第66話 号泣の魅魔煌将 2
× × ×
「ふっふ~、お勤めを開始して数日……ひとまず部下たちから不審がられている様子はないようで何より」
休養期間が明け、新たに北東地域の統治役におさまったムムルゥは、私室としてあてがわれた魔城の一室にて、ひとりほくそ笑んでいた。
部下のメイド数人を部屋から追い出した彼女が見ているのは、一時は完全に輝きを失っていたはずの相棒、魔槍トライオブダルク。
「……うん、どこからどう見ても、修理したようには見えない。魔力増幅率は……くっつけた時よりも上がってきている、かなぁ」
使用感を確かめるため、魔界に戻ってから何度か試し切りをしてみたが、多少乱暴に使っても壊れることはない。
赴任初日、あたらしく部下となった幹部数人へ自身の力を誇示したが、魅魔一族に代々伝わる魔槍の名と、それによって大幅に増幅された魔力による威圧で、すぐに自身のことを統治者に相応しいと認めてくれた。
その魔力も、実際は、壊れる前の状態の7割程度だったりするのだけど。
「いやあ、本当にあの人には感謝しかないなぁ……」
彼女は改めて、自身の窮地を救ってくれた少年の顔を思い浮かべる。
彼女の記憶にある人間像といえば、大抵ヒト族の中でも歴戦の戦士や賢者たちだった。戦争中ということもあっただろうが、会敵するなり『殺す』『滅ぼす』『根絶やしにする』などと宣言してくる頭のイカレタ者達。中には森の賢者のような変わり者もいたが、大抵、そんな感じである。
だが、自身のことをタカヤと名乗った少年は、違っていた。
頼りない肉体、頼りない容姿、大人しい性格。
だが、それを補って有り余る才能と優しさが、彼にはあった。
彼女が魔族であるということを知っても、他のヒトと違って話を聞いてくれ、こちら側の要求にもできるだけ応えようとするの姿勢は、これまで持っていた『ニンゲン』のイメージをちょっとだけ改めさせてくれた。
「あの子、今何をしてるんだろう……」
怪しい光で揺らめく三つ又の先端をちょんちょんとつつきながら、ムムルゥはふと溜息をついた。
魔界で母親の胎内から産まれ出てもうかなりの年月が経つが、こんな気持ちになったのは、何気に初めてである。
それまでヒトに対して悪感情のみを持っていたはずのレティですら——もちろん、窮地を救ってくれたというバイアスがかかっているのもあるだろうが――あっさりと心を奪われた。
と、瞬間、彼女の脳裏にとある情景が思い浮かんだ。
魅魔としての美貌や能力を駆使して彼に迫るレティと、それを断りきれず抗いきれず体を許すタカヤの二人が、ベッドで——。
「って、なんなんだよこの胸のモヤモヤ感はよぉ~……」
チクリ、と胸が痛んだ気がして、ムムルゥは自身の体躯の何倍もの大きさのベッドに飛び込み、うつ伏せになって足をじたばたさせた。
彼女は『魅魔煌将』、魔界において、魔王の下にある『四天王』の立場にある。
年齢でいればまだ魔界では若造にあたるが、そろそろつがいとなる魔族のオスをあてがわれる時期でもある。
話はすでに両親のほうへ舞い込んでいると、レティから聞いたことがある。
彼女ももちろん頭では理解している。一族の力を維持、もしくは強くしていくためには、優秀な能力をもつ魔族と交配しなければならないことを。
お祖母さんも、母親も、ずっとそうしてきたこと。
自分もそのレールに乗っかるだけだと。怠け癖もあり、非常にゆったりとした速度だったが、路線から外れた覚えはない。
だが、そんな彼女の一本道に、突如としてもう一つの道が現れてしまった。
その行先は、まるで瘴気のようにこい靄が発生していて、どんな道が待っているのかわからない。進んだ先が奈落の底なのかも。
だが、それでもその道が、今の彼女には大変魅力的に映っていたのである。
「とられたくない……レティに」
レティは親友である。これまでどんな苦楽も共にしてきたし、ずっとこれからも肩を並べて歩くだろうもう一人の相棒。
だが、いくらそうだとしても、やはり譲れないものは譲れない。
本能のままに欲しいものを欲しいと言う。
それが、魔族だ。
「ああもう、もう寝よ寝よ! まだ仕事がちょっと残ってるけど、一週間先ぐらいまで後回し!」
もやもやした気持ちを振り払うように首を振ったムムルゥが、ベッドから起き上がろうとしたところで、
「――仕事を後回しにするのは構わんがな。もう夜も遅いし。だが、それを七日も後に放り投げるとは感心しないぞ、我が娘よ」
「え——」
彼女以外は誰一人通さないよう申し付けていたはずの寝室に、一人の魅魔族の女性がいた。
ムムルゥによく似た面影を残しているが、その彼女よりもさらに成熟し、禍々しいほど蝙蝠の羽と山羊の角を併せ持った存在。
「お、かあさま……?」
「ムムルゥ……お前のその槍、私に見せてみろ」
「っ……!?」
先代の『魅魔煌将』でもあり母でもある彼女の言葉に、彼女は、自身の首筋が異様に寒くなっていくのを感じた。
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