第209話 お近づきのしるし
「はいはい、それじゃあお話はここまでにして今から夕食の準備ね。ほら、お父さんも。今日はお客さんがたくさんなんだから」
「あ、ああ……」
ソファから立ち上がったところで、一瞬、ハロルドと隆也の視線がかち合う。
メアリやメイリールが間に入ったこともあって誤解は消えたはずだが、まだ雪解けには程遠いようで、
「……ふん」
そっぽを向かれしまう。
「――っと。母さん、その前に仕事道具の手入れだけさせてくれ。今日はちょっと頑張りさせ過ぎたからな」
「あなた……もしかして、」
「つ、使ってない。使ってないから……!」
ちょっとだけしか、というハロルドがぼそりとつぶやいた気がしたが……後で絶対にメアリに怒られることになるだろう。
野菜を刻む包丁の音が、なんだかやけに怖い。
なんというか、さすがはメイリールの母親だ。
「はは……なんかすいません、俺のせいで」
「謝るぐらいなら、ちょっと手伝ってくれ。君は確か鍛冶職人の仕事もしてるんだろう?」
ハロルドに手招きされ、部屋の隅に置かれている農作業具の前へ。
草を刈るための鎌、鍬や鋤など、一般的なものが立てかけられている。
「……かなり使い込まれてますね」
「日々の生活でギリギリだからな。そう何度も何度も買い替えはできない」
置かれているものを一本ずつ見ていく。よく手入れはされているが、物である以上、それがたとえ良い品質でも、劣化は避けられない(一部例外はあるが)。
「普通の鉄、かな……ハロルドさん、もし良ければ、ここで修理をさせてもらえませんか?」
「修理? できるのか?」
「ええ。道具はいつも持ち歩いているので。アカネさん」
「修理か、手伝おうか?」
「いえ、ちょっとした応急処置……延命みたいなものですから。そんなに魔力は使わないかと」
「魔力……?」
やり取りを横で聞いていたハロルドが怪訝な表情を浮かべるが、そちらは作業後にでも説明することにした。……わからないかもしれないが。
アカネから砥石などの道具一式を受け取ると、隆也はサイズの小さいものから順に取り掛かっていく。
切れ味がだいぶ鈍っているので、ひとまずは、それを取り戻すだけでいいだろう。
「……なんというか、普通だな」
「それはさすがに……でも、基本ですから」
隆也がやっていることは、刃を研いでいるだけ。もちろん鉱石素材のレア度もあるが、鉄であれば、レベル1あれば手入れは十分だ。この世界の人間なら、魔法を除いて、大体どの素質もおおむねレベルⅠ~Ⅱはある。
違うのは、ここからだ。
「どうぞ。これで大分使いやすくなったはずです」
一通り終えたのち、隆也はまず鎌のほうをハロルドに手渡した。
何の変哲もないただの鎌だ。隆也が使ったのなら、雑草と格闘するだけで腕がパンパンになるだろう。
だが、それはハロルドから見たらの話。
「ふん……まあ、いつもよりは綺麗になっている気はしなくもないかな」
「では少しだけ使用感を確認してみましょうか」
隆也は脇にあった端材をハロルドに渡す。多分落とし穴の仕掛けに使った木材で、少し太い枝だ。
「力はそこまで入れずに、落とす感じでお願いします」
「それでいいのか? いくら研いだからといって、こんな安物では……」
言いながらも、ハロルドは隆也の指示どおりに刃を軽く触れさせる。すると、
――スッ。
「……は?」
音もなく、まるで空気でも切ったかのように刃が木材を通り抜けた。
その事実に、何が起きたかわからない、といった様子でハロルドが口を半開きにさせている。
「タカヤ……お前、あの鎌になにをやったんだ?」
「ただ研いだだけ……じゃなくて、お近づきのしるしにと思って、さっきラルフからもらったミスリオ鋼をちょっとだけ削って、そのカスをこっそりコーティング……いたっ」
ぱしん、とアカネに後頭部を叩かれた。隆也としてはできるだけ切断しやすいようにと加工したつもりだったが、やりすぎだった。
これでは作業具ではなくただの優秀すぎる武器……なので、これは隆也が買い取るしかないだろう。こんなものを農家が持っていたら物騒すぎる。
「すいません、うちのバカが……あとでかわりものを用意させますゆえ……」
「いや、そこまで気にしなくていいが……」
やり過ぎてしまったようで、ハロルドも若干引いてしまっている。
経験を積んでどんどん素質が研ぎ澄まされるのはいいが、そろそろ手を抜くことも覚えなければ。
「ふふん、どうお父さん! タカヤってばすごかろう? スカウトした私の眼力、もっと褒めてくれてよかよ?」
「おー、姉ちゃんすげー!」
「すげー!」
その後、こっそりとメアリからも包丁の修理も依頼されたのだが、そちらはまた別の話である。
ちなみにそちらの修理はアカネがやってくれた。
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