第292話 防衛戦 2


「どうして、あんなところから――」


 今回の敵の親玉ともいえる島クジラのまさかの登場に、隆也は動揺を隠せないでいた。


 この海域にいることはわかっていたが、海底神殿からはまだ離れていたはず。にもかかわらず、敵はこちらとの距離を一気に詰めてきた。


 目にも止まらぬ高速でこちらに向かってきた……とは考えられない。というかありえない。ダークジャークのようなまだ比較的小型の魔獣ならともなく、超大型の、一個の小島にも匹敵すると言われている巨体が移動するのなら、相当のエネルギーが必要になる。


 なので、ラルフやディーネならすぐに察知できるはずだが。


 空間転移でも使ったか……いや、島クジラが魔法まで使えるとは思えない。


 ということは、どこかの魔法を使える誰かが島クジラに空間転移を使って、意図的に隆也たちを襲わせるべく仕向けたか。

 

 さきほどの出現で崩れかけた結界の外から、島クジラの姿を見る。


 途轍もなくデカい。元の世界にも巨大なクジラはいるが、多分それはまったく比べ物にならない。ここにいるのは、戦艦とか空母とかそういうレベルの大きさで、生物と言うよりむしろ兵器に近い。


 果たして、こんなものをテイムしたり、空間転移させることができる魔法使いなどいるのだろうか。エヴァーやディーネ、もしくは六賢者が束になっても、これだけの規模の転移魔法は扱えない。


 そんなことができる存在がいるとすれば、それはもう世界最強などの次元ではなく、そういう人智を越えた何かでしかない。


【んんんうぅぅぅぅうぅぅぅぅうぅぅうう――】


 さすがにラルフも気づいているようだが、島クジラの出現による海流の激しい乱れと、その他の魔獣たちの攻撃が激しくなっているのもあって、隆也のほうへ全く近づけていない。


 というか、ラルフに殺到している海の魔獣たちの数が、いっそう増えている気がする。戦いが始まる前に神殿をうろついていたダークジャークなどは、ほぼ全て始末しているはずなのに。


【かあ――】


「! まさか、あいつの口から」


 小さく口を開けた島クジラの歯の隙間から、黒い糸のようなものが複数海中へと漏れ出ている。おそらく、体内に寄生している魔獣を援軍としてラルフのほうへ向かわせているのだ。


 同じようなパターンはドラゴンゾンビ(を模倣していた光哉)でもあったが、隆也の即興で作った殺虫剤で簡単にやられた以前とは、出てくる敵の質が違いすぎる。


 ぎょろ――。


「……!?」


 ぞくり、と隆也の背中に悪寒が走る。


 黒い瞳のない島クジラの黄色の眼球は、海底神殿ではなく、あきらかに隆也のほうへ向いていた。

 

 同時に、ゆっくりと開かれる島クジラの顎――まさか、このまま神殿ごと隆也をのみ込もうとしているのか。


「……! ん……にゃ……ろ――!!!」


 複雑に絡まった毛糸玉のごとくダークジャークたちが殺到する隙間から、数条の黄金色の光が深海を照らした。直後、爆発し、魔獣たちの血やばらばらになったその死骸が深海に漂う。


「タカヤ、くれ!」


「了解!」


 魔獣たちの返り血を浴びて全身真っ赤になったラルフへと、先程調合したばかりの全回復薬フルポーションを投げ渡す。


 今しがたの爆発でかなりの魔力を消耗したらしく、呼吸が激しい。魔獣にやられたのか、深い傷もちらほら。


 今のところ異常はなさそうだが、ダークジャークには牙に毒もあるので、念のため、神経毒と麻痺の回復薬も飲ませることに。


「……あのヤロウ、ぶっ殺す」


 薬を飲みながら、ラルフは島クジラに視線を合わせたままぼそりとそう言った。


 物騒な呟きだが、口調は極めて冷静だ。


 静かに怒っているという感じだろうか。であれば、問題ないだろう。


「ラルフ、倒せそう?」


「あ~、ぶっ殺すとか言ったけど、普通に考えて無理だな。まあ、それでもやらなきゃなんねえんだけど」


「確かに」


 このまま行くと、おそらく隆也もラルフもまとめて島クジラの腹の中だ。多分、相手はそのつもりで来ている。


 巨大生物の胃の中でゆっくりと命を消化される――嫌な死に方だ。死ぬなら、もうちょっとまともに死なせてほしい。


「……まあ、超本気を出せば怯ませるぐらいは出来るんだろうが……ここにいるのは非戦闘要員のタカヤだけだしな」


「時間稼ぎとかがいるってこと?」


「ああ。技的にはただの溜め斬りなんだけど、とにかくチャージ時間が要ってな。ありったけの魔力をこの剣に圧縮して保持するのに集中力が取られるから、その間は動けなくて」


 確かに隆也には無理な話である。結界の外に出れば水圧+酸欠ですぐにやられるし、よしんばそれが解消できても戦闘行為は不可能。というか、島クジラ相手だと何をやっても無駄な気がする。


 というか、ディーネは何をやっているのだろう。神殿の同居人たちがいるから異変は完全にキャッチしているはずだし、転移も使えるはずなのに戻ってこない。


 あちらでも、何かあったか。


「ともかく10分……いや5分でいいからわりとこの場を引っ掻き回せて時間稼ぎしてくれる都合のいいヤツが要ればいいんだが――」


 ほぼあきらめ顔でラルフが剣を構えた。助けが来ない絶望的な状況だが、それでも抵抗しないよりはいくらかマシという判断。


 せめて後一人でも使える人がいれば――ため息交じりにラルフと隆也が同じことを呟こうとした瞬間、


「――あの~、ご主人様。つかぬ事お聞きしますが、コレもしかして助けが必要なカンジでしょうか? 大ピンチ的な」


「ん?」


 どこからか、そんな声が聞こえた。


 ラルフや隆也のものではない。どこかで聞いたことのある少女の声だが。


「ご主人様、あの、バッグ……バッグを開けてくれませんか?」


「! その声――まさか、」


 声の主に思い当たった隆也がバッグの口を開けると、そこから桃色頭の魔族少女がひょいっと顔を出した。


「メイド長様から命令されて【倉庫】使ってはせ参じたのですが……帰っちゃダメなヤツですよね、やっぱり」


「たりめえだろ、バカ」


「ああんっ」


 問答無用でラルフに首根っこを掴まれて引きずりだされたのは、魔界にいるはずの魅魔族メイドのモルル。


 そういえば、この子がいたか。転移や陰転移とは違う、異なる場所と場所とをつなぐことのできる異能もちの少女。


 この状況、どうやらまだまだ救いはありそうだ。

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