第102話 種火採取


「ヲッ……!?」


 霧状に広がった液体が一帯に降り注ぐ最中、不死龍が異常に気付いたのは、それまで獲物を追い回していたはずの蚊たちが、皆、一斉に地上へと力なく落下している時だった。


 どうした、なぜ、敵を追い回さない。何のためにお前らは我が体を宿としているのだ。


 しかし、いくら爪を振りかざしても、彼らを焚きつけるように咆哮を上げようとも、彼らはまったく反応をしない。


 まるで、死んでしまったように。


「ヲヲヲオヲヲオオオッ!!」


 仕方ない、今いる奴らが使い物にならないというのであれば、また新しく生み出してしまえばいいだけの話だ。


 体表には、まだ無数に近い幼虫がいるのだから。


「…………?」


 だが、そこでもまた異変に気付く。


 成虫が産まれない。意識せずとも、湧き水のように発生していた自身の防御の要だとも言っていい鎧が、いくら待っても。


 まずい。これは、まずい。


 彼の体表は分厚いが、しかし、腐っていて、その上内部は一部露出してしまっている。強力な直接攻撃を受けてしまえば案外脆い。だからこそ、彼は魔界で生息しているこの『蚊』をわざわざ寄生させ、宿を提供する代償に自身を守らせていたというのに。


「――チェックメイトだ、トカゲモドキ」


「ヲッ――!??」


 そんな誰かの声が、かろうじて機能を残している耳に響くと、次の瞬間、彼の頭部は、巨大な風の塊によって殴りつけられていたのだった。



 × 



妖精の大弩弓フェアリーズバリスタ――これでヤツもさすがに大人しくなるだろう」


 薬瓶を射抜き、その後、すぐさま自身のもつ大技を放ったフェイリアは、自身の懐より取り出した精神回復薬を飲み下し、ふう、と息を吐いた。


 本来、空気中に瘴気が混じっている魔界では、闇魔法以外の魔法効果が阻害されるはずだが、しっかりと体内で練り上げられた質の高い魔力は、阻害による威力の減衰をものともせずに、標的の戦意を見事にそぎ落として見せたのである。


 やはり伊達にギルドの副社長をしていない、というところだろう。


「ヲオ……ッ!? ロオ、ロロッ……!!」


 彼女の放った巨大な風の矢の直撃によって、龍の顔は、すでに大きく変形した状態だった。片方の顎関節が砕けてしまったのか、咆哮を上げようにも、それまでの半分も開けられない様子である。


 ああなってしまえば、もうブレスを吐くことはできないはずだ。


「――やりましたね、タカヤ様」


 役割を終えたレティが隆也のもとへ戻ってくる。この後レティには隆也とともにもう一仕事をやってもらうため、不死龍という名のサンドバッグを叩く役割は、レミとヤミに任せることにしている。


「では、今のうちに種火の回収に向かいます。二人とも、俺のこと、よろしくお願いします」


 そうして、隆也達三人は、すぐさま、未だ青白く燃え盛る炎の残る瓦礫へと駆けていく。不死龍のブレスは、体内で予め生成した『元となる体液』を喉奥の器官を通して発火させ、体外へと排出させる仕組みである。


 そのため、排出後、しばらくの間は消えることなく、勢いを保ったまま燃え続けるのだ。今回は、それを保存する。


「うぐっ……!!」


 先程までミヒャエル(の金冠を被った骨)がいた場所の近くまで戻ってくるなり、隆也は、顔に吹きつける熱風に苦悶の表情を浮かべた。


 ドラゴンブレスは、ただ藁や紙などにつけた火とは比べ物にならないほどの超高温である。そのため、近づくだけで火傷するほどの熱が襲う。


 排出されたドラゴンブレスを『ブレスの種火』という『素材』として採取するので、もちろん、そこには、採取のために隆也の素質がいる。もちろんレティやフェイリアにはできない。


 隆也は素質以外は一般人と何も変わらない。そんな彼が超高温の炎に触れればどうなるか――そんなことは、火を見るより明らかである。


「レティ、一気に行くから後のことはお願い」


「かしこまりました。この命捧げても、タカヤ様のことをお守りいたします」


「タカヤ、採取したらすぐに戻ってこい。私の拙い回復魔法でも、火傷の応急処置ぐらいにはなるだろうから」


 レティをすぐ背後につけた隆也が頷いた。採取は彼女の闇魔法によって身体を保護してもらったうえで行う。それでも採取し、種火を保存するまでの瞬間は、手に持たないといけないので命がけだ。グローブはあるが、気休め程度にしかならない。


「行くよ、シロガネ。もし刃が溶けちゃったら、また打ち直すから」


 手に握った相棒の白刃が、彼に応じるようにして、きらりと閃く。やる気は十分のようだ。


「それじゃあ……いち、に、さん——!」


 三つの目の合図で、躊躇なく地面を蹴った隆也とレティは、燃え盛る炎へとその身を投げる。


 隆也が見据える目標は、わずかに溶け残っていた、ミヒャエルの骨の一部——。


「づあっ……!!」


 シロガネを迷いなく対象へと振り、ブレスの液がべっとりと付着している骨を切り取り、瓶へ。


 闇魔法で包まれた防御を貫くように、ブレスの残り火が、隆也の顔を、手を、皮膚を焦がそうとする。


 切り取ったシロガネの刃は、熱で大きく変形していた。


「うぐ、こんのっ……!!」


 だが、隆也は意地でも目を閉じない、切り取った種火を手から離さない。


 これに失敗すれば、これまでの努力がすべて水の泡だ。


 そうなれば、ムムルゥを助けると言う目標に大きく遠ざかってしまう。


 それだけは、絶対にしたくなかった。


 手の感覚を失いつつも、彼は慎重に、作業を進めていき。


「よしっ……これで瓶に、はい、た……!」


 そして、ついに目標を完遂する。これで第一関門は突破だ。


「レティ……!」


「タカヤ様、よく頑張られました。しばらく、私の懐の中でお休みになられてください」


 褐色の瓶の中に青白い灯がともったのを確認した後、隆也は、そのままレティに抱きしめられるようにして、すぐさまその場を離脱したのだった。

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