第58話 反撃 


「なんだ……?」


 迷路のようになっている洞窟の最奥部にいても優に届く狼の遠吠えに、その場に居た明人以下、クラスメイト数人の動きが止まる。


「狼の魔獣か? にしてはやけに響く声だったが……おい、監視の奴らからの報告はあるか?」


「いえ、特には……ちょっと訊いてみます」


 明人からの指示を受けて、部屋にいた別のクラスメイトの一人が、なにやら意味不明な言語を飛ばし始めた。レティ達魔族の使う魔界言語とも、もしくはそれぞれの地域語とも違う感じがする。


 ――ウオオオオオオオオオオオオオ……!


 なおも狼の吠え声は続く。


 先程と較べてより力強く響くそれは、洞窟内部をビリビリと振動させるほどに大きく、鋭い。


「っ……!? おい、なんだどうした! 返事をしろ、言うことを聞かないってのか!?」


「どうした、調教テイムした魔獣に何かあったのか?」


 伝達役の少年からあがった焦りの声に、明人はすぐさま自身の剣を抜く。


 異常事態――。


 元クラスメイト達の間を、にわかに不穏な空気が漂い始めた。


魔獣共あいつら調教師テイマーである俺の命令を無視するんです。何があったかを聞いても『我らが王の命令には逆らえない』って、そればっかりで」


「王……? そんな魔獣がいたとして、どうしてこんな何もところ……っ! 名上まさかお前っ――!?」


 明人がすぐさま隆也の口を塞ごうと一歩踏み出す。


 だが、もう遅い。


 全員の動きが止まっているその隙をついて、隆也は、仲間を、自身を助けるために最速で救助にやってきた『しもべ』に、自分の位置を伝えるべく、なけなしの力を貯めていたのだから。


「ミケエエエエエエエエエエエエエエッ!! ここだああああアアアアアアっ!」


 ――ウォ


 隆也が、肺に残ったすべての空気を吐き出すがごとく声を上げた瞬間、不自然に途切れるようにして遠吠えが途切れた。


「クソッ、呼ばれたっ!! みんなっ、すぐにここを放棄して逃げるぞ!」


「ああっ!? なにヒヨッてんだよ、春川。たかが犬コロ一匹にそこまでビビるほどかよ?」


「馬鹿野郎! お前、今、自分がどんな状態なのか気付いてないのか!? 下を、ズボンを見てみろ!」


「下って、いったいなに——」


 そこで、俊一も、自身に現在起こっている状態異常バッドステータスに気付いた。


「な、なんっ、だよ。これ……漏れてやがるっ……!?」


 俊一は、失禁していたのだ。


 隆也を痛めつけているせいで気付かなかったが、ミケの遠吠えがこちらに届くたび、徐々に、その場にいた隆也以外の全員が似たような異常を起こしていたのである。


 腰を抜かして立てない者、手が震えて止まらない者。頭を抱えてうずくまっている者や、泡を吹いて気を失っている者さえいる。


 状態異常、恐慌。


 格の違う相手の威圧によって完全に戦意を喪失した状態の、麻痺やスタンなどとは違って薬や魔法で治療ができない異常。対象の相手がその場から消え去らない限り、ずっとその状態が続く。


 隆也の元でしっかりと心と体を癒し、育ち、そして急速に成長している神狼族の。


 主人をさらった怒りによって増幅された正真正銘の本気のハウル。


 それが、クラスメイト達の自我をあっという間に崩壊させたのである。


 唯一まともに動けるのは、明人と俊一ぐらいのもの。


「逃げるったって、じゃあ名上コイツはいったいどうすんだよ」


「コイツのことはもう放っておけ! 遠吠えだけで高レベルの俺達をこんな状態にしてくるバケモノと対峙でもしてみろ。どうなるかなんて火を見るより明らかだ!」


 これまでクラスを纏め、引っ張ってきたはずの二人が醜く口論をしているさまを隆也は、虚ろな目でじっと見つめていた。


 いいのか? そんな悠長に喧嘩して。


 もう、俺の『仲間』はすぐそこにいるってのに。


「ガアッ――!!」


 音を置き去りにするほどの速さで洞窟内部を駆けた、いや、正確には、主人である隆也のもとへ、ミケが、クラスメイト達の逃げ場を失くすようにして、立ち塞がっていたのだった。


 怒りによって逆立った銀の体毛と、そこから立ち上る尋常でない質と量の銀色の闘気オーラを隆也は見る。


 いくら隆也でも、ここまで激怒した仲間達を制止することはもうできない。

 

 できる体力も、制止するだけの声も、あげることは出来ない。


 明人に、俊一に、そして、遠くから傍観して隆也のことを嘲笑した元仲間達へと呟く。


 すまない、みんな。


 ――ここで死んでくれ。


 そうして、隆也は気を失った。

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