第51話『雪が降る頃 下』
ダヴィの妹たち、ルツとオリアナはとてもとても焦っていた。
彼女たちが兄の苦境を聞いたのは、父の屋敷があるクロス国においてである。ダヴィが籠城してから、かなり経ってからだった。
その一報を聞いた彼女たちの行動は早かった。
「行くわよ、オリアナ」
「うん」
姉妹は帽子をかぶり、きれいなドレスの上に毛皮のコートを着て、玄関へと向かった。すでに馬車は用意させてある。抜かりはないはずだ。
ところが玄関に行ってみると、細身の女性が仁王立ちで待っていた。
「お母さま……」
「…………」
「あなたたち、何をやっているの!」
彼女たちの母親、ミーシャ=イスルが金切り声を上げて彼女たちに迫る。整った顔を歪ませて怒る姿は、より一層相手に恐怖を与えた。
しかしルツは吊り上がった母親の目にも怯えず、母親に似た自分の茶色の長い髪を撫でて、しれっと言い訳をした。
「まだ何もしていませんわよ、お母さま。これから何かするかもしれませんけど」
「それがいけないと、分かっているでしょ! もう十一歳になるのに、こんなことも分からないの!?」
「あら? お兄さまに会いに行くのが悪いのですか?」
ミーシャはフンと鼻を鳴らす。そして羽毛で飾った扇子を取り出して、自分の顔に風を送った。ウェーブした長い茶髪の間で、目の中に軽蔑の意志が灯る。
「『お兄さま』? あなたたちに兄はいないわよ。あれは奴隷に落ちた男よ。いい加減忘れなさい」
「…………」
今まで黙っていたオリアナが一歩前に出た。体と一緒に、ストレートのセミロングの髪が、怒りで震える。
「オリアナ、よしなさい」
「ルツ……」
「あなたは怒ったら手がつけられないのよ。話がそこでお終いになってしまうわ。耐えて」
「だって……」
両者が睨み合いを続けていると、コツコツと大理石の床を歩く音が聞こえてきた。
三人が音の方へ振り向くと、中年の男性が近づいてきた。彼女たちの父、イサイ=イスルが眼鏡を直しながら、黙って間に入ってきた。
「何かあったのかい?」
「あなたもこの子たちを止めてちょうだい! この子たち、戦場に行こうとしているのよ!」
「お兄さまに会いに行くだけよ」
「会えるわけがないじゃないの! そもそもそれが無駄な行動よ。馬鹿らしい」
「うむ……」
イサイはあごひげを撫でて考える。そして二人の娘の頭を撫でた。二人は不満げに口をすぼめながらも大人しく撫でられている。
「ルツ、オリアナ、お前たちは優しい子だ」
「あなた!」
「ミーシャ、ちょっと待ってくれ。……でも、お母さんを心配させてはいけないよ」
父親にやさしく
「兄さまを助けたいの」
「下らない」
「ミーシャ! ……お前たちがあそこに行って、何ができる? 良くて、追い払われてお終いだよ」
「じゃあ、兄さまはどうなるの? お父さまが助けてくれるの?」
ルツも父親の目を真っすぐ見つめる。イサイは首を振った。
「待つんだ」
「待って、どうなるの?」
「待つしかないんだ。力のない者は、神様が決めた定めに従うしかない。神様に祈って、いいことが起きるのを待つんだよ。航海だってそうさ。いい風を待つんだ。自分で漕ごうとしても無駄になるからね」
貿易商らしい
後に残ったミーシャがぼそぼそと彼に声をかける。
「上手く言いくるめましたこと」
「普段から荒くれ者の船乗りを相手にしているんだ。子供なんてお茶の子さいさいだよ」
イサイは少し笑みを浮かべて眼鏡をかけ直した。
だが、残念ながら彼は思い違いをしていたといってよい。可愛い双子は船乗りよりも甘くなく、したたかであった。
帽子を放り投げ、ベッドに身体を投げ出し、二人は手をつないで考えを共有した。
「今回は失敗したわ」
「うん、今度はお母さまがいない時を狙う……」
次の週、そのまた次の週にも、彼女たちは強行しようとするのだ。
(やれやれ、誰に似たのだか)
彼女たちが飛び出そうとするたびに、ミーシャは金切り声を上げる。イサイはしばらくの間、深くため息をつく日々を過ごした。
――*――
各所で焦っている中でも、シャルルは冷静に、そして誰よりも焦っていた。冷たい雨が窓に打ち付けられ、それを暗い部屋から眺めていた。
もうすぐ雪が降る。あの城に多くの食料が残っているとは思えない。
この雨にあの子たちも凍えているのだろうか。遠くの黒い雲を見つめて、彼は頭を抱えた。
(まだか、まだなのか?!)
屋敷を飛び出して、ダヴィたちがこもる城へ駆け出したい気持ちを必死に抑える。今、シャルルだけでは助けられない。さらにはルイたちが血まなこになってレオポルトを探している以上、この屋敷を離れるわけにはいかなかった。国内世論が過激になりつつあるのも、彼の仕業と感づかれている気配を感じる。
身動きできない。力のない自分がもどかしい。湿気以上に、気持ちの落ち込みで、金の髪がじとりと垂れる。
その時、廊下を走ってくる音が聞こえた。部屋の扉が勢いよく開くと、モランが飛び込んできた。
「シャルル様! ソイル国が動きました!」
「やっとか!」
モランが差し出した、ソイル国にいる密偵からの手紙を奪うように取り、彼は丹念に読み進める。そして手紙を破り捨てた。
「レオポルトを連れてこい」
屋敷の地下に捕らわれていたレオポルトが、シャルルの前に引き出される。地面に転がる彼はシャルルの姿を認めると、自分の身体を抱えてひどく震えた。頬はこけ、髪には白髪が大量に混じっている。
彼は恐る恐るシャルルに尋ねる。
「な、なにか用かね?!」
いまだに人の上に立とうとする彼の言葉遣いに、傍にいたモランが鼻を鳴らして見下した。あれほど綺麗に着飾っていた衣装は、黒ずんてしまった。
シャルルもまた見下しながら、彼に伝える。
「レオポルト、お前が役に立つ時が来た」
その冷たい目に、レオポルトは再び震えだす。そしてシャルルの足をつかんで、鼻水を垂らしながら懇願する。
「頼む! これ以上、ひどいことは止めてくれ! 何でもするから」
「大丈夫だ。これで最後だ」
「ほんとうか! やっと……」
言い終わる前に、レオポルトの首筋から血が噴き出した。シャルルの手には血に濡れた剣があった。レオポルトは首筋を押えながら、目を丸くしている。
「な? あ?」
「これで楽になれるぞ」
シャルルは大きく剣を振りかぶり、逃げようと這っていく彼の首を正確に刎ねた。血を噴射させながら、首が部屋の隅へ転がっていった。服は勿論、シャルルの長い髪や白い肌に血が付いた。
モランはシャルルの行動に唖然とした。
「シャルル様、ここで殺さなくても」
服を血まみれにしたシャルルが、暗い目をモランに向けた。だが次の瞬間、アッとおどけながら自嘲した。
「おっと、しまった! やれやれ、俺らしくもない。服も
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないよ。この服もお気に入りだったのになあ」
白い顔に付いた血を拭う。次の瞬間には、普段の自信たっぷりな笑顔に戻っていた。
「モラン、その首をやつに送れ。手紙は用意してある」
「はっ、早速」
「早くしろよ。その分、君の息子も早く助かる」
モランがぼさぼさの髪の毛を鷲づかみにして、レオポルトの首を持っていった。彼の死に顔は恐怖で歪んでいた。走っていくモランを見送りながら、シャルルは汚れた上着を脱ぎ捨てる。
彼の代わりに、一人の騎士が駆け込んできた。
「シャルル様! 触れに賛同した群衆が集まってきています!」
「すぐに行く。彼らに渡す防具と武器を準備しておけ」
いい返事を残して騎士は去った。シャルルはグッと伸びをする。
「やれやれ、俺も準備するか」
遠くの空の下にいるダヴィたちを思う。窓から見通す限り、雨脚は弱くなっていた。
「待っていろよ。すぐに助けに行ってやる。それまで持ちこたてくれ」
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