第145話 番人 1


「……見れば見るほど、そのまんま、だな」


 雪に足をとられて滑らないよう慎重に階段を登っていく隆也は、そう呟いた。


 似ている。彼がいた世界にあったものと何もかも。


 石段の途中、その両側に、ほぼ等間隔に置かれている石灯籠。今は消えているが、中には溶けて小さくなった蝋燭がある。


 鬼の末裔が暮らす場所、とエヴァーは言っていた。『鬼』なんて隆也の世界でも昔話でしかでてこない、それこそファンタジー極まりない存在だが、ここまで似ていると、元の世界との何らかの関連性を疑いたくもなってしまう。


「ごしゅじんさまは、ここのひとじゃないの? まえ、ごしゅじんさま、ここのひとだって、いってたのに」


「違うよ。ミケには言うけど、本当は、もっともっと、多分、ここよりずっと遠いところから来たんだ。師匠の魔法を使ってもいけないような。みんなには秘密だけど。ミケ、秘密にできる?」


「うん。これ、ミケとごしゅじんさまのひみつ。ミケ、だれにもいわない」


 両手で口をおさえるしぐさをみせたミケの耳をもふもふしつつ、進む。上へ上へと昇るたび、彼らの口から漏れる吐息がより白くなっていく。肌に触れる冷たい空気から身を守るべく、主人としもべは、しっかりと体を寄せ合って。


 と、その時、ミケの両耳がぴくり、と外側へと向いた。


「ごしゅじんさま、とまって」


 言って、ミケは、自身の姿を、幼い少女から、銀の毛並みを煌かせる狼へと姿を変える。いったいどんな原理で変わっているのかはミケ本人もよくわかっていないらしいが、『変われ』と本人が念じると、その姿に変わるらしい。


 少女の姿の時のミケは、本当に甘えん坊かつか弱い子でしかない。しかし、こうなると、師匠曰く『最強の魔獣の一角』へと変貌を遂げるのだから、彼女も大概おかしな潜在能力スペックを持っている。


「ミケ、誰かいるの?」


 片方の耳を動かして、ミケは隆也の問いに答える。この状態のミケは人語を話せないが、こちらの言葉はわかる。なので、ジェスチャーで大体の意志疎通は可能だ。


「……い、なぜ……ところに……が……」


「わ……とにかく…………今は………さま……」


 ミケが姿を変えた途端に、隠れていたと思しき二人組の声が隆也の耳にも届く。無害だったはずの少女が、突然、相手側にとっては危険極まりない存在に変わったのだから、警戒するのも当然だろうが。


 だが、こちらはただ人に、アカネに会いにこの場所を訪ねてきただけで、敵対の意思はまるでない。事前の連絡もなく勝手に足を踏み入れてしまったことは詫びなければならないだろうが、事情を話せば、彼らとてわかってくれるはずだ。


「ミケ、俺の指示があるまで絶対に動かないように」


「……グゥ」


 そうして、隆也は一歩踏み出した。


「あの、すいません! そこに誰かいるのなら、話を聞いてくれませんか?」


 今も低く唸り続けているミケの視線の先へと、隆也は大きな声で呼びかけてみる。反応はないが、いるのはわかっている。であれば、もう一度。


「勝手にこんなところに来てしまったのは謝ります。俺達はよそ者ですが、ここを襲撃するために来たわけじゃない。ある人に会いたいだけなんです」


「…………」


 相変わらず霧の向こう側からはなんの反応もかえってこないが、隆也は構わず続けた。このままミケに任せて強行突破も可能だが、そんなことは絶対にしたくない。彼らも、おそらくはアカネと同じ集落の仲間なのだ。


「ダメなら、手紙だけでも届けてくれませんか? この先の集落にいる姉弟子……いえ、アカネさんに伝えて——」


 アカネ、という言葉を口に出した瞬間、霧の向こうにある草陰が、がさり、と動いた。


 それと同時に、姿を現したのは、黒の装束に身を包んだ二人の青年だった。露出している肌の色はほぼ人間だが、全体的に片方はわずかに青みが、そしてもう片方は黄がかっている。


 角は、今のところ生えていない。


「……おぬし、なぜその人の名前を知っとる?」


 青い肌の青年が、隆也へとそう訊いてきた。腰の帯に小刀が入っていると思しき黒塗りの鞘があり、いつでも抜き放てる状態を維持している。


「それは、俺が、アカネさんの弟弟子だからです。森の賢者であり、俺の師匠であるエヴァーの、二人いる弟子の一人だから」


「賢者殿のことはもちろん知っている。あのお方が、その弟子となっていることも。だが、それだけだ。お前のことは知らん」


 黄色の青年が、そう返してくる。こちらは丸腰で、体のどこにも刃物や武器のようなものはないが、決定戦のときのアカネもそうだったように、何か隠し持っている可能性はある。


「それは、アカネさんに会えばすぐに彼女が証明してくれます。これまで一緒にやってきた仲間ですから、そうすればすぐに俺達のこと……」


「ならん。お前がどこの誰だろうと、族長の許可がなければ、この先は通せん。今すぐ、ここから引きかえされよ」


「そこをなんとか……」


「ならん、帰れ」


 冷たく言い放たれた。取り付く島もないとはこのことだ。


 今から許可をとろうと思っても、師匠が来るのはおそらく一週間後だ。連絡係として度々世話になっている白鳩のイカルガも、元はアカネのもの。なので、もちろん手元にはいない。


 そうなると、後は強引にでもアカネのもとに行くしかないのだが、


「……ちなみに、嫌だ、と言ったら?」


「「……そのときは、」」


 二人の声が同調すると、それまで隆也の目の前にいたはずの黒装束の二人の姿は白い霧の向こうへと消え、


「――力づくで、排除をするまで」


 次の瞬間、隆也の喉元に、青肌の青年の抜き放った冷たい切っ先が押し当てられた。

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