第17話『泥にまみれて』

 この時代、文明は城に依拠いきょしていた。城とは王侯貴族のためだけに存在しない。城壁の内側に住むことで定住民は社会を形成し、遊牧を行う異教徒たちと文字通り壁を作った。


 まだ危険な狼や熊が人里近くに跋扈していた時代である。荒野で孤立して住むことは死を意味した。そのため、城からの追放という罰は大きな意味を持ち、人々は城から出ていくことを酷く怖がった。郊外に住むのは賊などの罪人だけである。


 そして当然の結果、この時代の戦略は、城の奪取をメインとした。生活の拠点である城を奪ってしまえば、敵は郊外で生きていけず、降伏せざるをえない。それが常識だった。


 ところが驚くことに、ジョムニとダボットは、この世界の常識を打ち砕く戦略を立てた。


「質素な生活は慣れていると言いましたが、まさか穴倉で暮らすことになるとは思いもよりませんでしたわ」


とルツが木箱に座って、手を組んでため息をつく。彼女の呟きは、ひんやりとした土の壁に吸収される。


 ダヴィ軍は半年をかけて、ナポラ郊外の山中に多数の穴倉と小さな耕地を作り、生活の拠点を形成した。そして物資を運び込み、長期間戦うことが出来る“土の城”を築き上げた。木造の家や新たな城の建造を希望する者もいたが、発見される可能性が高いため、このような形にしたのだ。


 肩を落とするルツに、スールが反論する。


「あら、悪いことだけでもありませんわよ。こんなところで行う情事も乙なものですわよ」


「……相変わらず頭の中はピンク色に染まってますわね。他に考えることはないのですか」


「戦時はどうしても退屈になりますから。今晩は予定が埋まってしまいましたから、明日はいかが?」


「結構ですわ!」


と丸メガネを光らせるスールに対して、ルツが強く拒む。スールは「つれないこと」と含み笑いをしながら、視線を他に向ける。


「でも楽しんでいるのは、私だけではありませんわよ」


とスールが指摘した先に、エラが走り回っていた。民衆の子どもたちと遊んでいるようだ。どうやら新しい環境に興奮している様子で、金色の髪を振り回し、笑顔ではしゃいでいる。


 ルツは微笑みながら、決意する。


「あの笑顔は守らないといけませんわね」


「そうね。さて、男どもの調子はどうかしら」


 ――*――


 教皇軍の部隊が畑に囲まれた道を巡回している。案内役の農民を連れて、警戒している。


 周囲の小麦は晩夏の実りの時期を迎えていた。不思議に思った兵士が、案内役の初老の男に質問する。


「なあ、なんで収穫しないんだ?」


「男たちの多くが騙されて、ダヴィに付いて行っちまったから、収穫する人手が足りないんですよ」


「そうなのか。どうりで畑の状態も悪いはずだ」


と農民出身の兵士が感想を言う。彼の言う通り、小麦畑はしっかり整備されているとは言えず、生育も悪い。しかし収穫しないのは、農民としてこの上なく勿体ない気がする。


 こんな光景を見ていると、故郷の自分の畑のことを思い出す。


「俺たちの畑も収穫時期だろうな」


「ああ、きっとそっちも人手が足りていないはずだ」


「早く帰りてえな」


 そんな愚痴をこぼしていた時、周囲の畑が動いた。そこからダヴィ軍の兵士たちが飛び出してくる。


「うわっ、敵だ!」


と叫んだ時にはもう遅く、数十名の部隊はあっという間に取り囲まれる。


 そして次に畑から出てきたのは、アキレスとミュールだった。小麦の葉を全身につけている。


「うわあ! こいつらじゃねえか!」


「もうダメだ!」


 2人の顔は有名だ。教皇軍はすぐに戦意を喪失し、降伏した。地面に座らされ、武器と防具を奪われる。


「随分、簡単に降伏してくれたものだ」


「それだけ、俺たちの顔が売れたってことだな」


とミュールが調子よく話す。アキレスは小麦の葉を払い落としながら苦笑いを浮かべるも、こちらも少し嬉しそうだった。


 彼らの今回の行動のように、ダヴィ軍は多数の小部隊を編成し、城の外に出た教皇軍の部隊を攻撃している。教皇軍が油断し、少ない人数で行動しているところを叩くのだ。その攻撃は薄暗い山中や小麦畑など、敵の視界から隠れて行動している。いわゆる奇襲だ。


 そして攻撃を成功させると、すぐに退却する。このヒットアンドアウェイを繰り返すことで、敵の作戦を妨害し、敵の士気を下げるのである。


 この作戦は山賊の行動と全く変わらない。しかし大きく違うのが、地域の民衆の支持を得ているかどうかである。ダヴィと行動を共にしている者は勿論、ナポラに残った民衆のほとんどがダヴィに味方し、支援してくれている。実を言えば、彼らと一緒に捕まった案内役の男も、ダヴィの協力者で、ここまで教皇軍を連れてきたのだ。


 この作戦を、後世の言葉で、ゲリラ作戦と呼ぶ。


 武器と防具を集めていたアキレスたちに、教皇軍の指揮官が罵倒する。


「この、卑怯者!」


 アキレスは振り返り、彼に向き直る。彼は感情のまま、怒鳴り続ける。


「正々堂々と戦え! 太陽と聖女様を恐れるから、こんなことをするんだ。罰当たりめ! 月の国(地獄)に行くといい」


「それは……」


「なんだ、てめえ! つまんねえことぬかしていると、その喉斬り裂いてやろうか!」


とミュールがすごむと、慌てて「すみませんすみません」と謝る。ミュールはフンと鼻を鳴らすと、武器などを集め終わったことを確認して、捕まえた彼らに言う。


「てめえらを解放してやる! 帰ったら、親玉に言うんだな。もうちょっと頭を使って、行動しろってよ。ナポラをなめんな!」


 彼の言葉に弾かれるように、教皇軍の兵士たちは丸腰で一斉に逃げ出した。ダヴィ軍もすぐに山中の基地へと引き返す。


 その道中、黙っているアキレスに、ミュールが声をかける。


「なあ、さっきの言葉、気にしているのか」


「え? ああ、まあな……」


 アキレスは騎士だ。父のモランや兄のマクシミリアンから常に、聖女様に顔向けできない卑怯なことはするなと教えられてきた。そして父たちは敵の正面に立ち、いつも姿をさらして戦っていた。今のこの戦い方を見たら、彼らはどう言うだろうか。


 ミュールは手を頭の後ろで組んだ。


「騎士さまっていうのは面倒だな」


「言うな。その面倒さこそが誇りだったんだ」


「おい、ちょっと待てよ。今の俺たちに誇りはないって言うのか」


「いや、そうではないが……」


 ミュールは周りの兵士たちを見まわす。


「見ろよ、アキレス。教皇軍に勝つたびに、あいつら生き生きしているぜ」


 なあ、と呼びかけると、周りの兵士たちが笑顔で返す。彼らは元はナポラの農民たちだ。


「俺たちには俺たちの戦い方がある。騎士様には出来ない、農民の戦い方ってやつがよお」


「農民の戦い方か」


「アキレス、ダヴィ様が目指す世って、そういうもんじゃねえのか。貴族や騎士さまだけのもんじゃない。俺たち農民も活躍できる世界を作るのが目的って、前に言ってくれたぜ」


「そうだな、その通りだ」


「それなら、お前も変わんなくちゃな。俺たちと一緒に戦うことに慣れないと」


 ミュールは傷と土がついた顔で笑ってみせる。屈託のないその笑顔に、やましさは感じられない。


「泥にまみれろよ、アキレス。案外いいもんだぜ」


 アキレスは頭をポリポリとかく。耳周りを刈り上げた頭に、爽やかな森の風を感じた。


 ふと、頭に何かついていることに気が付いた。まだ払っていなかった、小麦の葉だ。


「……父上と兄上には、あの世で謝るとしよう」


と言ってみたが、彼らも許してくれるだろうと、アキレスは不思議と確信していた。

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