第60話 隆也とメイリール


 × × ×


 —―かわいい顔をしている子だな。


 草原の真ん中にポツンとある石碑のような岩に寄りかかっていた少年の顔を見たメイリールは、目まで覆う彼の長い前髪を額の横に分けつつ、そんなことを思った。


 彼女が彼を見つけたのは、ギルドへ依頼のあった任務の終わりで、ちょうどベイロードに帰ろうとしていたところである。


 この地域で少し前に突如起こった爆発音と、それに伴うごく小規模な森林の火事。その原因を探るためだった。


 結論から言えば、不思議な現象は確認できたものの、大した収穫はなかった。森林で火事が起こった場合、大抵、炎は風によって煽られだんだんと燃え広がっていくことが多いが、今回の火事はそれがなく、半径数メートルの範囲のみ、まるで劫火に包まれたかのごとく黒焦げとなっていた。


 燃えているところと、燃えていないところの境目がはっきりとしている。


 そんな状況を見たのは、初めてのことだった。


「ん? おい、メイリール。なに道草くってんだ? 帰り道はそっちじゃね……って、あん?」


 彼女を追いかけてきた仲間のダイクも、彼の存在に気付いた。


「冒険者のガキってとこか……行き倒れか?」


「ダイク……うん、多分。でも、なんかちょっと様子がおかしかっていうか。変な格好しとうし」


 素材解体用の質素な造りのナイフを持っているからそう判断しただけで、彼女自身も彼がどんな人間なのかはわかるはずもない。不思議な素材で出来ている青色の荷物袋、周辺に転がる酒瓶、赤い色で統一された上下。


 それに、出血は止まっているが、手首についた生々しい傷の跡。


「どうした、二人とも」


 ダイクに続いて、もう一人の仲間であるロアーもやってきた。


 三人で仕事をやり始めてからのリーダーで、内心、仕事面では頼りにしている。


「ロアー、この子なんやけど」


 言って、メイリールはロアーにも彼のことを見せた。


「……なんか訳アリっぽいな」


「……よね」


 冒険者稼業をしていても、こういう場面に出くわすことはあまりない。


 持っているナイフと、その反対側に位置するほうの手首の傷。


 憔悴し、涙や鼻水でぬれた顔。どう考えても自分で傷つけたのは明らかである。


 ここが厳しい環境の雪山だったり、帰ることが物理的に不可能となってしまった秘境などであれば、まあ、可能性がないわけではない。


 だが、この場所はいたって長閑で、危険な魔獣も少ない。判断ができないほどの極限状態でもないのだ。だから、


「……放っておけ。傷は結構酷そうだが、血は止まっている。今は泥酔して寝てるだけだろうから、すぐに目が覚めるさ。金も……あるみたいだしな」


 ロアーがそう判断するのも、当然のことだった。


「ロアーに賛成。せっかく無事に仕事が終わったのに、余計な面倒事しょい込むのはゴメンだぜ、俺は」


 ダイクもリーダーの意見に続く。


 メイリールも理屈で考えればそう思う。だいたい、この少年が、人のいい冒険者の同情を引いて、騙している可能性だってあるのだ。自死するのにはいささか中途半端な傷も、怪しいといえば怪しい。


 だが、どうしても、メイリールは彼の元から立ち去ることができなかった。


 もし彼が盗賊の類だとして、こんなにも憔悴した顔をするだろうか。


 溢れる涙を我慢しすぎて噛み傷を作っている唇の端。苦しそうな寝顔。時折、もれる呻き声。


 演技ではない、と彼女は思った。


 そして、そう思ったら、どうしても余計に見捨てられなくなってしまった。


「ダイク、お願いがあるっちゃけど……よか?」


「嫌だよ、って本当はすげえ言いたいんだが……聞かねえんだろ、どうせ」


「まったく、犬猫を拾うのとは訳が違うんだぞ……」


 彼女がこうなると、もう二人は彼女に従うしかない。二人で先に帰ったとしても、彼女は一人でもこの少年の面倒を見てしまうだろう。


 彼女はたまに冒険者には向かないほどの純真さが顔を出すことがあるが、しかし、彼女の能力はとても貴重だ。それに、彼女を置いて帰ったら帰ったで、どうせ会社で待つ社長や副社長に怒られる。


 ということで、面倒を背負いこむしかないのだ。


「わかったよ、このぐらいなら『能力ちから』使わなくても回復魔法ヒールで十分だろうし。でも、助けるだけまで、だからな。ベイロードに帰ってからのことは、俺は知らねえぞ」


 渋々言いながらも、ダイクはてきぱきと治療の準備に取り掛かった。普段は面倒くさがりだが、やるとなれば仕事は早い。


 なんだかんだで、ダイクも頼りになる存在である。


「お節介でゴメン……でも、君のこと、やっぱり放っておけん。私が助ける。だけん、安心しい」


 彼は今、いったいどんな夢を見ているのだろう。


 苦しそうに顔を歪ませて弱々しく息をする男の子の頭を優しく撫でながら、メイリールは思った。


 こうして、彼らは、特にメイリールは『最良』ともいえる選択をしたのだった。

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