第8話『皮肉屋の元貴族』

 別れがあれば、出会いがある。それが人生だ。


 葬儀から数日後、ダヴィはジョムニを連れてナポラの街を散歩していた。ミュールが護衛につく。


「すみません、私のために」


「いや、俺も街を見回りたかったから」


「ダヴィ様、俺が車いすを押しましょうか」


「大丈夫だよ」


 ダヴィから作戦立案を命じられて以来、ジョムニは部屋からほとんど出ていなかった。それに気づいたルツが、ダヴィに怒りながら提案したのだった。


『お兄様のせいでもありますわよ! ジョムニは思いつめていますわ。少し気晴らしさせてください』


「どこにヒントが隠れているか分からないよ。太陽の下で考える方が、いいかもしれない」


とダヴィは言う。冬晴れの朝のナポラの街通りを、3人が進む。人々は敬意を払って、道を開けてくれていた。


 それでもジョムニの表情は暗い。


「ごめんなさい、ろくな作戦もまだ立てられていない私に、気を使っていただいて」


 彼から以前の自信はすっかり消えた。今は謙虚というよりは、卑屈な態度をとっている。


 そんな態度にミュールは「ケッ」といら立つ。


「なんだよ、ジョムニ。軍師のお前がそんな弱気でどうするんだよ! 大失敗したけどよお、挽回するしかねえじゃねえか」


「ミュール、それは……」


「…………」


 『大失敗』と言われて、ジョムニの表情は余計に曇った。ダヴィは眉間にしわを寄せてミュールを見つめたが、彼は「え?」と気づかない。


 この気晴らしは失敗だったかな、とダヴィは思い始めていた。


 ――*――


 ダヴィたちは市場を回った後、製紙工場の見学に来ていた。


 当時の製紙には、木綿のくずを主原料として用いる。衣料に使用されていたくず(綿ぼろ)を、叩いて分解し、それを手すきで伸ばして作っている。


 この工場は、紙に対して専売制を行うダヴィが建てた。まだ稼働して間もないが、大勢の人々が従事している。


 この工場の運営は、社会福祉的な側面もあった。ダヴィは奴隷の新規販売を禁止し、現在農園や鉱山で働く奴隷の買い取りを進めていた。その元奴隷たちが働く場としても、この工場は機能している。


 ミュールは工場で働く人たちに声をかける。


「よお、精が出るな」


「はい、ミュール様。一同、頑張っております」


「頼んだぞ。また酒樽でも持ってきてやるからな」


「やった!」


 工員たちは無邪気に喜び、持ち場に戻っていく。ミュールはジョムニを連れて、うまく機能しているか確認しに行った。ダヴィは工員たちを微笑ましく観ながら、工場内をぐるりと見渡す。


(おや?)


 工場の入り口に、男が一人いる。切り株に座り、工場の中を眺めていた。パイプを吸っている。この地域では珍しい。


(内偵か?)


 なにしろパイプは高級品だ。元々大陸東部を原産とするタバコの葉を愛用するのは、フィレスやヴェニサの商人ぐらいだろう。


 薄い髪に、深い顔の皺。紫煙しえんをくゆらす。その姿にダヴィは興味を持った。


「今日も寒いですね」


と話しかけてみる。その男はパイプを片手に持ったまま、横目でじろりとダヴィの顔を見た。ふん、と鼻を鳴らす。


「冬は寒いのが当たり前だろう。そんなことをいちいち聞くな」


「これは、参ったな」


 ダヴィは頭をかく。ただの挨拶のつもりだったが、にべもなく拒絶されてしまった。仕方なく、ダヴィは単刀直入に聞く。


「先日の葬儀にはご参列いただき、ありがとうございました」


「なに?」


「この地方には生えていないキンセンカをわざわざ供えていただきましたね。後で調べましたら、花言葉は『別れの悲しみ』だとか。死んだトリシャも喜んでいるでしょう」


 男は口を半開きにして、まじまじとダヴィの顔を見つめる。


「まさか、全員の顔を覚えているのか」


「いえ、全員は無理です。ただ、人を覚えるのは得意で、特徴的な人は記憶しています」


 ダヴィは軽く笑って、尋ねる。


「その時も度々視線が合いました。もしかしたら、俺に会いたかったんですか?」


「…………」


 男はそっぽを向き、顔を隠すようにパイプをくわえる。ダヴィはクスリと笑って、その行動を許した。


 その時、ミュールとジョムニが帰ってきた。


「おや、どなたですか?」


「あれ? どっかで会ったな、そのじいさん」


 ミュールが自分の記憶を探る。男は太い眉の間に深い皺を入れた。


「何度言わせるつもりだ。酒場でも話したように、俺はそんなに年取ってはいないぞ」


「酒場かよ。そりゃあ、覚えてねえさ。飲んだらすっかり忘れちまう。ムリムリ」


 ミュールが手を振ったのを、ダヴィとジョムニは笑う。男は不機嫌な顔を隠さずに、とげのある言葉を使う。


「なるほど、俺の忠告も無駄になったわけだ。だからダヴィ=イスルもその部下も馬鹿だと言ったのだ」


「なに! てめえ、ふざけたことを抜かすな」


「あの時と全く同じ反応をするな。学習能力というものがないのか」


「だいたい、てめえは何者だ。名乗りやがれ!」


 ミュールの迫力ある怒りに怯えることなく、男はパイプをくわえたまま名乗った。


「ダボッド=エック。そこの坊主は聞いたことがあるだろう」


「え!? あのエック公ですか。まさか」


 ダヴィは驚くジョムニに説明を求める。


「どちら様だい?」


「エック公は元々クロス国の男爵で、この近くの領地を所有していました。そこで農地改革と減税政策を採った有名な方ですよ。実を言うと、ここの政策も彼のを参考にしたものも多くあります」


「元々男爵? 今は違うって言うのかよ」


「当時のクロス王に追放されたと聞いています」


「そんな人がなんで?」


 ダボットは苦々しい表情を浮かべて、悪態をつく。


「無能なやつらは有能なやつを憎むものだ」


 ジョムニが説明を加える。


「彼の政策が成功しすぎたのです。彼の領地に逃げ込む農民が増え、それに困った近隣領主がクロス王やその側近たちに、彼の悪い噂を流したらしいです」


「なんだよ。自分たちも改革したら良いだけじゃねえのかよ!」


と農民上がりのミュールが怒る。つまり彼は周りの嫉妬によって、追放されたのだ。


「今ではどこかでひっそりと暮らしていると聞いていましたが、こんなところにいらっしゃるとは」


「どこに行くかは、俺の勝手だろう」


「でも、ここに来たということは、興味があったということですか」


「うむ……」


「ところで、先ほどのミュールに言った忠告とは、どういう内容だったのですか?」


とダヴィが丁寧に聞くと、ダボットの目が光った。


「この状況を言ったまでだ」


「この状況とは?」


「教皇の暴走のことだ。そこのミュールとかいう男が『クロス国を倒したら終わりだ』と言っていたからな」


「そ、そんな重要なことを言ったのかよ! シラフの時に言ってくれよ」


「酔って忘れた方が悪い」


 うがー、と頭を抱えて悔やむミュールの隣で、ジョムニは下唇を噛んだ。自分が予感できなかったことを、目の前の男はしていた。ダヴィは彼に尋ねる。


「教えてください。俺たちはこれからどうすればいいでしょうか」


「その前に、これからどうするか方針は決めたか?」


「はい……」


 声を落として、彼だけに聞こえるように言う。


「教皇を倒します」


 ダボットがかすかに笑った、ような気がした。相変わらず気難しい顔でののしる。


「馬鹿なことだ。愚か者がすることだ」


「普通の人からすればそうでしょう。だけど」


 ダヴィのオッドアイに力がこもる。ダボットの視線がそれに吸い寄せられた。


「俺たちがやらなければ、世界は変わらない」


「…………」


「ダボット=エックさん。一緒に馬鹿なことをやりませんか」


 ダボットは後年、息子たちに戒めとして家訓を残している。その中に、このような一節がある。


『女に騙されることは多いが、男に騙されることの方が危険だ。飲み込まれるな』


 ダボットはダヴィの目から逃れるように、目をつむり、やがてぼそりと言った。


「……ヒマつぶしだ」


「え?」


「ヒマつぶしついでに、やってやると言っている。農業ももう飽きたからな」


 ダボット=エック。当時、35歳。彼の家訓はこう続いている。


『特に、目には注意しろ。オッドアイが最も怖い。一生、苦労することになるぞ』


 卓逸した戦略眼と農政知識を持つ彼もまた、ダヴィ=イスルという男の魅力に騙された一人になった。

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