第162話 持ち主の条件 1


「――な、なんということだ……まさか、こんなことが」


 翌朝になって起こった外の変化に、まず驚いたのはフジだった。


 住んでいる人々をまるごと凍らせんとばかりに、毎日毎日吹き荒れていた雪が、嘘のように止んでいて、極めつけは、分厚いながらも、そのほんのわずかな隙間よりきらめく陽光。


「昨日、こそこそ何かをやっていたのは知っていたが……タカヤ殿、まさか、これはあなたの……」


 その事実を告げるべく早朝から起きていた隆也が頷いた。


「ええ。月花一輪……いえ、『彼女』とある取引をしまして。少なくとも、これ以上彼女がこの島にいる理由はなくなりました」


 今まで瀕死の状態を続けていた月花一輪だったが、隆也の魔力がよっぽど体になじんだようで、島の地脈を流れる魔力や、巫女からの魔力供給は必要なくなったらしい。


 ちなみに、あの刀の名前は『ゲッカ』ということになった。彼女はいつの間にか隆也のことを自分の主として認識していて、『私に名前を付けてください』と、頼まれたのである。


「俺がここを後にする頃には、今の雲も完全に晴れるようです。良かったですね。これで、昔のシマズに戻りますよ」


「なんと……我々がどれだけの年月をかけても、維持が精いっぱいだったことを、たった、一夜にして……」


 それまで朝の光を拝んでいたフジの瞳が、隆也のほうに向く。皮膚が垂れて細くなった目が大開きになるほどの驚きだった。


 感謝されているのではないことは、すぐにわかった。


 半開きになった口がぱくぱくと動いている。彼女が言いたいことは、隆也にもなんとなく予想できた。


『お前は本当に人間なのか?』――


 隆也は自分のことをれっきとした人間だと思っているが、この世界の人々にとってみれば、『賢者』などと同じ部類に入るのかもしれない。


 様々に枝分かれする生産と加工のスキル。そのすべてを極めることができる、レベルⅨ。

 

 魔力錬成、そして置き換え技能。これができるようになって、いよいよ素材すらいらなくなりつつある。いよいよ、反則じみている。


 本当の意味での創造者――こちら側へようこそ、といったいつかの師匠の言葉が脳裏に浮かんでいた。


「アカネさん……アカネさんは、俺のこと、どう思ってます?」


「っ……」


 隆也は、二人の後ろで黙っていたアカネに声をかけた。


 月守の巫女――月花一輪に魔力を供給し続け、シマズが完全に氷漬けになるのを防ぐ仕事は、隆也のおかげで完全にお役御免である。


 もう、何も悩む必要はない。


 にもかかわらず、アカネの顔が一向に晴れることはなかった。


「すごいな……お前は、本当に、すごいよ。館に来た頃は、本当にただの甘ったれだったのに、みるみるうちにたくましく成長して、そして、ついには私たち一族を救ってくれるだなんて……」


「そんなことないですよ。ミケがいなかったら、俺なんてあっという間にすりつぶされてた……一人じゃなかったから、信頼できる仲間がいたから、出来たことなんです」


 そのきっかけを作ってくれた人たちの中に、アカネはいる。彼女がいなければ、今ごろ隆也はミケの胃袋の中だったろう。


 迷惑をかけるばかりで、隆也は彼女に恩を返せていない。声を大にして言うのは憚られるけれど、初めての出会いの時から。そしておそらくは、これからも。


 何度でも、隆也はアカネに言ってやるつもりだった。


 名上隆也は、まだ自分一人の足で立って歩くことができない。誰かに支えてもらって、誰かの背に隠れなければ。この世界を生き抜くことができない。


 わがままなことを言っているかもしれない。いい加減にしろ、と叱られるかもしれない。


「……それでも、俺はまだアカネさんのことが必要なんです。今回のことだって、俺はアカネさんに『彼女』を……」


「もういい。それ以上言わないでくれ……聞きたくない、から」


 だが、それでもアカネは隆也を拒否してしまった。


「どうして……だって、もうあなたがここにとどまる理由はなくなったのに、師匠の弟子をやめる理由はなくなったのに」


「……確かにそうだ。だが、」 


 アカネの表情は、どこまでいっても悲しげだった。


「お前についていく理由も、またない」


 そう言って、アカネは目を伏せた。


「……お祖母さま、今日は、お父さまとお母さまのところに行って参ります。もうおつとめの必要は、ないのでしょう?」


「ああ。あとは、タカヤ殿に任せておけばいい……そうですな?」


「ええ。多分、今後は俺以外だとダメだと思いますから」


「すまないな、タカヤ……いや、タカヤ殿


 そう言って、アカネは隆也から背を向けて屋敷へと引っ込んでいった。


 月花一輪のことはひとまず片付いたが、隆也にとっての本当の解決は、まだもう少し先にあるらしい。

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