第30話『王冠の重み』
歴史上、様々な混乱はあるが、このミラノス城は見苦しいほどに乱れていた。
この原因はもちろん、教皇の宣戦布告である。
「……アウクストは落とされ、フィレスとヴェニサは教皇に寝返ったか」
ため息が止まらない。刻一刻と、戦局は悪化の一途をたどっていた。
「北からはダヴィ=イスルが、南からは教皇軍が押し寄せてくるか……」
領土の四分の一はダヴィの手に落ちた。さらに南の主要な都市は、次々と教皇に味方することを表明し、教皇の直轄軍がその都市に駐屯を始めているという。クロス国の国力は半分以下に減少したといって、過言ではない。
重臣の一人が声を荒げる。
「それもこれも、カラッチ殿がナポラ討伐に失敗したからではないか。どう責任を取るおつもりか!」
カラッチ公はうなだれる。ミュールに斬られた髭の
「……大変申し訳ありません。この上は、国王陛下自ら先頭にお立ち頂き、この事態を鎮めていただきたく存じます」
重臣たちの目が、テーブルの上座に座る国王に向けられる。全員、小動物のように、すがるような感情を見せた。
国王・アルフォン2世は全く表情を変えなかった。しかし心の中で冷笑する。
「何をしてほしい?」
「はあ?」
「私に何をしてほしいのだ。申してみよ」
重臣たちは顔を下に向け、無口になった。アルフォン2世は手が寂しくなった。ここに錠前があれば、もう少し有意義な時間が過ごせるというのに。
彼の視線は、いつも指示してくるカラッチ公に向いた。
「カラッチ公。この事態を鎮めるにはどうしたらいい?私は何をするべきだ?」
「……分かるか、そんなもの!」
急に、カラッチ公は激高した。座っていた椅子を蹴り飛ばし、立ち上がる。先日の戦いでついた傷だらけの腕や顔を真っ赤にして、国王に指さす。
「いつもいつも政治を
「カラッチ殿、それは不敬な発言だろう」
「うるさい!私の苦労も知らないで。どうした、『御者の王』め。何とか言ったらどうだ!」
カラッチ公の怒号が謁見の間全体に広がる。見上げるほど高い天井にぶら下がるシャンデリアまで、その迫力に震えたようだった。
ところが、次に聞こえてきたのは、笑い声だった。アルフォン2世がケラケラと笑いながら、青筋を立てているカラッチ公に言う。
「それが、お前たちの望みだったのだろう?」
「なに?」
「私が無能なことがさ。錠前開けが趣味のつまらない男を笑いながら、自分たちの権力の拡大に熱中するのは、さぞや面白かっただろう」
カラッチ公は言葉を失い、重臣たちは息を飲んだ。彼はすべてを見通していた。
王は笑い続ける。
「さあ、次はなにをしてほしいのだ?ピエロの真似か?それとも奴隷のように、お前たちの靴をなめようか?聖女様の前で泣きながら『私が愚かでした』と懺悔してみせようか。なんでもするぞ。『お前たちの望み通り』にな!」
アルフォン2世の口から、しゃっくりするように、笑いが収まらずに出てくる。ニタニタと顔を崩しながら、「でも」と言葉を重ねる。
「この王冠だけは、誰にも譲らん」
――*――
クロス王の書状が、ダヴィに届いた。会議室に全員集まり、ダヴィはその書状を開く。
その内容は、挑戦状であった。
「来月、ミラノス郊外にて決着をつけよう、ということらしい」
決着、と聞いて、会議室が色めき立つ。半年とはいえ、この激闘の日々のゴールが見えてきた。
ジョムニが最初に口を開く。
「少し早いですが、我々の侵攻が上手くいった証左でしょう。この挑戦は受けるべきです」
「勝てるか、ジョムニ?」
「兵数では互角。しかし勢いはこちらにあります。さらに教皇様の助力を得られれば」
それを聞いて、ダヴィはルフェーブに声をかける。
「ルフェーブ、早速だが教皇様に参陣を依頼してほしい。大義名分が立てば、こちらのものだ」
「分かりました。すぐに」
ルフェーブは席を立ち、部屋を出ていった。明日にでも、彼にロースへ向かってもらえば、参陣は間に合うはずだ。
ダヴィは立ち上がり、全員に伝える。彼のオッドアイがキラリと光る。
「いよいよ大詰めだ。この戦いでクロス王を倒す。いくぞ!」
「「「おおー!」」」
――*――
ロースの大聖堂、その一室で、教皇・アレクサンダー6世は考える。座った椅子の手もたれを、コツコツと指でたたく。
2人の男が部屋に入ってきた。キツネ目で白い僧服を着た男と、眼帯をつけたスキンヘッド男だ。
「お呼びですか、
キツネ目の男が教皇の前でゆっくりと
ところが、スキンヘッドの男は片膝をつくだけで、ジッと教皇を見つめたまま、ぶっきらぼうに尋ねる。
「何か御用で」
「……貴様、何だその態度は?!
「よせ、ベルナール。構わん」
教皇が片手をあげると、ベルナールは「はっ」と再び頭を下げた。怒られたスキンヘッド男の方は、鼻をフンと鳴らすだけだ。
教皇は2人に伝える。
「クロス王に最後の時が訪れる」
「おお!我らの正義がこれで証明されるのですね!」
「その通りだ。聖女様もきっと喜びたまうことだろう。来月、ダヴィ=イスルの軍勢と共闘し、クロス王と決戦を行う」
ベルナールは感動し、すぐに手を組んで祈り始める。しかしスキンヘッド男は、表情を全く変えず、教皇に尋ねる。
「『共闘』ですか?」
その言葉に教皇は目を見開き、ニヤリと笑う。持っていたロッドを彼に向ける。
「いやいや間違えた。『参陣』だけだったな」
「そうですか……ならばそのように」
2人は部屋を出ていく。教皇は満足そうに口角をあげる。やはり使える。自分の思いを組む男だ。
近習しかいない部屋で、教皇は再び考え始めた。この戦いでクロス王は打倒できるだろう。クロス国の大半を手中に収めることが出来る。
そして『その後』をどうするか。教皇は何かをひらめき、近習に話しかける。
「ウォーター国から来た者がいただろう。彼を呼びなさい」
「はっ」
近習が出ていった扉から、かすかに讃美歌が聞こえてきた。「聖女様」と言った自分の言葉を密かに笑う。
(聖女様も、正円教も、儂の道具に過ぎん……)
帽子に描かれた正円教のマークが鈍く光る。ドロドロとしたものが彼の頭の中に流れていた。
それを知る者は、この世にほとんどいない。
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