第231話 水上詩折 2
「間一髪で大丈夫だと思ったけど、あなた、怪我はない?」
「ふえっ!? え、だ、大丈夫と思うけど」
「そう。名上君の大事な仲間に何事も無くて良かったわ」
無事を確認して微笑する詩折を、メイリールは信じられないといった目で見つめ、驚いている。
それもそのはず、戦いの中に割り込んできた彼女は、メイリールを排除するため繰り出した神狼の牙を、爪を、片手一本で受け止めているのだ。しかも、力を入れている様子すらない。
【――――】
すぐさま間合いを大きくとった狼の金の瞳が、大きく見開かれた。完璧に仕留めたと思われた行動をいとも簡単に完封されたのだから、それは驚くだろう。
隆也たちも、同じ気持ちだった。
「すげえ……」
誰かから、そんな声が漏れる。
彼女がこの世界でも有数の実力をもつ冒険者たちと旅をしている時点で、この異世界で相当な実力者なのはわかっていたが、まさかこれほどだったとは。
「名上君、この人をお願い。この犬の躾は、私が引き受けるから」
「……わかった。けど、どうして俺の場所」
「ごめんなさい。悪いとは思ったけど、『虫』をあなたの体につけさせてもらっていたの」
詩折がそう言った瞬間、虫の羽音とともに、隆也の首筋から飛び立つ黒い小さな粒があった。
「『
そういう意味でのマーキングということだろう。初めて彼女と再会したタイミングでつけられていたのだろうが、まったく気づかなかった。
思わず首筋にぞっとしたものが走ったが、しかし、それで助かったのもまた事実。
「名上君、この人のことをお願い。こいつは私が引き受けるわ」
「それはわかったけど、大丈夫なの? 相手、完全に俺たちを殺すつもりのようだけど」
隆也たちを守るようにして詩折が敵の前に立ちはだかっているからいいが、そうでなければとっくに気絶しているほどの殺気と威圧である。
【ウゥゥゥッ……!!】
喉を激しく唸らせると同時に、周囲の空気がビリビリと震えている。体から迸る異様な威圧感からも強さはどう見積もってもミケと互角以上だが、それでも詩折の顔からにじみ出る自信は揺るがなかった。
「心配ないわ。私も、この世界でも一応は『それなり』だし」
そう言って、詩折は、剣の切っ先を敵の眉間へと向ける。短めの軽そうな長剣だが、隆也の目から見ても、品質は文句のつけようのないものだ。素材も、ミスリオ鋼や天空石をはじめとして、超貴重な鉱石が使用され、鍛えられている。
【――去れ】
「犬風情のくせして随分と傲慢な態度をとるのね。言葉が使えても、話が通じないんじゃあ、虫以下と思われてもしょうがないわね」
【排除する】
「あら? 遠吠えはしないの? ほら、十秒だけ待ってあげるから、お仲間を呼びなさいな。仲間を盾にしたほうが、私から逃げられる確率があがるでしょう?」
【――!】
詩折の言葉を無視した神狼が、音もなくその場から姿を消す。もちろん逃げたわけではない。詩折を確実に仕留めるため、全力を発揮しているはずだ。
同時に、詩折も動く。
「
空いているほうの親指の先にほのかな青色の魔力光が灯った瞬間、固まるように集まっている隆也たち四人を守るようにして、氷の鳥かごのようなものが出現した。
「あ、くれぐれも触っちゃダメだよ。それ、本来は誰かを守るために使うものじゃないから。触れた先からあっという間に氷漬けになっちゃう」
「そ、それを先に言ってくれないと……はい」
「うん、いい子」
素直に隆也が従ったのを見て、詩折は満足そうに頷いた。
「さて、と。今日は気分がいいから、久しぶりに思い切りやっちゃうかな……十」
詩折が謎のカウントダウンを始めた瞬間、すでに堅氷牢を発動している親指以外の四本の全てに光が灯った。
「……おいおい、マジかよ。タカヤ、お前あの子と知り合いっぽけど、一体何モンだ?」
「どうしたの、ダイク?」
「いや、いきなりほぼ全属性の魔法を、しかもほぼ同時に発動させようとしてりゃあ、誰だって驚くだろ。多分、賢者さんだって、そんなことできねえんじゃないか?」
実際に使ったところはあまり見ていないが、エヴァーだと、全属性の魔法は操れるものの、発動は一度に一属性のはずだ。
それを、今の彼女は同時に発動しようとしている、と。
異能も使えるうえ、魔法のレベルもずば抜けて高い……転移時に付与された能力にバラツキがあっただろうとはいえ、いったい、どれだけの素質を、彼女は転移時にもらったのだろう。
隆也もかなり恵まれた素質を授けられたが、詩折のそれは、隆也を超えて、反則レベルに近い。
「全基礎能力アップ……早駆け、無足、神速……九」
灯った魔力光が一つになり、それが一気に詩織の中へ流れ込んでいく。
詩折が今、どんなことをしようとしているのか、隆也にも、それから多少魔法の心得があるダイクにもわからない。ただ一つ言えることがあるとするならば、
「タカヤ、なんていうか、あの子が負ける姿が想像できねえんだけど」
「……実は、俺も」
詩折が負けることは万に一つだってない、ということだけだ。これといった根拠はないが、とにかくそう感じさせてくれた。
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