第52話『最後の日』

 雪雲が空を覆う。あと少ししか残っていない食糧の配給を切り詰めて乗り越えてきたが、それでもあと数日分しか残っていなかった。唯一の楽しみである食事の時間にも、悲壮感ひそうかんただよう。


 城壁の上で立っている者以外は、地面に座り込んでいた。立って歩く元気がなく、頭や肩に振った雪が付いても払うこともしない。腹を空かせて、全く物足りない量の食事を待つだけである。


 彼らがいまだに籠城を続けているのは、ウォーター国への忠誠でも、ダヴィへの信頼でもない。ただの惰性である。長い間、必死に戦ってきたことを無駄にしたくない。


 彼らはただ、この籠城戦からの解放を待っていた。死を含めて。


 その中でも、積極的に解放されようとする集団が現れた。


「ここだ」


 七人の兵士たちが各々武器を持って、深夜、コソコソと城内を歩いていた。地面につもる雪で薄明るい中を見つからないように、小屋と小屋の間の陰を渡り歩く。やせた細い体に、目だけがギラギラと血走る。


 そして一軒の小屋の前に立つ。ダヴィが寝泊まりしている小屋だ。


「許して下せえよ、ダヴィ様。あんたの首を持っていけば、俺たちは助かるんだ」


 彼らは武器を振り上げ、木製の薄い扉を叩き壊そうと構えた。


 その時、後ろから声がかかる。太った小さい影と細い大きな影が現れる。


「そうはさせねえ」


「んだ」


 ライルとスコットが猫を思わす俊敏しゅんびんさで、彼らのうち二人の後頭部を殴りつけた。昏倒こんとうする兵士たちを見て、他の五人が目をむいた。


「てめえら! 卑怯だぞ!」


「闇討ちしようとしているやつに言われたきゃねえよ」


「おいらたちは、盗賊だぞ! ひきょうでケッコウ、コケコッコウだ」


「相変わらず下らねえな、スコット」


 相方に苦笑いを浮かべるライルに、一人の兵士が誘いをかける。


「おい、お前らも加わらないか? この中で寝ている若い騎士を殺して降伏すれば、恩賞が貰えるかもしれねえ」


「バカだなあ、おめえらはよ」


 ライルはにやりと笑って、提案を一蹴した。


「目先の利益にくらんで、自分の誇りを忘れちまうような、ライル様じゃねえぜ! おとといきやがれ!」


「でも、この前はそうしようって」


「だー! もう! おめえがいると、決まらねえな!」


 ライルの言葉を聞いて、お互いの目に殺気がこもる。兵士の一人が強がる。


「五対二じゃ、こっちの方が有利だぞ」


「いや、五対四さ」


 暗がりから、二人の少年・マクシミリアンとジョルジュが出てきた。二人とも足を引きずりながら、剣を構える。


「あ、あんたたちは、怪我して寝ていたんじゃ」


「寝てばっかりじゃ、体がなまっちまうからな」


「ダヴィだけに負担をかけられません。彼は僕らが守ります!」


 マクシミリアンは剣の柄を包帯でぐるぐる巻きにして、自分の手に固定している。包帯まみれの二人は見るからに痛々しいが、眼には闘志がこもっていた。


 数はまだ多いはずなのに、やっていることの後ろめたさからか、五人はじりじりと後ずさる。


 そんな時、彼らの後ろで扉が開いた。


「そこまでだ、みんな」


「ダヴィ!」


「ダンナ、ここはあぶねえですよ!」


 鎧を着ていないダヴィが出てくる。自然体な姿。その姿に、五人は余計に気圧けおされる。


 彼は五人を見て、こう言った。


「殺したいなら、殺されてもいい」


「ダヴィ! なにを!?」


「ダンナ!」


「それでみんなが助かるなら、そうすればいい」


 五人はお互いに顔を見合わせた。しかし目の前の無防備な少年に、武器を向ける者はいない。彼は目をオロオロと動かしながら、戸惑っていた。


 ダヴィは一喝する。


「皆を必ず助ける自信があるなら、僕を殺せ! 自分の判断に責任を持て!」


「…………すみませんでした」


 五人は武器を捨てて、土下座をした。ライルがすぐにその武器を拾おうとしたが、ダヴィがそれを制した。


「今回は不問とする。武器を拾って持ち場に戻ってくれ」


 すごすごとその場を後にする五人と、彼らに運ばれる昏倒こんとうした二人を見送り、ライルが唾を吐いた。


「優しすぎますなあ」


「……自分でも、僕を殺しに来たかもしれない。そんな気がするんだ」


 うつむくダヴィの肩を、マクシミリアンがよたよたと近寄って叩いた。


「なに馬鹿なことを言っているんだよ! お前が弱気になってどうするんだ!」


「マクシミリアン……」


「シャルル様は必ず助けに来る! そう信じろよ!」


 ダヴィは小さく頷いた。ジョルジュは一緒に助けに来たライルとスコットに話しかける。


「君たちがダヴィを助けるなんて、意外だな。こんな状況では恩賞は望めないぞ」


「柄にもねえことですが、こいつがどうしてもって」


「ダヴィ様についていけば、大丈夫って思ったんだ。これからも」


「これからも?」


 スコットの発言に、ダヴィたちは首をかしげる。ライルは頭をかきながら説明した。


「こいつは馬鹿ですが、勘は人一倍良いもんで。まあ、盗賊の鼻ってやつが利いたんですよ。あっしらはダンナに賭けると決めました」


 元盗賊たちの申し出を素直に信じていいものか。マクシミリアンとジョルジュは顔を見合わせ、ダヴィはたじろいだ。


 この時は分からなかったが、彼らの発言が嘘ではないことは、ダヴィの伝記でも、彼ら個人の伝記でも証明されることになる。ダヴィにとって最初の部下は、この盗賊出身の男二人になるとは、歴史の妙といっていいだろう。


 彼らの気持ちを汲み取って、ライルが言葉をつなぐ。


「まあ、信じられねえのも無理はねえ。ともかく、ここは力を合わせて、この戦いを生き残らねえと」


「んだんだ」


「そ、そうだな」


「ダヴィ、僕たちも頑張ってあなたを支えます。だから、しっかりしてください」


 四人に見つめられて、ダヴィは頷いた。目が熱くなる。


「……ダヴィ様」


 その時、ふらふらと一人の兵士が現れた。その様子をみんながいぶかしがる。


 兵士は震える指で、外を示した。


「ダヴィ様……敵が……消えていきます!」


「なに?!」


 ダヴィたちは急いで城壁の上に登った。雪が降る視界に目を凝らし、ファルム軍がいるはずの山下の暗い大地を眺める。


「おお!」


「去っていくぞ!」


 遠くの平原を埋め尽くしていた炬火が、一列になって東へと去っていく。光の道が月明かりのない暗い夜に浮かび上がっていた。


 次々と兵士たちが城壁に登り、ダヴィたちと共にその行方を見つめていた。


 やがて、あちこちから声がもれ出す。


「勝った、のか?」


「助かったんだ……」


「帰れるぞ!」


 しばらく経つと、疑問の声は歓声へと変わり、この籠城戦で苦しんだもの同士が抱き合う。ガチャガチャと鎧がぶつかり合う音がこだました。


 皆笑い、皆泣いていた。


 ダヴィもマクシミリアンとジョルジュと抱き合った後、少し冷静になって指示を出した。


「もしかしたら偽って撤退したのかもしれない。誰か、城門を出てファルム軍の様子を探て来てくれ。それからでも帰るのは遅くない」


「ダヴィ様! 城門前に誰かいます!」


「え?」


 ダヴィは城壁の上から城門前を見た。そこには馬に乗った男が開門を待っていた。


 その顔に見覚えがあった。


「あれは、モラン様!」

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