第59話 メイリールの想い
戦意を喪失させるのに、それは、充分すぎるほどの絶望感だった。
「グルルルル……」
「これは……」
勝てない。絶対に。
対峙した明人は確信していた。
彼とて、この数カ月、遊んでいたわけではない。
この世界に迷い込み、何もかもが手探りの状態からのスタート。
この世界における能力を覚醒させ、少しずつだが強くなり、その辺の敵なら自分一人の力でも一蹴できるようになっていった。ツリーペーパーによる適性診断、それに応じた効率的な鍛錬のおかげである。
だが、そこで、彼は重大な過ちを犯した。
隆也を見捨てたこと。
当時は、それで仕方がないと思っていた。彼は他のクラスメイトと違って全く戦闘に参加できなかったし、それによって前線の人間たちから不満が出ていたので、そのまま彼を残すことで起こるチームワークの崩壊を防ぐための、合理的なリストラ。
だが、それによって、どんどんと状況は悪化の一途を辿り。
元の世界に帰ると決意して進められた彼らの冒険は、見捨てたはずの隆也の存在によって、あっけなく、その終わりが告げられようとしていた。
「……ようやく見つけた。アンタやろ? 私と隆也ば襲ったとは」
殺気を迸らせる狼の後ろから、神官服と、それにまったく合わないごつごつとしたグローブを身に着けた少女が姿を現した。
見覚えがある。隆也をさらう時に、ちょうど彼と一緒に居た仲間だ。服の左胸あたりにギルドの徽章らしきものを着けているから、おそらく、クラスから離れた隆也が所属していたギルドのメンバーなのだろう。
当然、彼女も明人達に対して、その可憐な顔を歪ませ、睨み付けている。
「――ミケちゃん、タカヤのことばお願い。治療は後から来たみんなに任せるけん、応急処置だけ。はい、これ薬」
無言で薬瓶を受け取ったミケと呼ばれた魔獣が、一目散に隆也のもとへと駆け寄った。
悲鳴にも似た鳴き声を上げながら、血だらけで気絶している隆也の顔を必死になって舐めている。
どうやらあの
様子から判断するに、隆也が主人のほうである。
剣術レベルでいえばⅦにも届こうかという明人ですら、対峙しただけで敵わないと思わせるほどの魔獣だから、どう見積もってもⅧか、下手したらⅨ。それを、弱いはずの隆也が
「アンタ達、タカヤの元仲間やったっちゃろ? どうしてこげんかことばすると? 追い出したとはいえ、一緒に冒険した、同じ釜の飯を食べた仲間に、どうしてあんなひどいことばできると?」
目の前の少女は、顔を真っ赤にして怒り、目を腫らして涙を流していた。
隆也のためにこれだけ真剣になって怒っている。それだけ、今の仲間は彼のことを大事にしているのだろう。
「し、仕方ねえだろうが! 俺達だって、まさかこんなことになるとは思ってなかった……まさか、コイツがこの世界で貴重な奴だったなんて思わなかったんだからよ!」
少女の問いに、いつのまにか明人の隣にいた俊一が声を荒げて答える。
そう、明人達は、クラスメイト達は、全員無知だったのだ。素質の概念を知らず、ただ戦いに貢献できるかどうかで、単純な優劣を序列を定めてしまった。
「知ってたら、タカヤのことを捨てなかった?」
「当たり前だ。コイツは、この世界では使える人間らしいからな。使えるなら、捨てる理由はねえ。ってか、アンタだって、そう思ったからこんなひ弱なクソ野郎を拾ったんじゃねえのかよ?」
「……アンタ達みたいなクズどもと一緒にせんで」
冷たく、神官服の少女は言い放った。
「アンタ達は本当に何も知らんとね。私がタカヤを最初に見つけた時、あの子、顔がべちゃべちゃになるくらい泣いとったとよ。独りぼっちになって、傷ついて、どうしようもなくなって……思い詰めて手首まで斬っとった。隆也には剣術のスキルが全くのゼロやけん、自分すら満足に傷つけることが出来んで失敗したけど」
「じゃあ、あなたは、素質の有無に関係なく彼を助けたと?」
「当たり前やろ」
明人の問いに少女は即答し、続ける。
「ていうか、放っておけんやろ。人間なら。確かに他の仲間たちには『放っておけ』って最初は言われたよ。でも、それでも私はこの子を見捨てるなんてことできんやった。理屈じゃ……ないとよ」
そうして、少女は明人達のほうへと一歩踏み出し、言った。
「ねえ、お二人さん……私と勝負せん?」
「? それは、どういう……」
「言葉通りよ。私とこれから戦おうって意味。一対一でもいいし、二人で一斉にかかってきてもいい。あ、そこのミケちゃんには手出しさせんけん安心して」
どういう戦闘スタイルなのかは不明だが、明人の見立てでは、とてもじゃないがそう強くないように思える。自身や俊一と較べればレベルは数段劣るだろう。彼女は明人の電撃もあっさりと喰らっているし、それはわかっているはずだが。
「もちろん私に勝てたら、アンタ達の命は保証する。もちろん隅っこで震えているそこのお仲間たちも全部ひっくるめてね」
「っ……!」
その提案に、明人と俊一はそろって一縷の望みを見出した。
ミケとかいう魔獣が相手ならあっさりと蹂躙されるだろうが、目の前の少女なら、事情は大分違う。
助かる。
隆也についてはあきらめなければならないだろうが、このまま自身もろとも全滅となるよりは、遥かにいい。
俊一に目をやると、彼も同様の判断を下してくれたようだ。
「……おいおい、本当にそんな約束しちゃっていいのかよ? 俺達だって、戦いとなったら手加減はできねえんだぜ?」
「構わんよ。むしろ本気で来てくれんと————けんね。踏ん切りがつかん」
気合を入れるようにグローブをはめた拳を突き合わせて、彼女は、いつの間にか、すでに一歩間合いを詰めている。
復讐すべき敵を前に、瞳にみなぎる闘志は露ほどにも霞んではいないようだ。
「……後悔すんなよ。おい春川、手出しするなよ。この女は俺がヤル」
「あ、ああ……」
なんだ、今のは。まるで、一瞬、あの子の姿が霞んだような……。
明人は、目の前の少女にちょっとした違和感をもつ。
だが、それを俊一に伝えることはしなかった。気のせいだと思ったから。
それが、彼の下した『最後の』過ちだった。
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