第21話『変わりゆく優しい世界 上』

 ここまで東に来たのは久しぶりだ。ウッド国の東端の大都市・ビャウスにたどり着いたシンは、大陸東に広がる東アドア洋から吹き込む風を受けて、暴れるポニーテールを抑えた。付いてきた部下・ヨーゼフが彼女に言う。


「西の街とは随分と様子が違いますね」


「ああ……」


 まず、人々の服装が粗末だ。ファルム国などと交易する西海岸では毛皮や絹生地を用いた暖かい服を着ている者が多い。ファルム国やクロス国で歩いていてもおかしくない服装をしている。


 ところが、ここの民は違う。衣服は麻や木綿が多く、毛皮を着る者はごく少数だ。服を染める余裕がないのか、色彩も薄汚れて見える。明らかに寒そうだが、冬の海風に慣れている彼らは平然と歩いている。


 住宅はわらぶき屋根が多い。これがせめてもの防寒対策だろうが、規則性・統一感のない建物はみすぼらしく見えた。


 西海岸でさえ他国から野蛮と蔑まれているが、他国の者がここを見たらどう思うだろうか。


(あまりにも格差が広がり過ぎている)


 シンでさえ、いや、高位の貴族たちは全員、交易による利益をもたらす西の地域ばかりを気にしてきた。その他の地域は無視してきたと言っても良い。その実態を知った時、シンは自分の無知さを恥じた。


 西海岸出身のヨーゼフは顔をしかめる。シンと彼は民衆に変装してきたつもりだったが、この中では目立つほど上等な服を着てしまっている。鼻の下にファルム国ではやりの髭を生やしたヨーゼフは感想をもらす。


「野蛮そのものですな。こういう連中がいるから、我々は他国からあなどられるのです。まったく、国全体のことも考えてほしいですね」


「…………」


 シンは彼を叱ろうとした。だが、これが西の人々の共通認識だと思い、無駄だと思って諦めた。


 街の宿に馬を繋ぎ、彼女たちはビャウスの街を歩き始める。


「本当に、ここにいるのでしょうか。やっぱり敵の君主がいるなんて、嘘だと思いますよ」


 というヨーゼフの発言から分かる通り、シンたちはダヴィを探しに来た。本当はこの街を支配する貴族に指示を出せばよかったが、取り合ってもらえないだろうと思った。誰も敵国の王が自分の街にいるとは思わない。それに、その貴族は首都に滞在して現地にすらいなかった。


 そこで謹慎中のシンが病気と偽って誰とも会わないようにして、こっそりビャウスまで来たのだった。シンは自信をのぞかせる。


「『両耳に金の輪をぶら下げて、左右目の色が違う男』。こんな奇怪な男性はダヴィしかいない」


「でも、その情報が来たのは他の街からですよ。なぜここに?」


「ダヴィは移動している。情報からすると、北部から東部へと来ているはずだ。この街に来る可能性は高い。それに、私はこの街に来たかった」


「この街にゆかりでも?」


「そうだ」


 父から聞いていた、大昔に木を贈ってくれた民衆が築いたのが、このビャウスの街だ。中庭にそびえ立つ、父のような大樹。いつも観ていた彼の兄弟がどのように育っているか、見たかった。


 シンとヨーゼフは辺りを見渡しながら、街を歩き回る。主に人通りが多い市場を探す。


「本当にこんなところにいるのでしょうか」


 とヨーゼフはもう一度言った。その時、シンの耳に売り声が聞こえた。


「さあさあ! フィレスから仕入れてきた、とびっきりの品々だよ!」


「あそこだ!」


 シンたちが人ごみをかき分けて行くと、品定めする大勢の前で、装飾品や高級衣服を売るダヴィの姿があった。地面に敷いた敷物に座り、客を呼び込む。耳の飾りに、変わった色の目。まさしくダヴィ=イスルだ。


「まさか、本当にいるとは……」


 とヨーゼフが驚く。敵国の王は、珍しい品物を眺める民衆に対して丁寧に説明し、低姿勢で値段を説明する。その姿は一般の商人と変わらない。


(これが、あのダヴィ=イスルか……?)


 シンはウッド王とダヴィが交渉した場の様子を知っている。ダヴィの堂々とした立ち振る舞いに、立ち会ったシンの部下は悔しそうに褒めたことを覚えている。シンも実際にサロメを守りながら対面した時には、彼に王としてのオーラを確かに感じた。


 ところが、今はどうだ。彼は商人のように屈託のない笑みを見せ、あの覇気は感じさせない。持ってきた商品と口の上手さで、市場の人々を自然を惹きつけている。誰でも出来ることではない。大抵の人は王として振舞うことも、商人として売り口上を言うことも簡単にできない。ダヴィは相手や環境に対応して、人の注目を集めることが出来る。


 見事な態度の使い分けに、シンはダヴィの凄みを見た。


(これが身一つで国を作った男の力量か)


 彼の隣ではマセノが同じように商売し、ノイは彼らの後ろで腕を組んで座っていた。ダヴィたちの商品は良い物ばかりだが、非常に高価だったため、大抵の人は指をくわえるような表情を浮かべて離れていく。中には盗んでやろうと悪心がこみ上げる者もいたが、ノイの大きな目に睨まれると、すごすごと立ち去った。


 マセノは客がまた一人離れたところで、ダヴィに膝を摺り寄せて、ぼそぼそと呟いた。


「もういいんじゃないですか、こんな露天商の真似をしなくても? この街の代表者とは会うことが出来ました。商人のふりをするのは無意味でしょう」


「いや、まだだよ。まだ明確には『静観する』と返事を貰っていない。今晩もう一度会うまでは、この街を支配する貴族に疑われないようにするべきだ」


「でも、こうして身をさらしている方が危ないでしょう。僕の美貌もそうだけど、ダヴィ様も特殊な容姿なんですから、バレるかもしれません」


「特殊って……」


「来た」


 ダヴィが言い返そうとした時、一言呟いたノイが立ち上がった。手にはハンマーを持っている。


 その視線をたどると、シンたちが人ごみをかき分けて前に出てきた。そしてさやから剣を抜くと、周りの人々は一斉に恐れて離れた。ダヴィたちを取り囲むように、人垣が出来た。


 ダヴィとマセノも立ち上がった。マセノは剣を抜いたが、ダヴィは商人らしい虚飾の微笑みでシンに挨拶した。


「これはこれは、いきなり物騒ですね。そんな剣よりも、こちらの髪飾りの方がお似合いですよ」


「とぼけるな! ダヴィ=イスル、私の顔を忘れたとは言わせないぞ!」


「忘れてはいませんよ。ただ、今の俺は一介の商人です」


 と言いつつも、ダヴィは微笑みの色を変えた。眼光に鋭さが増す。たちまち威が備わる。シンは心の内でたじろぐも、声を張り上げる。


「お前がこの国で悪事を働こうとしているのは、百も承知だ。大人しくしろ!」


「アンジュ公、威勢は宜しいようですが、他の兵士の姿がありませんね」


「……すでにこの市場を包囲している」


 ダヴィは彼女の言葉を嘘と見抜いた。事前に調べた中でも、この街に貴族がいないことは確認している。彼は敵が二人しかいないことを理解して、作戦を立てた。


 そして対峙たいじするシンに、また微笑む。


「俺は本当に商売しに来ただけですよ」


「この期に及んで何を」


 睨むシンに、ダヴィはゆっくりと言った。自信に満ちた笑みで。


「この国を買いに来た」


「……なっ、なんだと!?」


 シンが驚くと同時に、ダヴィは周りで見る野次馬に対して大きく主張した。


「こいつらは盗賊だ! 俺たちの商品を奪いに来たんだ!」


「ふざけるな! 嘘をつくな!」


 しかしシンの反論は及ばず、周囲は騒ぎ出してシンに罵声を浴びさせた。自分たちが得られない高級品を盗ろうとすることへの反発があったのかもしれない。彼らは真偽も確かめず、見覚えのない自国の大将軍を罵る。ヨーゼフが「よく見ろ、馬鹿ども! 敵はあっちだ」と民衆を怒ったが、火に油を注いでしまい、罵り声はますます大きくなる。


「ノイ、マセノ、頼んだ」


 この状況を十分に観察したダヴィは、二人に命ずる。ノイはシンの前に、マセノはヨーゼフの前に立った。


「女性を相手に戦う気はないんだ。そっちは頼んだよ、大男」


「…………」


 ノイが黒光りする太い腕でハンマーを掴み、シンと対峙した。シンもさやから片刃剣を抜き、殺気を漲らせた。そしてノイに剣を向ける。


「貴様らを倒す!」


「……来い」

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