第7話 一人寂しく


 買い物を終えて再び森の中に入った隆也は、本日の寝床、ではなく、死に場所になるところを求めて彷徨っていた。


 お金はまだ残っているので、宿をとるなりしてもよかったが、ベッドの上で死なれでもしたら、宿主にものすごく迷惑かかるだろう。この世界に未練はないし怨念を残すつもりもないが、死んだ先で悪霊と化す可能性だってゼロではない。


「死んだ後のことなんて、死んだ後の世界の連中に任せりゃいいのに……本当、俺って何なんだろう」


 ということで、隆也の中で、野宿をすることは決定事項だった。


 真っ暗闇に包まれている森の道なき道を、隆也は進んでいく。辺りはもちろん静寂に包まれており、時折遠くから鳥なのか何なのかわからない鳴き声が響くだけだが、夜行性の肉食獣や、もしくは現地の野盗などがいるとも限らない。


 できるだけ静かに草木を踏みしめながらあてもなく歩いたところで、ふと、それまでずっと真っ暗だったはずの視界の先に、ふと、仄白い明かりが浮かんだのを捉えた。


 吸い寄せられるようにして、隆也がその場所へ近づいていった。


「……お、この場所、けっこういいかも」


 彼の前に姿を現したのは、月のほのかな光を浴びて輝いているように見える巨石だった。無秩序に自生する植物が周辺を分厚く覆っているはずが、その石の周辺だけは原っぱほどの草しか生えておらず、まるで小高い丘の上にでも来たのかと錯覚するほどだった。


 ということで、隆也は、すぐにその石の傍にいって腰を下ろした。


 最後の晩餐には、まあ、それなりにふさわしいところだろう。


「お酒……せっかくだからってことで衝動買いしちゃったけど、よかったのかな」


 一升ほどの量が入る大きさのガラス瓶、その中で揺れる紫色の液体を見つつ、小心者の隆也は気まずそうに一人呟いた。


 元の世界では禁止されている未成年飲酒。こちらの世界の法律でそこのところどうなっているかは知らないが、


「って、そんなこともうどうでもいいか」


 言って、隆也はそのまま瓶に直接口をつけていっきに中の葡萄酒らしきものを流し込んだ。


 自ら死を選ぼうが選ぶまいが、隆也は死ぬ。元の世界には戻れず、たった一人でその生涯を閉じるのだ。


 初めて喉を通るアルコールの感触。


 口に入れた瞬間、まず隆也が感じたのは猛烈な渋みだった。葡萄、というぐらいだから甘いのだろうと思っていたが、そんなことは全然ない。


 それと同時に喉が焼けるような感覚が襲う。


 異世界で初めて味わうの酒は、とてもほろ苦い。


「! ごほっ……えほっ……なんだよこれぇっ」


 耐え切れなくなった隆也は、むせるようにして酒を吐き出した。


 こんなものを『美味い美味い』と有難がって飲むとは、大人って味覚が壊れてるんじゃないかと毒づき、隆也は、別にとっておいた水で口をゆすいだ。


「でも、そのまま捨てるもの勿体ないし……食べ物でもつまみながら、ゆっくり飲むとするか」


 酒以外にも買っておいた調理済みの食べ物を下に広げ、隆也の一人ぼっちの最後の晩餐は幕を開けた。


 × × ×


 ――ようし、修学旅行の班決めは……って、おい名上、お前はどこの班に入るんだ? 後はお前だけなんだから、どこか入りたいところの班にお願いしろ。


 自分の名前だけ仲間外れになっている黒板の前で、隆也は担任から無慈悲な追い打ちを喰らっていた。


 修学旅行は、大抵、班別で行動をするのが常であり、宿泊先の部屋割りなどもこれを元に決められる。

 

 黒板にはすでに四人~五人のグループが作られていて、すでに自由行動をどうするかについてあれやこれやと話し合いがなされている最中である。


 一人で単独行動は認められていないから、別に適当なところに入れさせてもらえばそれでいいのだが、しかし、クラスの誰からともなく発せられた言葉に、隆也の体は硬直してしまったのである。


 ――俺らのところに来るんじゃねえよ、邪魔だよ。


 そんなのは隆也自身だってわかっている。せっかく仲良しこよしでより集まって形成したグループなのに、その中に異物が放り込まれようものなら、それだけで空気が台無しになる。


 一度きりしかない仲間との思い出を汚されたくないと思うのは、当然のことだ。

 

 ――おい、誰だ? そんなこと言ったのは。名上がいる前で……ひどいじゃないか。


 すぐさま委員長の明人が立ち上がり咎めるも、


 ――じゃあ、お前のところで面倒見てやれよ。

 

 という言葉に、明人の顔も強張ってしまう。


 明人とて、クラスの『異物』である隆也に気を使いながらの旅行などゴメンだろう。だが、だからといって、このままという訳にもいかない。


 他のメンバーに『ごめん、ごめん』と謝った後、明人は、隆也のほうへ白々しく手を差し伸べた。


 ――名上、俺達の班に、名前入れておけよ。


 明人の班に名前を書き入れた隆也の手は、溢れそうになる涙をこらえるために、ずっと小刻みに震えていた。


 × × ×


「……夢、か」


 やさしい月光が瞼の隙間に入り込んだところで、隆也は意識を取り戻した。


 周囲には、食べ散らかした料理と、そして、まずいまずいと思いながらも結局は空にした葡萄酒の空き瓶が転がっている。


 どうやら飲み過ぎたようでそのままダウンしてしまったようだ。


 未だ月が空に浮かんでいるのを見る限り、どうやらまだ夜は明けていないらしい。


 こんなにも目立つ場所で、貴重品などを投げ出してぐうすかと寝入っていたわりには、特に襲われたような形跡もない。


「まったく……なんて夢みさせやがるんだよ。改めて、よくあの時の俺、泣かずに堪えられたな」


 明人がいい子ちゃんの皮を被っていてくれたおかげで、何とか被害は食い止められてたものの、あれがなければ、クラスは阿鼻叫喚の地獄と化していただろう。


 なんで、私たちが。俺達が。お前らの所が面倒みればいいだろう。どうしてあんなキモいヤツを仲間に入れなきゃならないのか――担任も困惑するような仲間割れが、隆也一人を原因として起こるはずだったのだから。


「でも、そんな地獄、もうこれで終わりだ」


 今も両頬を伝う大粒の涙を拭いながら、隆也は、勢いにまかせて、リュックから取り出した相棒ナイフを手首に当て、そして思い切り力を入れて引ききった。


 手首からゆっくり流れ出る暖かいものを感じながら、隆也は石碑の傍で、ごろんと大の字に寝転がった。


 再び、強烈な眠気が、隆也を襲う。


「さようなら、クソみたいなオレの人生。次があるなら、今度はマシな人生を歩ませてくれると嬉しいよ」


 徐々に重くなる瞼についに耐え切れなくなった隆也はそのまま目を閉じた。


 ようやく、この地獄のような日々から解放される――そう思いつつ、暗闇の中へと誘われて行こうとする隆也。

 

 しかし、


「――お~い、おっは~! 大丈夫ですか~? おっは~??」


 その直前、見知らぬ女性の声で呼びかけられた瞬間、再び隆也の意識は光の中へと呼び戻されたのである。


 死にたくないときは死ねというのに、いざ死のうとなった時には、死ぬなと言う。


「まったく、世界って本当に勝手なヤツだな……」


 隆也は、笑いながらそう思ったのだった。

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