第七章 伝説の男

第0話『吟遊詩人の思い』

 こいつと飯を食うのは、何度目だろうか、とルーディは思った。


 店が終わった後のまかない飯。余り物でしつらえた贅沢ぜいたくとは決して言えない食事を、目の前で音を立てずに、吟遊詩人が口に運ぶ。店主のルーディでも「飽きた」と言ってしまいたくなる食事を、何の文句も言わずに食べている。


 消えかかったロウソクの明かりの中で、静かになった店に二人、向かい合わせで座る。暖炉の火も小さくなり、冬の冷たさがガタついた窓の隙間から侵入する。


「今日も盛況だったな」


 とルーディが自分の髭面をポリポリかきながら、この静けさにいたたまれずに話し始める。詩人は目深にかぶる帽子の下から、同意ととれる笑みを浮かべた。(話を繋いでくれよ)と思いつつ、ルーディは仕方なく自分で続きを話す。


「こんな寒い夜なのに、店の外まで客があふれていやがった」


 今日も吟遊詩人の話を聞こうと、大勢の客がこの店に訪れたのだった。連日連夜の大賑わいに、店の酒や食事の在庫は毎日切れ、営業の途中で買い出しに走らないといけないこともしばしばだ。嬉しい悲鳴が、忙しい厨房の中で響く。


 全て、この吟遊詩人のおかげだ。


「なあ、その芸はどこで覚えたんだ。そもそもあんた、どこの出身なんだよ」


 と疑問を口にしても、目の前の詩人は薄っすら笑うだけだ。ルーディはその度に背筋に冷たいものが流れる。食事しているところ以外、人間らしさを感じられない。トイレに行くことも雑談をする姿も見れない。


 一回、気になって、詩人が泊まる部屋を覗いたことがあった。扉の隙間から覗こうとした時、耳元で男とも女ともつかない声が囁く。


『何か御用ですか』


 ルーディが飛び上がって、床に尻もちをついた。バンダナがずれて、彼の坊主頭があらわになる。


 その様子を、詩人はクックと笑っていた。つばの広い帽子の下から、白い髪が見えたことを思い出す。


 それから、詩人の正体を調べようとは、ルーディは決してしない。金の卵を産むニワトリに不快さを与えて逃げられては、目も当てられない。


 黙ってやらせておくのが良いのだろう。それでもルーディは、雇い主としての威厳を見せようとした。


「『黒円の大乱』を全部やりやがったな」


 詩人の持つスプーンがピクリと動く。ルーディはそれに気が付かないふりをして、フォークでむしゃむしゃと肉を頬張った。


「あんまり創世王が活躍しない話をするなよ。皆が期待しているのは、ダヴィ王とその仲間がカッコよく、敵に勝つ場面だぜ。創世王の婚約者が無残に死ぬシーンなんて語りやがって、ひやひやしたぜ。あの日は酒が売れなかったんだ」


「…………」


「それから盛り返して、教皇ぶったおして大団円だけどな、これからハリスが登場してくるんだろ。ハリスのシーンは短めにしてさ、ダヴィ王の活躍シーンを増やして、客を盛り上げてくれよ」


「それは出来ない」


 とハッキリと詩人は言った。驚いてフォークを宙で止めたルーディに、詩人は語りかける。


「創世王・ダヴィ=イスルの生涯は、困難と辛苦の連続であった。栄光は歴史の中で語られるが、彼は喜悦にひたる暇すら与えられなかった」


「与えられなかったって、変な言い方だな。聖女様がそうしたってことか?」


「…………」


 詩人は笑った。聞いたことが無い声で、高らかに笑った。風がくような、鳥がざわめくような、“人ならざる”声で笑う。


 フォークを取り落としたルーディに対して、詩人は笑いを収めて再び語る。


「それは全て、彼の判断なり」


「ダヴィ王の判断?」


「彼が決めて、自らいばらの道に入っていった。吾はそれを語りたい。いかにしてその道を選び、そして傷つきながら、それでも突き進んでいったダヴィとその部下の姿を」


 詩人はスプーンを置く。いつの間にか、皿は空になっていた。立ち上がり、二階の自室へと戻ろうとする。


「ま、まってくれ!」


 ルーディが呼び止める。振り返る詩人に、彼は聞いた。


「それを語りたいだけなのか? それならなぜこの店を選んだ。お前の目的はなんだ?」


 詩人は答える。


「吾はダヴィと約束した。彼らの生き抜いた姿を、苦しむ人々の糧となるように、語り続けると」


「約束……」


 そんな話を信じられるわけがない。数百年前の人物と約束なんて出来るはずがない。ルーディは先日までそう思っていたが、詩人の澱みのない言い方に、思いが変わる。


「お前は一体……」


 詩人は何も言わず、階段を昇っていった。ルーディは追うことが出来なかった。


 冬の厚い雲間から顔を出す月が、明かりを増したことを、彼は気づかない。


 ――*――


 今日も超満員。ルーディが営む酒場「リズプールの止まり木」に、街中の人が押し寄せる。炭鉱夫やその家族を中心に、老若男女が酒や食事を口に運びながら、ガヤガヤと騒ぐ。


 しばらくして、吟遊詩人がギターを持って登場すると、夜を壊す拍手が鳴った。それから彼らは口をつぐみ、物音一つ立てず、詩人の姿をジッと見つめる。


 詩人は椅子に座り、ギターの調子を合わせる。そして今日も、観衆に口上を伝える。


 ダヴィの物語のページを、今日もめくろう。


「教皇・アレクサンダー6世を倒し、ダヴィ=イスルは二国を統べる王となりました。しかし彼の前に、新たな男が立ちふさがります。その男の名はハリス=イコン。別名『聖女の子』もしくは『悪魔の子』と呼ばれた男でした……」

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