうでしょうか。どちらも一匹狼です。使い方どころか、使い道が無いのかもしれません」


「そう決めつけるのは早いさ。いずれは解決しないといけない問題を、彼らは俺たちに示してくれている」


 ダヴィの耳飾りを風が撫でる。ともかくも、明日、勝たなければならない。


 グッと、疲れが体に現れた気がした。

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