第54話『少年たちの凱旋』
ダヴィたちが首都・パランに帰ってきたのは、新年が迫る頃であった。
シャルル率いる義勇軍が城門をくぐると、沿道に大集結していた民衆が、一斉に歓声を上げだした。その声の大きさは、ダヴィたちが鳥肌を立てるほどだ。
冬の雲一つない青空の下で、誰が作ったのか、色とりどりの紙吹雪が空を舞っている。
「うわっ! すげえ!」
「まるで英雄ですね!」
彼らは勝ったわけではない。義勇軍に至っては戦闘すらしていない。
しかし『ファルム軍を追い払って、ダヴィたちを助けた』夢物語が、彼らを熱狂させていた。この歓声の対象は、ダヴィたちではなく、義勇軍である。
伝記によれば、この時もダヴィの名は世間に知られなかった。もっとも、十五歳の少年が五百人を指揮して城を守り通したと、誰が信じるだろうか。
「シャルル様!」
「シャルル王子! 万歳!」
その代わりに名声を得たのは、シャルルである。義勇軍を集めた張本人である彼は、民衆のヒーローと称えられた。それがダヴィたちには何よりもうれしかった。ダヴィも、ようやく自力で馬に乗れるまで回復したマクシミリアンたちも、怪我した痛みを忘れてはしゃぎながら、馬に乗りながら民に手を振っていた。
トリシャは待っていた。
沿道の民衆の中に彼女だけではなく、サーカス団全員が集まっていた。この素晴らしい状況を作り出したのは、自分たちなのだと、全員が誇らしそうに表情をほころばせている。
彼女を除いて。
「ほら、トリシャ、いたよ!」
「あっ!」
キョロキョロと心配そうに探していたトリシャの視線が、一か所に集まる。馬に乗ったダヴィが周囲に手を振っていた。少しやせて、頬が薄くなっている。
(大きい)
これは彼が馬に乗っているからだけだろうか。彼女には彼が以前よりも大きく見えた。鎧姿が似合って見える彼を、少し遠く感じてしまう。
彼もこちらに気づいた。馬を飛び降りて、サーカス団の下へ駆け寄ってくる。
「ただいま! みんな!」
「ダヴィ!」
「まったく、心配させやがって!」
全員が満面の笑みで彼を迎えて、もみくちゃにした。ミケロもビンスも笑いながら、彼の頭を乱暴に撫でまわす。ダヴィも満面の笑みで、甘んじてそれを受け入れていた。
ロミーも笑顔で迎えた。
「よく頑張ったね」
「団長……」
「あんたを助けるために、こちとら大変だったんだよ。これからビシバシ働いてもらうからね! ……さ、トリシャ、あんたの番だよ」
バシッと背中を叩かれて押し出されたトリシャが、ダヴィの目の前に来た。
(あれ? なんで?)
自分でも不思議に思ってしまう。彼女は彼の顔を真正面に見ることが出来ず、手をもじもじと動かして
やっと、声が出る。
「ダヴィ……久しぶり……あ」
トリシャの視界から彼が消えた。ダヴィはなにか言う前に、彼女を抱きしめていた。
彼女の金色の髪がかかる肩に、顔をうずめる。彼の耳の金の輪が彼女の肌に触れる。背中に手を回される。
周りからヒューヒューとはやし立てられる。遠くから「ダヴィ、このやろう!」とビンスが怒る声が聞こえた。
息を止めていたらしい。彼女が呼吸を始めると、だいぶ風呂に入っていないダヴィの体臭を強烈に嗅いだ。
だが、それを嫌と感じなかった。
背中に回された腕の力強さを、彼の体温を、彼女は全身で受け止めていた。
「トリシャ、ただいま。会いたかった」
耳元で彼の言葉を聞く。脳がしびれる。自分の反応に、彼女は戸惑いを隠せなかった。
やっと、言葉を絞り出す。
「あ、あんたね……心配させたら、だめじゃないの……」
「…………」
ダヴィは抱きしめていた腕を緩めて、彼女の肩に手を置いて、ジロジロと見つめた。不思議そうな表情で。
彼の顔を正面に見てしまう。頬がこけて、大人びて見える。
「な、なによ」
「トリシャ」
彼が顔を近づける。それだけでトリシャは緊張して、体をこわばらせる。
そして彼は笑った。
「越えたよ」
「え?」
「トリシャの身長、越えちゃった」
ほら、とダヴィは、自分とトリシャの頭の先を交互に手で比べてみせた。そして嬉しそうに笑う。
トリシャの心臓がはねた。見慣れていたはずの笑顔が、彼女に熱をもたらす。
「じゃあ、行かないと! またね、みんな!」
ダヴィは手を振りながら隊列に戻っていった。サーカス団は再び笑顔でそれを見送った。
取り残されたトリシャが、ブツブツと呟く。顔を真っ赤にしながら。
「……気づいちゃった」
「うん?」
「気づいちゃったよ、あたし。ああ……」
彼女の耳まで赤く染まっていた。トリシャは両手で顔を覆い、身もだえている。
隣にいたロミーだけが、彼女の様子に気が付いた。ニヤニヤとしながら、女になっていく彼女の肩をポンと叩いた。
「またグラタンを作ってやるのだろう? 買い出しに行かないとね」
トリシャは顔を隠しながら、小さく頷いた。もう、ごまかせない。鼓動の高鳴りが、彼女に本当の気持ちをつきつける。
弟だと思っていた。でも彼は、自分の愛する男となってしまった。
――*――
新年まで一週間をきった頃、マクシミリアンとジョルジュはマザールの家を掃除していた。傷はまだ癒えていなかったが、包帯を埃で汚しながら、大量の本を退かした室内をせっせと拭いている。
ウォーター国では年末に大掃除をする風習がある。部屋も体も清らかにして、大陸西の海に沈む今年最後の太陽を見送り、今年と来年をつなぐ月に祈るのである。これは貴族民衆関係なく行われ、今頃は国王もシャルルも掃除しているに違いない。
彼らは自分たちの部屋を掃除し終えて、マザールのところへ手伝いに来たのであった。老夫婦だけでは部屋の壁を覆い隠すほどの量の本を片付けられないと思い、駆け付けたのだ。父親であるアルマとモランも了承した。
そんな大忙しのマザールの家に、二つの小さな影が訪れた。馬車を飛び降りて、家の中に駆け込む。茶色のウェーブのロングヘアとストレートのロングヘアが、家中に呼びかける。
「お兄さま! いらっしゃいますか!」
「兄さま、どこ……?」
やれやれと、二人が掃除の手を止めて、
「分かるだろ、今忙しいんだ。後にしてくれ」
払う手が包帯で覆われていて、何本か指が無いとすぐに分かる。ルツはドキッとしたが、気を取り直して居場所を聞く。
「やっと助かったって聞いたから来たのに! どこなのですか?!」
「答えて……」
ちょうどその時、玄関から廊下を歩いてくる音が聞こえた。
「お兄ちゃん、新しい雑巾を持ってきたけど……わっ!」
「きゃ!」
クロエが大量の雑巾を抱えて部屋に入ってきたが、前が見えなかった。その死角にいたルツとぶつかってしまった。二人ともしりもちをつく。
ルツはオリアナに引き上げられながら、
「いったー……ダレですか?!」
今日も双子は、柔らかそうな上質のドレスを身にまとっている。伸びた髪もきれいに整っている。クロエはそれを見て、彼女たちが貴族と勘違いして、慌てて頭を下げた。
「クロエ=リシュです! 大変失礼しました」
「クロエ、大丈夫だよ。二人はダヴィの妹たちさ。年下だよ」
「え? ダヴィ様の?」
クロエは先ほど以上に緊張した。ここで気に入られておけば、“もしかしたら”があるかもしれない。
彼女は着ていたメイド服を整え、咳払いをして姿勢を正した。そしてふてくされるルツに、精一杯の笑みを向けた。
「あなたたちのお兄さまと、いつも仲良くしてもらっています。これから末永くよろしくね」
「ふーん」
ルツはクロエの顔をじっと見て、それから下に視線をずらした。フンッと鼻を鳴らす。
「ぺちゃぱいに用はないわ」
「ぺ、ぺちゃ……!」
「年上のくせに、私より小さいじゃないの。ぺったんこメイドはどうでもいいの。お兄さまはどこ?!」
確かにと、クロエはルツのドレスに隠れたふくらみが、自分のより大きいことを認めた。
クロエが
「そして、私の方がルツよりも大きい」
「はう」
クロエは膝から崩れ落ち、床に手をついてうなだれた。その様子を、兄のジョルジュとマクシミリアンは言葉なく見つめるしかない。
そんな状況の中で、マザールがゆっくりと部屋に現れた。数年前には考えられなかった寛容さで、小さな乱入者たちに語りかけた。
「君たちのお兄さんは北に向かったぞ」
「北?」
「……お仕事で?」
「そうじゃ」
少女たちはお互いに顔を見合わせて、そして同時に頷いた。
「じゃあ、そこに行くわ。どこ?」
マザールは意地悪そうに笑う。ダヴィの学友たちも顔を見合わせて、肩をすくめる。
自分の髭を撫でながら、マザールは答えた。
「行くのは無理じゃろうな。なにせ、ソイル国じゃから」
聞きなれない国名が出て、彼女たちはまた顔を見合わせる。しかし、すぐに気が付いて、二人同時に(ほとんどルツの声だったが)叫んだ。
「「ソイル国?!」」
第一章 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます